第33話 第二王子からの告白
椅子に座ると、女中が入って来て茶を淹れてくれた。ディーンもナターリエも、女中がそこから去るまで無言のままだ。
「茶の、一杯ぐらいは、付き合ってくれるだろうか」
「は、はい。勿論です……」
そう答えるが、一体何を話せばいいのだろう。ナターリエはすっかり動揺をしている。どうやら、それはディーンも同じようで、困ったようにカップの中の茶をじっと見ているだけだった。
「ケ、ケーキ」
「は、はいっ!?」
「ケーキが、うまい、と思う」
「は、はい、いただきます……」
あまりにも互いにぎこちない。数年間婚約者同士であったというのに、こうやってお茶をしたこともほとんどなかったとナターリエは思い出して、少しだけ寂しい気持ちになる。そうだった。ずっと、一緒に何かをすることがなかった。そして、いつしかそれを「仕方がないことだ」と自分に言い聞かせて、声をかけることも面倒だと思うようになってしまっていた。
「その……これまで、す、まな、かった」
「えっ……!?」
「お前……違う……君に、その……無理難題を言って……」
そこで言葉が止まる。そんなことを言われるとは思っていなかったナターリエも、手が止まる。すると、そこは「食べてくれ」と言われ、仕方なくナターリエは「あ、はい……」とケーキにフォークを入れた。
(どどどどどどど、どういうことでしょう……あれかしら……あ、謝れば、それでいいと、思っていらっしゃるの、でしょうか……?)
正直、もう茶の味もケーキの味もどうでも良い。話を、その先を、と思う。が、どうやらディーンの言葉はそこから先を考えていなかったのか何なのか、続きが出てこない。
「あの、ディーン様……でも、ディーン様が、わたしとの婚約をよくお思いではなかったことをわたしは知っておりますので……」
「……てない……」
「はい?」
「お、も、って、ない」
「え?」
「お前との、違う、君との婚約は、嫌ではなかった!」
「……?……」
何を言っているんだろう、とナターリエは首を軽く傾げた。見れば、ディーンは顔を真っ赤にして、必死に訴えている。
「だが、だが、そんな、スキル鑑定のスキルのせいで婚約だなんて……僕の方が、君を王族につなぎとめるために差し出されたような、そんな形で婚約なんてしたくなかった……僕は、お前に、婚約者にならせてくださいって……そう言われたかったんだ!」
君、だとか、お前、だとか。言葉がまずめちゃくちゃだが、彼はかれなりに、もともと「お前」呼ばわりをしていたのを、必死に「君」に変えようとしているようだ。
「は、はあ……?」
「僕は馬鹿だった。君が、その、王族の教養を勉強しても、なかなか身につかずに、音を上げて、僕に縋りついてくれないかと……そう、思ってたんだ。その、僕は、要するに、馬鹿で、若かったんだ……」
ナターリエは心の中で「今もお若いですわよ?」と思ったが、さすがに言葉にはしなかった。なんにせよ、彼の言葉を信じるならば、彼はナターリエのことを嫌いではなかったのだということ。そして、ナターリエのスキルを重視した婚約だったが、そうではなく、自分に対してナターリエが「婚約者になりたい」と言わせたかった、という話だ。
「まあ……それは……こちらも色々と気付かず……」
申し訳ありません、というのはおかしいな? と困惑をするナターリエ。
「だが、君は会いに王城にも来ないし……王族の教養に関しても、うまくいかなくても音を上げずに涼しい顔だし……」
「ええっ!? 涼しい顔なんて、しておりませんけど……」
「そういう顔に、見えていたんだ!」
「ええ~……」
それはまあ、少しは正解かもしれない。ナターリエはナターリエで、殿下がそうならこっちもそれはそれで、と思うようになっていたからだ。
「それで……ある日……君が、魔獣鑑定士になるという話を、小耳に挟んで……」
「は、はい」
「その、父上が、婚約解消はしないと。そうおっしゃっていたことも知って」
「はい」
「だったら、僕が、婚約解消をしてやったらいいと思ったんだ……!」
「ええ……?」
めちゃくちゃだ。めちゃくちゃだが、ナターリエはどうにかこうにか話を整理しようと努めた。
ディーンはナターリエとの婚約が嫌ではなかった。なるほど。意地悪をしたのは、婚約者としての立場を変えたいのかなんなのか、その辺ぼんやりしているが、彼も当然意識はしてのことらしい。そして、突然の婚約破棄。
「どうして、婚約破棄を……」
「だって……お前は、僕のことを好きじゃないだろう……スキル鑑定士でなくなるなら、僕との婚約を破棄したいんだろうと……僕は馬鹿だから、何年も、何年も、お前、違う、君が僕のことを好きじゃないってことをよくわかっていなくて……でも、そんな馬鹿な僕だって、さすがにもうわかる。君は、僕のことが好きではない……」
「そのう、好きではないというか……好きになれるほどの、お話も出来ていなかったので……はい……」
「だから、僕は、君を諦めようと思って……婚約破棄をしたんだ……」
そう言って俯くディーン。しん、と室内が静まり返る。ナターリエはどうしたらいいのかとおろおろするし、ディーンは言うだけ言った、とばかりに黙り込むしで、この辺りが正直「合わない」のかもしれない……そんな風にナターリエは思う。
「あの、ディーン様」
