第34話 ハーバー伯爵邸

 王城からそのまま再度リントナー領に戻ることも可能だったが、ずっと留守にもしていたし、報告も必要だろうからということで、彼らはハーバー伯爵家に行った。竜舎はないので、魔獣研究所に飛竜を預け、馬車を借りる。


 ハーバー家に着けば、家族が全員揃っており、みな大喜びでナターリエを迎えた。きっと話が伯爵に来ているのだろうと思って、ナターリエが様子を窺うと「ついさっき、陛下からの使者がやってきた」と父親であるハーバー伯爵は苦々しそうに言った。


「そもそも婚約破棄はしていた……ということになっていたのでな。現状維持ということで」


 それはそうだ。第二王子からの婚約破棄を受けたことは噂であっという間に広がっていた。今更それを「そうではありませんでした」と噂を流す必要もない。なんにせよ、婚約破棄(仮)の(仮)がなくなっただけだ。


「まあ、折角だし、今晩は泊っていくといい。そのう、我らとしても、ナターリエが突然いなくなって、少しばかり寂しかったのでな……」


 存外ハーバー伯爵は素直にそう言った。確かにナターリエ自身はけろっとしていたが、彼女はこの家から出て、どこかに宿泊をしたことがほとんどなかったと言う。


(その割に、まったく気にせずに過ごしているようだったな……)


 そこで、彼女のマイペースさが実は相当なものだとヒースはようやく気付くのだが、当の本人はきょとんとしている。


「まあ、もし、第二王子から婚約破棄されなければ、もう次は結婚してこちらに戻ることもなかったでしょうに、そう思えば別に……」


 それはそうだ。少なくとも第一王子が王位を継ぐまでは、彼女は王位継承者の妻として王城に囲われることになっただろう。が、ハーバー伯爵は「んっ、んん」と咳ばらいをして


「それとこれとは別だ。お前は家族のことをわかっとらん!」


と言った。それへ、母親である伯爵夫人も頷いて


「そうよ? まあ、あなたの安全はリントナー辺境伯のご子息が守ってくださるということだったので、安心はしていたけれど、魔獣相手のお仕事なんだから心配だってするでしょう。だってのに、全然手紙も何もくれないんだもの」


「あっ、お手紙。そうか。お手紙というものがありましたね!?」


 まるで今初めて気付いたようなナターリエ。ヒースはそれに苦笑いを見せた。


「申し訳ありません。もう少々リントナー領で仕事をご依頼したくて。今後は、その、手紙でも」


 それへは、妹であるカタリナが答えた。


「でも、どうせお姉様のことだから、手紙にだって魔獣のこととか書くんじゃないのかしら。そういうことじゃないわよ?」


「えっ、だって、元気にやっています、以外のことと言ったら、魔獣のことしか……」


 そうナターリエが答えて、その場の人々はどっと笑ったが、言われた本人は何故みなが笑うのかわからないようで、少しばかり唇を尖らせた。




 湯浴みをして、夕食をとって、ヒースとナターリエはすっかりくつろいだ。ヒースの体格が良すぎて、着替えとして用意をしてもらった服が入らなかったハプニングがあったが、急遽仕立て屋に出来あいのシャツ類を持ってこさせて対応をした。


 彼は「今日着て来た服をそのまま着れば良いし、眠る時は脱ぐだけで良い」と言っていたが、ハーバー伯爵がそれを許さなかった。むしろナターリエまで「そうですよねぇ」とヒースに同意をしたのだから、よろしくない。感化されている、とハーバー伯爵は頭を抱えた。


「ヒース様」


 ナターリエの世話を焼くのが久しぶり、と女中たちが湯浴み後にもわざわざ新品の室内着を用意をした。柔らかなピンク色のドレスを身に纏っているナターリエは、ヒースの部屋に現れた。


