弁護士刺傷事件

『名古屋市内の路上で弁護士が刺される』

『学生柔道全国大会優秀選手の弁護士が負傷、命に別状無し』


『犯人は過去に受け持った案件の関係者か』

『七年前に一体何が!?関係者を独占取材!』


センセーショナルな言葉が並んでいる。


新聞にしろTVにしろ、かなり大きなニュースである。


この報道は全て、浅野について。

それらには浅野の顔も出されていた。


知っている友人の顔を報道で見るというのは、何とも不思議な感覚だ。

命に別状なし、という事は幸いである。


だが、俺も報道以上の話は知らない。

浅野に連絡を入れたが応答は無く、返信も無かった。


が、昨日浅野から連絡があったのだ。

新幹線に飛び乗り、俺は名古屋へとやってきたのである。


名古屋駅に到着し、地下鉄に乗って病院へ。

見舞いに来た事を伝えて病室へと向かった。


その部屋へ入ろうとした所で、スーツを着た二人の男性とすれ違う。

彼らと入れ違いに俺は病室へと入った。


右奥に浅野はいた。

先週とのデジャヴを感じつつ、俺はベッドへと近付いていく。


「おう、よく来たな。」


いつものオールバックでは無く、少し乱れた髪形の浅野。

だが、様子は特に変わりがない。


俺は安堵しつつ、言葉を返す。


「よく来た、じゃねぇよ。気を付けろって言った奴が入院してどーする。」

「ははは、痛つつつ。まったく、返す言葉も無いな。」


俺の言葉を受けて浅野は笑う。

が、笑った拍子に傷が痛み、腹の左を押さえた。


「おい、大丈夫なのか?」

「高橋ほど重傷じゃない。ザックリやられたがな。」


ふっ、と笑って浅野は言う。


「そういや、何で連絡つかなかったんだ?返信も無かったし。」

「ああ悪い。警察からの事情聴取があってな。」


そこで得心がいく。


先程すれ違ったスーツの二人は警察関係者。

事件に関する事を浅野に聞きに来たのだろう。


「すんごい報道になってるな。どこもかしこもお前の報道ばっかりだぞ。」

「弁護士がやられた、となると仕方のない事だろうな。良い気分はしないが。」


腕を組んで目を瞑りながら、浅野は眉間にしわを寄せる。


「退院後はマスコミも来るだろうしな。」

「あー、そりゃ大変だ。」


高橋と違って、浅野は事件による負傷。

しかも弁護士という、社会的ステータスのある人間だ。


更に学生柔道でも結果を出している。

マスメディアが放っておくわけがない。


「で、刺してきたのは五年前の関係者、と。」

「ああ。だが、少し不可解でな。」


その言葉に俺は首を傾げる。


「何がだ?」

「容疑者との関係性だよ。俺はその時はまだ見習いだ。」


浅野は眉間に皺を寄せたまま俺を見る。


「こういう言い方は良くないが、案件を担当した先輩も二つ年上で存命だしな。」

「普通はそっちを狙う、か。」

「ああ。ついでに言えば、先輩は小柄な女性だ。」


なおの事、そっち先輩を狙うのが普通。

わざわざ体格に勝り、格闘術の心得もある浅野を狙う理由が無い。


犯人は平均的な中年女性なのだから。


「この辺りは警察にも話し済みだ。彼らの想像では逆恨み、という事らしいが。」

「にしたって、随分と不可解すぎるよな。」

「常識的判断ではない。こうした事件を起こす人間が常識的かは、分からんがな。」


ふん、と浅野は鼻を鳴らす。


「で、傷は大丈夫なのか?命に別状なしって言ってたが。」

「ああ、重要な臓器は傷付いていなかったらしくてな。筋肉に助けられた。」

「さ、流石だな。」


そうだろう、と浅野はニヤリと笑った。


思いっきり刺されておいて、得意げなのはおかしくないだろうか。


「まあ、凶器がはさみだったのが幸いしたな。包丁だったらもっと酷かったはずだ。」


凶器は鋏。


一般的な文房具よりは鋭利で刃の長い、さびが目立つ断ち切りばさみだった。


「少し不思議だよな。そんなより包丁の方が身近に無いか?」

「ああ、俺もそう思ってる。錆び付いた鋏など、普通は手元に無いはずだ。」


物が溢れる大量生産大量消費の現代。


手入れもされていない錆びた鋏よりは、廉価だが新しい鋏を用意するもの。

今時、百円均一でもそれなりの物は買えるはずなのだ。


「大切なものなら凶器にしない、錆だらけのまま放っておかない。」

「その通りだ。」


不可思議な齟齬そご、何だか腰が落ち着かない感覚だ。


単純に、犯人の女性に考える余裕が無かっただけかもしれないが。


「そして、もう一つ。」

「なんだ、まだ何かあるのか?」


浅野が、すっ、と右手を少し上げて人差し指を立てた。


