第25話 雷雨の夜

 暗い夜。雨のみならず、雷が鳴りだした。バチバチと音を立てて降る雨の音が室内にも響く。


 既に、客室で一人になって、あとは寝るだけとなっていたナターリエは、資料室から借りて来た書物をぱたりと閉じた。


「そろそろ寝ようかしら……それにしても、この寝間着……何やら、色々ついているけれど、こんなに可愛いものをお借りしてよかったのかしら?」


 普段自分が身に着けている寝間着は、ほとんど飾り気がない。それは、ナターリエが質素なのではなく、貴族全般がそうなのだ。体を締め付けずゆったりとしたもの。肌触りが良いシンプルなものを寝間着にする。


だが、どうやら彼女に与えられたものはリントナー辺境伯夫人のデザインらしく、眠るのに邪魔にはならないが、半そでの袖口やら襟やらにレースのリボンが通してあるし、ゆったりとしつつ胸元で切り替えが入っている。ひざ下までの裾は、内側は一枚布で、外側に足の邪魔にならないようにレースが縫い付けられていた。正直な話、こんな凝った寝間着を着たことがナターリエにはない。しかし、確かに眠りを阻害するほどのものはないので、これもありか、と思わされる。


 と、その時、廊下から何やら声が聞こえる。なんだろう、とそうっと部屋の扉を開けると、アレイナが動物のぬいぐるみを持って、泣きながら歩いているではないか。


「アレイナ様?」


「うう、う、ううう……」


 どうやら、アレイナもまた、リントナー辺境伯夫人がデザインをしたものなのか、可愛らしい寝間着を着ている。それを褒めちぎりたい気持ちを押さえるナターリエ。


「アレイナ様、どうなさったのですか」


 扉を開け放して廊下に出て、アレイナの前に出るとしゃがみこんだ。


「かみなり……きらい……ひと、呼んだけど……来なくて……」


 そう言って、ぐすぐすと泣く。なるほど、雨と雷の音がうるさくて、きっとアレイナが呼んだ音がかき消されたのだろうと思う。


「お部屋に戻りましょうか」


「うう、うう……」


 ぎゅっとナターリエにしがみつくアレイナ。彼女を抱き起して、とんとん、と背を叩く。


「ふふ、妹が小さかった頃を思い出します」


「いもうと?」


「はい。わたしにも妹がいるんですよ」


「わたしとどっちが大きいの……?」


「わたしの妹の方が大きいですね……アレイナ様、お部屋はどちらですか?」


「あっち……」


 まだ目に涙を浮かべたまま、だが、眠たいのか目をこすりつつアレイナは指を差した。廊下には窓がないので、雨と雷の音はあまりしない。だが、部屋の中で聞いた音のせいで、驚いて出てきてしまったのだろうと思う。


(このままなら、きっと泣き止んでくださるわ)


 優しくアレイナの背を叩きつつ、アレイナの部屋に向かう。が、角を曲がったところで、アレイナはすうすうと寝入ってしまう。


「まあ、どうしましょう……」


 どこがアレイナの部屋かわからない。扉が開いていれば、と思うが、どの部屋の扉も閉まったままだ。


「あら……困ったわね……部屋をひとつずつ開けるわけにもいかないし……えっと、女中の詰所はあるかしら?」


 困って廊下を歩いて奥までいったが、どの部屋も扉が閉まっている。これは、一階に女中の詰所があるのでは、と思ってアレイナを抱いたまま階段を下りた。


「あっ……?」


 すると、薄暗いエントランスで、誰かが外から中に入って来る様子が見える。バタン、とドアが閉まる音がしたが、アレイナはありがたいことに眠ったままだ。


「うん? ナターリエ嬢?」


「え……あ、ヒース様」


「どうして……おっ?」


 薄暗い中、彼女がアレイナを抱いていることに気付くヒース。彼は外套を着ていたが、上から下までびしょ濡れだ。


「アレイナ?」


「アレイナ様が、雷を怖がって泣きながら廊下を歩いていらして……」


「そうか。申し訳ない。こちらに……と、濡れていてそれどころじゃないな。ちょっと待っていてくれ」


 そう言うと、ヒースは外套をその場で脱ぎ捨てた。だが、髪がいささか濡れていて、水滴が落ちる。その前髪をぐいと後ろに流すが、濡れているのは前髪だけではなさそうだ。


「このままで大丈夫です。あの、アレイナ様のお部屋がわからなくて……」


「ああ、案内する。すまないな」


 そう言ってヒースは階段を上った。その後ろをついていく。


「この部屋だ」


 扉を開ければ、部屋は薄暗かった。窓はしっかり閉めてあったが、雷が光る。


「ああ、ベッドは天蓋つきなのですね。カーテンを閉めずに寝てしまったのかしら」


「普段は、天蓋のカーテンを嫌って閉めていないが、今日は閉めた方がよさそうだな」


 そっとベッドにアレイナを横たえ、となりにぬいぐるみを置く。それから、天蓋のカーテンを窓側だけ閉めるナターリエ。すうすうと寝入っているアレイナは、まったく起きる素振りを見せなかった。


