第26話 青天の霹靂

 翌日の空は晴天だった。邸宅の者たちに見送られながら、ヒースの飛竜は空に向かう。一見、ナターリエは昨晩のことを何とも思っていないようにふるまっていたが、彼女の後ろでサポートをしているヒースは気付いている。ナターリエが、やたらと前傾姿勢だと。


「……ナターリエ嬢。あまり前側に体重をかけると……」


「はっ、はいっ」


 ヒースは「しまったな」と思いつつ、どうしようもない。なんとなく2人はぎくしゃくとした状態でリントナー邸を離れる。


 彼は彼で、彼女の体を支えようと思うが、いつもどうやっていたのかがなんだかわからなくなっている。腕を回していただろうか。それとも、まったく触れずにいただろうか。どうだっただろうか。ヒースは困惑をした。


「ナターリエ嬢」


「はい!」


「その……昨晩は、その、あれは、事故のようなもので」


 それにナターリエは何も答えない。何が事故だったのか、との追及もないと言うことは、彼女も彼女でわかっているのだろうと思う。


「すまなかった。なので、えっと……普段通り、支えても良いだろうか」


 そう言いつつ、実は普段どうやって支えていたのかもしみじみとよくわからないヒース。


「はっ、はい……」


 ナターリエの返事はそれだけだ。ヒースは恐る恐る、片腕で彼女の体を軽く抱くように、腰に手を回す。ナターリエは一瞬びくりと体を強張らせたが、そっとその腕に身を委ねた。


(これで、あっていた、のだろうか……ちょっと、よくわからなくなってしまったな……)


 だが、ナターリエは何も言わないのだから、多分あっている……多分……。そう思っていると、ついにナターリエから


「その、あの……りょ、両手、で、その」


「え」


「もう片方の、手は、こう、前に。えっと……」


 そう言って、ナターリエは手綱を握る彼の腕を両手で持った。


「こっちに……」


「あ、ああ」


 言われるがまま腕を前に持っていくヒース。そうか。そうだったか……と思いつつ、ぎこちなさが残る。だが、腕に触れた彼女の体温に、なんとなく「そうだった」と思って安心をする。


 短い飛行はあっという間に終わり、森の中にある別荘が見える。


「すぐですね……」


 ぽつりとナターリエが呟いた声は、ヒースの耳には届かなかった。




「お嬢様、お帰りなさいませ!」


「ただいま、ユッテぇ~~」


「急な外泊が続きますねぇ」


「そうなのよ。でも、昨晩はふかふかのベッドだったし、よく寝たのだけど」


 半分は本当だが、半分は嘘だ。寝付いてからはぐうぐうと朝までノンストップで眠っていたが、寝付くまでが大問題だった。


(ヒース様の腕に抱かれてしまった……いえ、きっと、ヒース様は気にはなさっていないと思うんだけど……!)


 だが。なんとなく、ぎゅっと抱かれたのは気のせいだっただろうか。それとも、力を入れて受け止めなければいけないほど、自分は体重をかけてしまっていただろうか? そうではない気がしていたが……。


 そんなことをぐるぐると考えていたのだから、眠りに入るまでいささか時間はかかった。だから、よく寝たと言えばよく寝ているが、よく寝ていないと言えばよく寝てもいないのだ。


(でも……少し……)


 嬉しかったのだ。あの大きな腕に抱かれて、鼓動は早くなり、きっと体温すらあがってしまっていただろう。緊張をして、どうにかなりそうで。けれども、間違いなく「嬉しかった」のだとナターリエは感じた。