「何かお困りになっていませんか。大丈夫ですか」


「ああ。大丈夫だ。気にかけてくれてありがとう」


 ハーバー伯爵邸の客室はいつ誰が来ても良いほど整っている。よく親族が泊りに来るのだが、まったく血が繋がっていない来客は久しぶりだ。粗相がないかと、ナターリエはなんとなくもじもじとして気がかりだ。


 ヒースは紺色のトラウザーズに新品の柔らかいシャツを気楽に羽織っていたが、それはどちらも結構高級なものだ。ハーバー伯爵が、辺境伯子息に対してそれなりの見栄を張った様子がわかって、ナターリエは少しくすりと笑う。


「良ければ、ちょっと話さないか」


「え。あ、はい」


 客室にはカウチやソファがある。ハーバー伯爵邸の客室は、長期滞在が出来るようになっており、結構豪華だ。それも、親族が家族を連れて宿泊に来るからなのだが、ヒースにはいささか広すぎる様子だ。


「あっ、ヒース様。このお部屋、バルコニーがあるんですよ」


「うん? ああ、そうだな?」


「今日はたくさん星が出ています。リントナー領に比べたら、夜の暗さは足りないのですが。それから、バルコニーから庭園を見下ろせるんですよ」


 そう言ってナターリエは大窓を開け、バルコニーに出て行った。ヒースは小さく微笑んでその後をついていく。


「ほら。夜のお庭です。我が家の庭園も、そう悪くない……と言っても、夜だからわかりませんね?」


「そうだな。明日の朝なら、よくわかるだろうが」


 バルコニーから体を乗り出して庭園を覗き込むナターリエ。その横にヒースは立つ。


「ヒース様」


「うん?」


「あの、陛下の前で、その、話してくださったこと……あれは、本当でしょうか」


 ヒースの鼓動が跳ねる。が、それを必死に抑えようとして「ああ、本当だ」と答えた。


「では、あの、わたしが、お願いをしたら、その……ヒース様の婚約者にしていただけるんでしょうか……?」


「……!」


 恥ずかしくて、ヒースの顔を見られない。ナターリエは、薄暗くあまり見えない庭園に目を落として続けた。


「そのう、ディーン様の……第二王子との婚約破棄から、そう日が経っていませんが……ですから、その、人には色々言われるかもしれませんが……たくさん、ご迷惑をおかけするかもしれませんが……」


「ナターリエ嬢」


 彼女の言葉を遮るヒースの声音は優しい。恐る恐るナターリエは、隣に立っているヒースを見上げた。


「馬鹿だな。それは全部、杞憂だ。どれをとっても、一つも俺には問題じゃない。俺にとっては、俺の隣にあなたがいないことの方が大問題だ」


「ヒース様……」


「それは、なんだ、その、あなたも、俺のことを、好きと言うことで、そういうことでいいんだな……?」


 そのたどたどしいヒースの問いに、ナターリエもまた、たどたどしく答えた。


「は、はい。す、き、です」


「!」


 ヒースは両腕でナターリエを抱きしめた。ナターリエも、彼の背に腕を回して、大きな背中のシャツをぎゅっと握りしめる。柔らかだが少し涼しい夜風を遮って、温かい体温がナターリエを包む。


「もう一度言ってくれ。もう一度聞きたい」


「え、ええ……?」


「俺を見て、もう一度」


 ナターリエの体を抱く腕の力を緩めて、胸元に抱き寄せた彼女の顔を覗き込むヒース。おずおずとナターリエは顔をあげ、ヒースと目を合わせる。


(あ、あ、あ、は、恥ずかしい、です、けどっ……)


 ばくばくと鼓動が高鳴る。なんだか目の端に涙までじわりと浮かんできた。だが、ナターリエは、精一杯の笑顔を見せて彼に告げた。


「ヒース様、好きです」


 見上げれば、彼は一瞬泣きそうな表情になる。そんな顔をするなんて、とナターリエはどきりとした。それから、彼は「ああ……」と呟いて深呼吸をした。やがて、ぱちぱちとナターリエがまばたきをしているうちに彼は落ち着いたのか、やっと笑顔を見せた。


