交通事故

「お、二人とも、元気か~?」


病室の端、入口から右奥のベッドから高橋が手を振っている。

交通事故に有った割には元気そうだ。


「いや、元気か?じゃ無いだろ。大丈夫なのか、これ。」


俺は寝ている高橋の左脚を指さす。


その脚はギプスで固められ、宙に浮かされていた。

内部は見えないが、浅野から聞いた話では随分と酷い事になっているはずだ。


「避ける事は出来なかったのか?お前は身軽な方だろう。」

「いや~、ちょっと考え事しててさ~。あ、過失がどうとかになったら宜しく~。」


軽口を叩く高橋に、浅野は呆れたように肩をすくめた。


過失がどうとか、を話した理由は、浅野が弁護士だから。

だが、弁護士だからといって何でも出来るわけでは無い。


分かっているのかいないのか、高橋はへらへらと笑っている。


「つか、どんな事故だったんだ?大した事聞いてないんだが。」

「ああ、伝えていたのは、酷い事故に遭った、だけだったか。」

「なんだよ浅野~、結構抜けてんなぁ。」


喧しい、と言いつつ、浅野が高橋の頭を軽く小突く。

怪我人になにをする~、と高橋が浅野の腹をぺちんと殴った。


普段のキッチリした性格から考えると大雑把すぎる。

何のかんの言いながら、浅野も高橋友人の事が心配だったんだろう。


「で?」

「ん?」


俺が聞き直すと高橋が首を傾げる。


「いや、事故の内容だよ。」

「ああ、そうだった!そういう話だったよな。」


悪い悪い、と高橋が頭を掻く。


「俺、バイクで通勤してんのよ。」


両手を前に出し、ハンドルを握るような動作をする。

見えない右グリップを、くいっくいっ、と回した。


「で、事故に遭ったのは夜勤明けでさ~。あの時は眠かったんだよなー。」


目を瞑ってその時の事を思い出しつつ、続ける。


「片側一車線道路を直進してて赤信号で止まったのよ。」


左手を空中で滑らせ、きゅっ、と止める。


交差点で停止した事をわざわざ映像化しているのだろう。


「そしたら、右から車が凄げぇ勢いで突っ込んできたんだよ!もう真っすぐに!」


右手で左手のどてっ腹に突っ込ませる。

詰まる所、真横から自動車に突っ込まれたという事だ。


「バイク対自動車。どうやっても無事じゃ済まなくて、この有様。」


高橋は渋い顔をして肩をすくめた。

身体むき出しのバイクでは、プロテクターを付けていても力不足だ。


「うわぁ、良く生きてたな、お前。」

「いやホント。マジで良く生きてたと思うぜ。吹っ飛んだからなぁ。」


左手を再び宙に浮かせて、錐揉きりもみ回転させる。


流石にそこまで回転しては生きてはいない。

大げさな表現であろうが、当事者としてはそういう感覚だったのだろう。


「ん?ちょっと待て。右から突っ込まれたのに左脚折ったのか?」


俺は疑問を口に出す。


信号で停車していて、右から突っ込まれた。

であれば、骨折するのは車に突撃された右脚であるのが普通であるはず。


見た所、右半身に怪我は無いように見えた。


「おー、そうなんだよ。俺も不思議でさぁ。」


高橋は俺の事を指さす。


「なーぜか左脚だけブチ折れてさ。膝から脚が反対方向にボッキリ。」

「ふむ、ニュースにもなるわけだ。」


そうなのだ。


高橋の事故はニュースになっている。

岐阜市内のどこそこの交差点で事故、バイクの男性が重傷、と。


ただ、あくまで東海地方のニュースでだけだ。

なので俺は知らなかった。


「相手方の運転手の居眠り運転、だったか。」

「そうそう。ただ事故の後、妙な事言ってたんだよなぁ。」


腕を組んで高橋は唸る。


「は?そんな酷い事故でお前、意識有ったのか?」

「結構ハッキリ。」

「マジか。」

「マジよ。ほら、アドレナリン全開だと痛み無いって言うじゃん。」


へらへらと高橋は笑う。


確実に左脚が痛いだろうに、俺達に心配させまいとしているのかもしれない。

単純に痛み止めを入れられているのかもしれないが。


「んで、妙な事って?」

「女が、女がいて、ハンドル切って、ああごめんなさい、って。」

「女?そんな人、居たん?」

「朝五時だぜ?居たら俺も見てるさ。誰もいなかったのは間違いない。」