 そして、それからの飛竜上でのあれだ。もう、昨晩から引き続き情緒がおかしい。おかしいが、少しだけ見て見ぬふりをしたい。


 ソファに座ってユッテに茶を所望すると、それに頷きつつユッテが神妙な表情を見せる。


「お嬢様、あの、お茶の前にですね……実は、昨日、お手紙が届いておりまして」


「えっ? わたし宛て?」


「はい……」


 そう言って、ユッテは手紙をナターリエに渡す。その封蝋を見て、ナターリエの表情は一気に硬くなった。それは、王族のものだったからだ。


 慌てて封を開けて中を見ると、ナターリエの眉はしかめられる。


「ユッテ、ちょっと、ヒース様のところに行ってくるわね」


 休む暇もなく起き上がって、ナターリエはヒースの執務室へと向かった。



 ヒースの執務室では、フロレンツがルッカの町付近にどう飛竜騎士団を配置しようか、と話をしているところだった。


「お話し中でしょうか。でしたら、出直しますが……」


 とナターリエが言えば、フロレンツは「大丈夫です」と言って彼女を迎え入れた。


「どうした?」


「あの、王城から手紙が届きまして……」


「王城から?」


「はい。その……一度、王城に行かなければいけないようで……」


「どういうことだ?」


 ナターリエは少しばかり悲し気な表情で伝えた。


「第二王子との婚約破棄の手続きが必要だということです……ですが……そんな手続きは聞いたことがなくてですね……」


「婚約は口約束だったのでは?」


「はい。特に書類や儀式もなく決められたことでしたので……」


 ヒースとフロレンツは顔を見合わせた。


「怪しいな。それは、やっぱり第二王子との婚約を、むしろ破棄しない方向で話が動くのかな」


 ナターリエは、言葉もなくヒースを見た。何を期待しているわけでもなかったが、ただ、なんとなくのことだ。


「いつまでに行けばいい?」


「急ぎでとは書かれてありました」


「そんなもんは少しは待たせておけ。フロレンツ。次に魔獣をとらえたら、俺が魔獣研究所に連れて行く。その時にナターリエを王城に送る」


「はい。今日、罠を設置しています。捕らえられると良いですね」


 頷くフロレンツ。何も彼が言わない、ということは、それなりに次に捕獲をする古代種の目途もついているということだ。


「それでいいな? ナターリエ」


「は、はい。どちらにしても、飛竜に乗せてもらうか、馬の手配をいただかなければわたしは帰れませんので」


「うん。悪いが、待たせておいてくれ。こちらもその間に、ルッカの町を襲っている、なんだっけ? ビスティか。それを退治も出来るだろう。そうしたら、俺が送っていくから」


「ありがとうございます」


 少しだけヒースの表情が険しいと思ったが、あえてナターリエは何も言わなかった。それから3日後、ビスティの退治が出来たとフロレンツから報告があり、それと同時に次に魔獣研究所に運ぶ魔獣も捕獲をされた。



 結局、王城に出発をしたのは4日後の朝だった。ヒースの飛竜以外に、魔獣を運ぶ飛竜2体で、まずは魔獣研究所を目指す。


「ナターリエ嬢」


「はい」


「話したくなければ、まあ、良いのだが……第二王子とは、どれぐらいお会いしたことがあるんだ?」


「婚約前に一度、婚約式に一度、それから、10回ちょっと……ぐらい……でしょうか?」


「婚約はいつ?」


「5年前のことです」


「年に2,3度程度しかお会いしていなかったのか……?」


「そうですね」


「催し以外では?」


「会っていただけなくて……あっ、違うんですよ。その、まず、わたしがあまりにお勉強が出来なかったので、それが出来るようになってから会うと……」


 どういうことだ、とヒースは思う。勉強が出来ない? それが出来るようになってから会う? 話がよくわからない。


「そのう、多分、ディーン様はわたしと会いたくなかったんでしょうね。国王陛下も王妃様も、わたしとディーン様はよく会っていたとお二方は思っていらっしゃるようですが、その、勉強がどこまで進んだのかを確認されて、じゃあ、まだ会えないな、と言って逃げられてしまって……」


「な……」


「あっ、でも、確かに、わたしも勉強不足だったんです」


「しかし、婚約者に会うのに、勉強だとか……」


「わたし、魔獣については当時は趣味のようなものでしたのでそれはともかくとして、スキル鑑定士だったので……スキル鑑定士は、スキルに関する勉強をしなければいけないんです」


「なるほど」


「少なくともわたしは……自分の知識にないスキルは『見えない』んです。なので、少しでも多くのスキルを知るために、それこそ、魔獣の勉強のように日々スキルの勉強をしなければいけなくって。なので、わたし、一般教養というものを学ぶ時間が足りなくてですね……」


 それは、考えれば相当大変なことだろうとヒースは思う。ナターリエが口にしている「一般教養」というものは、貴族の子息・子女の間で言われるものでは「ない」と気づいたからだ。


 それらは、王族の一員としての一般教養だ。幼い頃から王族の子息子女が学ぶもの。それをナターリエに第二王子は押し付けたということだ。


(確かに、結婚をするとなると……ナターリエは王族の一員ともいえる立場になってしまうわけだし、必要だ)