「ありがとう……俺も、俺もあなたが好きだ……俺の婚約者になってくれるだろうか?」


「はい。喜んで」


「ああ……良かった。本当に良かった……!」


 そう言って、ヒースはもう一度彼女を強く抱きしめた。あまりにぎゅっと力を入れるものだから、ナターリエは彼の胸元に顔を寄せ「うう、苦しいです……」と小さく呻く。


「もう少しだけ……もう少しだけ、我慢してくれ。頼む」


 彼の腕に抱かれる心地よさと息苦しさを感じつつも、ナターリエは彼の胸元で彼の鼓動を聞いていた。


(ああ、ヒース様も一緒。わたしと同じだわ……)


 ナターリエの胸もじんわりと熱くなり、彼の腕の中で幸せに包まれながら瞳を閉じた。




「そういうわけで、あの、お父様、ヒース様と婚約したいんですけど」


「ちょっと待ってくれんか!?」


 翌日、朝食の席で突然ナターリエが爆弾宣言をして、ハーバー伯爵邸の人々はみな驚きを隠せない。正直、ヒースも驚きを隠せない。朝食を終えてから自分が声をあげようと思っていたのに、一体何がどうしてこうなった、と慌てて咳き込む。


「んぐっ……」


「ヒース様、大丈夫ですか?」


「う、うっ、大丈夫だ……だが、大丈夫じゃない。ナターリエ嬢。その話は、食事時の話としてはどうかと思うんだが……」


「だって、食事を終えたら今日はお兄様はアカデミーの後輩を町に連れて行かれるとお聞きしておりましたし、カタリナもガートン侯爵邸でのお茶会のため用意をしますもの。お父様とお母様だけでしたらそれでも良いのですが、折角なので……」


 それへは、兄のマルロが苦笑いを見せ、話を進めた。静かではあるが、この長男は案外としっかりしている様子だ。


「気を使ってくれたということだね。ありがとう。そうか。ヒース殿は、それで、妹との婚約をしたいということで良いのでしょうか?」


「はい。突然の話であることは重々承知の上なのですが。ナターリエ嬢と結婚をしたいと思っております。お許しいただければと思います」


 ハーバー伯爵夫妻は顔を見合わせ、それから伯爵が肩を落とす。


「断る理由がないのだが、リントナー家に嫁ぐとなると遠すぎるな……」


「お父様、大丈夫です。わたし、わたし一人でも飛竜に乗れるようにしますので、そうしたら!」


 それへヒースは「うっ」と呻く。やはり彼はナターリエを一人で飛竜に乗せることにはあまり賛成をしないようだった。


「だ、大丈夫です。その、今からすぐに結婚をするわけでもありませんし、その、月に一度はナターリエをこちらにお送りしますし……」


「本当かね!?」


 そう言う伯爵に、夫人が笑いながら


「第二王子に婚約破棄をされてしまった、ということになっているナターリエでも良いだなんて、それはもう喜ばしいことですわ。それに、リントナー家に入るとなれば、魔獣研究所にナターリエは入らなくても良いということになりますものね?」


 とあっさりと答える。


「はい。その、正直な話魔獣鑑定のスキルはリントナー家にとっては非常にありがたいのです。魔獣の調査が順調に進むということは、その分国境の守りを強化出来ますし。ですが、そのスキルがなくても、ナターリエ嬢と婚約をしたいと思います」


 そのヒースの言葉を聞いて、妹のカタリナが嬉しそうに拍手をする。


「お姉様、よかったわね! おめでとう!」


「ありがとう!」


 まだ、正式に返事をしていないぞ、とハーバー伯爵は言おうとしたが、あっという間に室内はお祝いムードに包まれた。


「うう、う……」


 かすかに呻くハーバー伯爵を見ながら、ヒースは「お察しします……!」と思うのだった。

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