「事件前日、口裂け女に鋏で刺される夢を見た。刺された箇所も同じだ。」

「はぁ?高橋かよ。お前がそういう与太話オカルトを気にするなんて珍しい。」


浅野は昔から真面目な奴。


お化けだの、呪いだの、占いだの、はハナから信じていないタイプの人間だ。

それを好んでいる人をけなしたりはしないが、近寄ったりもしない。


そんな浅野が口裂け女都市伝説を口にするなど驚きだ。


「気にしてはいない。単純に高橋との共通点を伝えただけだ。」

「そうは言っても、夢の話だよな?夢に口裂け女が出たら気を付けろ、って?」

「そこまでは言わない。まあ気を付けるんだな、という事さ。」


浅野は小さく笑った。

言われた俺は困惑するしかない。


だが二人とも夢で見た翌日に、そこそこの重傷を負っている。

偶然と思いたいが、偶然にしては妙だ。


高橋も浅野も、自分の行動による負傷じゃない。

それが口裂け女の夢の翌日に発生するなど、確率としてはどのくらいあるだろうか。


未来の危険の示唆として口裂け女が出てきた、ならまだ良い。


危険を呼び込むために口裂け女が、となったら恐怖しかない。


だが、眉唾物の話オカルトだ。

そんな事があるわけがない。


証拠など無いのだから。


そもそも都市伝説オカルトに証拠など有るのだろうか?


そんな事を考えていた時。


「浅野君、大丈夫?」


背の低いポニーテールの女性が、浅野を心配する言葉と共にやってきた。


185cmの浅野より顔二つ分は小さかろうか。

女性にしても随分と小柄だ。


「先輩、来るたび来るたび確認せずとも大丈夫ですよ。」

「でも心配で~。」


浅野に指摘されて、困った顔で笑いながら女性は言う。


先輩。

つまり浅野より二つ年上。


背の低さと童顔も相まって、かなり年下に感じる。

それこそ、俺達より十五も下、と言われても少し納得してしまいそうだ。


「私のせいで襲われちゃったかもしれないし。」

「気にしないで下さい、と何度言えば。先輩のせいではありません。」

「そうは言っても気にしちゃうよ。」


一歩下がった俺の目の前で、浅野と先輩女性はそんなやり取りをしている。


なんだろう、この疎外感。

妙に二人の世界が出来上がっているような気がする。


浅野よ。

女っ気などない、とお前は言ってたでは無いか。


この人は違うのか。

ええ、違うのか!?


高橋に伝えたら、退院したらぶん殴ってやる、とか言い出しそうだな。

いや、俺も今この場で殴ってやりたい。


「あ、ごめんなさい。二人で話していた所なのに。」

「い、いえ。大した話はしていませんから。それに話も終わりかけでしたし。」


突然振り返って話しかけられ、俺は少々焦る。


俺ですら目線が下がる低身長。

浅野だったら首が折れるんじゃなかろうか。


「じゃ、浅野、そろそろ行くわ。ゆっくり休めよ。」

「勿論だ。さっきも言ったが、お前も気を付けろ。」


軽く手を振り、俺は病室を後にする。

その背に二人のやり取りが聞こえてきた。


チッ、末永くお幸せに爆発しやがれ、こんちくしょう。




新幹線の車内で頬杖を突きながら考える。


この世に口裂け女などというモノがいるのだろうか。


いや、いるわけがない。

都市伝説は噂話だからこそ成り立つのだ。


実在してしまえば、それはただの不審者。

地域の不審者情報に載せられるか、警察のご厄介になるだけである。


そもそも夢の中になど出て来られるわけがない。

二人の事故と事件はただの偶然だ、そうに決まっている。


昔話で思い出して、ぼんやり考えていた高橋。

それを聞いて影響を受けて、事件と夢を結び付けた浅野。


単純にそういう事だ。

結果論で、そうじゃないか、という繋がりを想起してしまったに過ぎない。


というか、口裂け女が実在するなら都市伝説と随分違うじゃないか。


道端で出会って、ワタシ綺麗?

それがルールだろう。


夢の中に出てくるなど、おかしな話だ。


車内アナウンスが聞こえる。

既に新横浜を超えていた。


静岡県を走る長い長い区間、ずっと口裂け女について考えていたようだ。


いかん、いかん。

俺まで二人の話に呑まれてるじゃないか。


変な事を考えるのは疲れている証拠だ。


今日はさっさと寝る事にしよう。


そんな事を考えていたせいで眠気がきて、俺は大欠伸おおあくび

だから気付かなかった。


ホームに随分と背の高い、ベージュのトレンチコートを着た女がいた事に。

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