「その運転手の意識がハッキリしてなかった、夢だった、という事だろうな。」


腕を組んだ浅野が言う。

そうだろな、と高橋も頷いた。


「そういや、考え事って何考えてたんだ?メシの事か?」

「やめろよ、食いしん坊みたいに。俺、もう三十だぜ?」

「食い意地が張っているのは否定できんだろう。」


むぅ、と高橋が閉口する。


学生時代に三人で飯に行った時、割り勘だというのにアホみたいに食っていた。

俺と浅野からグーパン貰って、渋々食べるのを止めた位だ。


そう言った所は、今も変わっていないようである。


再び脇道に逸れた話を引き戻した。


「一週間前の事、覚えてるか?ほら、柳ケ瀬の。」


予想していなかった話が来て、俺と浅野は顔を見合わせる。


俺達の様子を特に気にせず、高橋はそのまま話を続けた。


「変な女とぶつかりそうになったじゃん。」

「ああ。確かにあったな、そんな事。」


浅野が一つ頷いた。


「前の日の夢にそいつが出てきてさぁ。めっちゃ追いかけられたんだよ~。」


両腕を振って、走るようなジェスチャーをする。

病院のベッドの上だというのに、元気な奴だ。


「足掴まれて倒れた所で目が覚めたんだよな~。そういや左脚だわ、掴まれたの。」


ぺんぺん、と高橋はギプスを叩く。


「ソレを思い出して、ぼ~んやり考えてたのよ。」

「何を?夢占いか?」


浅野の言葉に、バカ言うなよ、と高橋が返す。


コイツが夢占い等に興味を持ったら、明日は隕石が降ってきて地球滅亡だ。

それくらい有り得ない事である。


「あいつ、口裂け女だったのかな~、って。」


高橋の言葉に俺と浅野は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔になる。


「ぶ、ぶははっ、お前、オカルト信じる奴だったか?」

「く、くくっ、それこそ、バカ言うな、だな。」


高橋は、なんだよー、と俺達の反応に不服を申し立てる。


だが、流石にそんな事があるわけがない。

浅野の言う通り、バカな事を言うな、である。


「俺だって信じて無いっての。夜勤明けの頭でぼんやり考えてたんだぞ。」

「悪い悪い、まさかそんな事を言い出すとは思わなくて。」


まだ笑いを止められず、少し笑いながら俺は謝罪する。


その後は適当な雑談をして、俺達は病室を後にした。




病院の入口から外に出る。

歩きながら、浅野が話を始めた。


「お前も気を付けろよ。流石に東京までは見舞いに行けんぞ。」


それはそうだ。

浅野は弁護士、そう簡単にあっちこっち行けるわけがない。


それに先ごろの同窓会で、今は随分と忙しい、と話していた。

用事も何もなしで、東京まで行くのは中々難しいだろう。


「まあ、浅野が入院したら俺は見舞いに行けるけどな。」

「やめろ、縁起でもない。」


俺はフリーランス。


Web環境があれば、一応どこでも仕事は出来る。

今日も新幹線の中で仕事をしていたくらいだ。


そんな話をしていた時、ふと背後から視線を感じた。


首だけ回して後ろを確認したが、特に誰もいない。

疑問に思いつつも、俺は前を向く。


「どうした?」

「いや、誰かに見られているような気がして。」


俺の言葉を受けて、浅野も後ろを確認する。


そして、あ、と声を出した。


「なんだ、どうした?」

「おい、あそこの木の影を見ろ。」


浅野の言葉を受けて俺は、病院敷地内に植えられた街路樹の影に目を凝らす。


だが、そこには特に誰もいない。


「なんだ?誰もいないじゃないか。」


振り返った俺の目に映ったのは、笑いをこらえる浅野の顔だった。


「てめっ、からかったな!」

「お前もオカルト気になってるじゃないか。」


俺は拳を握り、浅野の腹を殴りつける。

しかし筋肉の鎧に阻まれ、残念ながらダメージは与えられなかった。


そんなやり取りをして俺達は別れる。

また予定を合わせて、高橋の見舞いに行こうと約束して。


そんな俺達を街路樹の影から見ている誰かの事など知らずに。




そんな事があったのは一週間前。


俺は今、名古屋にいる。


そう、今度は浅野が入院したのだ。

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