「うん……」
「そのう……こんなことを申し上げてはなんですが……わたしの誕生日に、招待をしても来ていただけなかったのはどうしてでしょうか……」
「ううっ……それは、君が、直接、僕を招待するために来てくれないかと思って……」
「ええ……?」
一度、誕生日会に招待をしたが、返事がこなかった。だが、ナターリエは「返事をいただけないならば仕方がないわ」と翌年から招待をせずに、家族だけで過ごすことにした。ディーンが思っている以上に、ナターリエはディーンに固執しておらず、何に対しても予想以上にのんびりマイペースに対処をしていただけだったのだが、まさかそれがこんなことになっているとは。
「ディーン様は、そのう、とても、とても、そのう、ちょっと、面倒な方だったのですね……あっ、その、悪い意味では、違うわ、悪い意味ですね……」
「わかっている……なんにせよ、君が、今僕と婚約破棄をしたいことも、わかっている」
「んんんん」
はい、そうです、とはさすがに答えらずに、ナターリエは妙な音を口から発した。しかし、ディーンはそれを咎めない。
「だから、これは、僕の、そのう、罪滅ぼしと言うか。今まで、阿呆なことをして来て、君には十分過ぎるほど呆れられていると思うが……最後に、きちんと、婚約破棄を……」
しようと思っている。そう言いたかったのだろうが、ナターリエを見たディーンは、みるみるうちに両眼からぼろぼろと涙を溢れさせた。驚いてナターリエが「ディーン様!?」と叫ぶが、彼の涙は止まらない。
「うう……僕は、君が、好きだったんだ……多分……きっと……うう……」
ナターリエは、静かに息を吐いた。彼への言葉は特にない。ただ、彼女は「ああ、お茶が冷めてしまうわ……」とティーカップの湯面をじっと見つめ、彼が泣き止むのを待つだけだった。心が乱れているのは彼女も同じだったが、王妃から言われた「謝罪を聞いて欲しい」という言葉を心の中で反芻して「ちゃんと聞いたわ。ちゃんと聞いた。これで終わり……」と、己を律する。
本当は、何もなければきっと情けが湧いたのだろうと思う。だって、彼は自分を好きだと言う。形はどうあれ。そして、その形がおかしかったことも今は気付いているのだ。だったら、彼と結婚をしても幸せになれるかもしれない。そう思うことはおかしくない。
だが、今、彼女の心を占める男性が別に現れたのだ。だから、間違えてはいけない。そう思って、静かに彼が泣き止むのを彼女は待った。心が痛んだが、これだけはもう譲れない、と思う。ナターリエは唇を噛み締めたのだった。
ヒースは別室でおとなしくナターリエを待っていた。いや、おとなしくではない。心中は煮えくり返るような気持ちだったが、それをどうにかこうにか抑えて、だ。
婚約をさせられ、それから婚約を破棄させられ。王命ならば仕方がない。仕方がないとはいえ、そして「やっぱりまた婚約を」と言われているのではないかと思えば、腹も立つ。
だが、何よりもナターリエがそれに心を痛めているだろうことに、彼は腹を立てていた。いや、第二王子だって、ベラレタの話を聞けば、彼は彼で心を痛めていたのかもしれないが……。
(俺は、彼女を傷つける者が許せない、ただそれだけの、狭量な男だ……)
自分に対して、少しだけ呆れる。しかし、それを「よくない」とは彼は思わない。それが自分の精一杯ならば仕方がない。
(そして、許せないといっても、相手が王族ならば、俺にはどうにも出来ない)
大きなため息を吐き出す。早く、ナターリエに会いたい。だが、会った時には、話がどういう方向ででもまとまっているのだろうと思えば、少しだけ会いたくない。だが……。
彼がそうぐるぐると考えていると、扉が開いた。
「お待たせしました」
少々疲れた様子で、だが、笑みを浮かべてナターリエが入ってきた。その表情からは、何があったのかを読み取ることがヒースは出来ず、不安を隠すことも出来ないまま名前を呼ぶ。
「ナターリエ嬢……」
「ようやく終わりました。ありがとうございます」
「え……」
「ディーン様が、陛下を説き伏せてくださって」
「何?」
ナターリエはヒースにふわりと微笑んだ。
「きちんと、婚約破棄になりました。それから、魔獣鑑定士としてこのまま、まだご一緒することも出来ます」
「!」
ガタッと椅子から立ち上がり、ヒースは大仰に喜んだ。
「よかった……そうか。よかった……!」
「はい。はい。なので、あのう、明日からも、また、よろしくお願いいたしますね?」
「ああ、こちらこそ……こちらこそ、だ。よろしく」
ヒースが手を伸ばすと、ナターリエの小さな手が彼の大きな手に包まれる。ぐっと互いに握手をして、微笑み合った。ナターリエはそれ以上のことをヒースには話せなかった。
「わたしも、ディーン様も、お互いに誤解をしていたようで……反省をしました」
それだけをぽつりとヒースに告げた。彼はあえてその言葉の意味を追求はせず
「そうか……俺も、あなたを誤解しているだろうか?」
と問いかける。それへ、ナターリエは慌てて首を横に振って「いいえ」と返した。
「それなら、良かった」
そう言って、ヒースは笑みを浮かべた。彼は、それ以上のことをナターリエに説明を求めなかった。
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