 しかし、同時にスキル鑑定士であるための勉強も必要だし、体が弱くて倒れていた時期もあったわけだし、彼女はおお忙しだ。


「でも、今ならわかるんです」


「うん? 何がだ?」


「第二王子は……ディーン様は、わたしを受けいれようとしてはいたんだなって」


「いや、しかし」


「ただ、どうしてよいのか、わからなかったんだろうと。一般教養も、そんなに難しいものだと思っていなかったんじゃないかなぁと……ただ……お会いするたびに、どうして、そこまでしか進んでいないんだって怒られてですね……お会いして、すぐに勉強の成果を見せろと言われて、あれこれと質問をされて……」


 自分はうまく勉強が出来なかったし、でも、それが精いっぱいだったのだとナターリエは小さく笑う。そして「そう難しくもなく出来るであろう」と第二王子が思っていた一般教養を、いつまでたっても習得しない婚約者だったので、仕方がないのだと。


 それは、ヒースも少しわかると思う。ナターリエは、そう勉強が出来る人物ではない。魔獣については「好き」だから詳しくなったのだ。そんな彼女が、スキル鑑定の勉強と一般教養の勉強を並行して行うことは、案外と難しかったのだろうと思う。


 そもそも、スキル鑑定士が見るスキルは、体系別に分かれているものから、まったく関係なく独立したものから、とんでもない量があるという。それを、地道に暗記をしなければいけない。そして、それぞれについて書いてある文献は体系だっておらず、要するに「これだけ読んでおけばよい」というものはなく、あちらこちらからつぎはぎだらけの情報を集めなければいけない。


 また、複合スキルだとか、派生スキルだとかの関連付けについても曖昧だ。曖昧だが、見なければいけない。知らなければいけない。


 そして、それを知っている人間から教えてもらう、ということは出来ないのだ。そういうことを、日々ナターリエは覚えようとしていたのだろう。


(それに、スキル鑑定を間違うと、とんでもないことになる。彼女はそれを知っているだろうし……)


「スキル鑑定の勉強って、全部暗記なんです」


 と、ヒースもわかっていたことを言うナターリエ。


「でも、本当に覚えるだけで、その中で役に立つのはほんの一握りです。それは、わたしが鑑定をした人の分だけ。でも、やっぱりたまに見えない人がいて……それが、自分の勉強不足なのか、知られていないスキルなのかはわからないのですが……100覚えても、そのうちの1、いや、それより少ないかもしれませんね……覚えても覚えても、鑑定しなければ忘れてしまうんですよね……だから、ずうっと、覚え直さなくちゃいけなくて……」


「ああ、そうか」


「わからなくても、見えればよかったのですが。でも、わたしのスキル鑑定は、覚えなければ見えないものなので……」


 きっと、たくさん学んだのだ。覚えて、覚えて、覚えて。忘れて、覚えて、覚えて、忘れて、やっぱり覚えて、と繰り返して。だが、その覚えたものは「覚えただけ」で、それに該当するスキルを所持する者と一生出会わないかもしれないのに。だから、覚えても忘れてしまう。だが、覚えていなければ見られない。繰り返し繰り返し、スキルを覚え直すのだと言う。


「なので、わたしももう、嫌になりまして。途中から魔獣の書物を読んでいましたし、ディーン様には『出来ていません』ってお答えして、不興を買っておりました……」


「うーん」


 そうなると、話はお互い様、ということにもなるのか……とヒースは唸った。


「だって、スキル鑑定のスキルのせいでディーン様と婚約をしているのに、スキル鑑定の勉強が出来ないのはおかしいですし、王族の方々が幼少の頃から学んでいることを14歳頃から急に覚えろと言われましても……うう……でも、わかっています……わたしが、その、本当に勉強が出来なかったのは……」


 それは若干言い訳がましかったが、ヒースは「まあ、それはそうだ」と思う。


「と言っても、もう終わったことですし。ただ、もう少しうまくやれたかもしれないのになって、思わなくもないです」


 少しだけ寂しそうに言うナターリエ。


「本当に、なんだか、うまくいかなかったんです」


 ヒースは、自分の前に乗っているナターリエの体を支えつつも、手で彼女の頭を撫でた。


「よく、頑張ったな」


「……はい」


 ナターリエはそれから口を閉ざした。ヒースも、それ以上彼女を追及しなかった。彼女が言うように、第二王子ディーンも、意地悪をしていたわけではなく、彼は彼で王族に相応しい女性にナターリエになって欲しかっただけなのかもしれない。考えれば、第二王子はちょっと子供っぽかったとリントナー辺境伯は言っていた。その子供っぽい考えでは、もしかしたら「それ」が精いっぱいだったのかもしれない、とも。

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