「申し訳なかったな。ありがとう」


「いいえ。ヒース様はどうして外に?」


「竜舎に俺の竜を入れていたが、普段使わない場所だったので、雷雨で大丈夫だったのかと急に心配になってな。様子を見て来た」


「大丈夫でした?」


「ああ」


「よかった」


 ナターリエはにっこりと微笑む。その笑みを見て、ヒースも小さく口端を緩めた。


「部屋まで送ろう」


「ありがとうございます」


 ぱたりとアレイナの部屋の扉を閉め、廊下を歩きだす2人。


「あの……」


「うん?」


「アレイナ様とブルーノ様は、髪色がお母様似でいらっしゃるのですね」


「ああ。気になったか」


 聞くべきことではなかったのかもしれない、と、言ってから思うナターリエ。が、もう言葉にしてしまったのだから、と腹を括った。


「……はい」


「うん。母上は、後妻でな。俺と姉が前妻の子供で、ブルーノとアレイナが今の母上の子供なのだ」


「えっ……」


「ああ、だが、俺達も特に問題なくうまくやっているから、気にしないでくれ」


 なるほど、だから「親父」「母上」と呼んでいたのか……と腑に落ちるナターリエ。


「お袋は俺が12歳の頃に亡くなってしまって。まあ、そんなわけで、アレイナと俺は年齢差が大きくてな。ベラレタなんかは、もっとだ」


 そう言ってヒースは笑う。


「そうだったのですね。申し訳ありません。出過ぎたことを聞いてしまって」


「いや、問題ない。どうせ話そうと思っていたし。いくらなんでも15、6歳も年齢差があれば、そりゃあな」


 そんな話をしている間に部屋に着いたので、ナターリエはヒースに礼を述べた。


「早く眠るといいぞ」


 そう言ってヒースはナターリエの部屋の扉を無造作に開けた。と、それとほぼ同時に、カッと稲光が走り、ドン、と大きな雷が落ちた。室内の鏡がビリビリと震え、ナターリエはそれに驚く。


「きゃあっ!」


「……!」


 そんなに雷を怖がるわけではなかったが、純粋に音に驚いた。びくりと体を縮こまらせて前のめりになれば、ちょうどヒースの腕の中にすっぽりと入ってしまう。


「!」


 慌てて離れようとしたところを、もう一度、ドン、と大きな雷の音。すっかりびっくりして「きゃっ……」と身を竦めれば、その体をヒースの腕が抱いた。


「大丈夫か」


「は……はい……驚いて……」


 目の前に、ヒースの胸。そして、彼の腕に抱かれていることに動揺をして、ナターリエはおろおろとする。すると、彼の腕に力が入り、ナターリエはぎゅっと抱きしめられる。


(え、え、え、ヒース様が、わ、わ、わたしを……?)


 まるで、時が止まったように、体の動きがぴったりと止まる。ナターリエの体は強張り、だが、自分を抱いている彼の腕を強烈に感じる。ああ、自分の体は小さくて、そんな風に彼に抱かれてしまうのだ。そんなことまでも考えてしまう。


(ああ、そうじゃなくて……えっと……とにかく、離れなければ……)


 本当に、たまたま彼の腕の中に入ってしまっただけなのに。言い訳をしながらそこから抜けようと、もぞりと動けば、ゆっくりとヒースの腕の力も緩む。


「もう大丈夫か」


「は、はい……ありがとうございました……」


「うん……」


 ゆっくり体を起こして、ヒースの顔を見上げる。目と目があったが、なんだか恥ずかしくて、すぐに逸らしてしまう。


「お、おやすみなさい」


「ああ……おやすみ」


 頭をぺこりと下げて、部屋に入る。と、そこでもう一度雷の音。だが、ナターリエはそれを必死に我慢をして「声をあげない!」と心に決めた。ありがたいことに、大きな雷の音はそこまでで、後は、バチバチと窓を打ち付ける雨の音だけが、室内に響いたのだった。




 ヒースはナターリエの部屋の扉を閉めてから、エントランスに行き、脱ぎ捨てた外套を拾った。それから「くそっ」と独り言を口から発する。


(やっちまった……!)


 つい、出来心で。いや、出来心と言うのもいささか問題があるが。


(必要以上に、力を入れて抱いてしまった)


 大体、ナターリエが悪い、と責任転嫁をするヒース。リントナー家から貸し出した寝間着が、まず、可愛らし過ぎた。話はそこからだ。いや、そこではない。


(怖がられていないと良いのだが)


 明日、飛竜に2人乗りをするというのに、自分は何をしてしまったのかと大反省会だ。だが、その反面


(柔らかかったな……)


 と、彼女の体の感触を思い出す。


 駄目だ。もう、隠せない。自分はナターリエが好きだ。突然の行為と突然の自覚に、一気にかあっと体が熱くなる。


(わかってはいた。好ましいと思っていることは。だが……)


 彼女は、自分のことをそうは感じていないだろうと思う。だからこそ、リューカーンのところで第二王子の話もしたのだろうし……と。


「ええい、俺も寝よう。いい加減、時間も遅い」


 誰にともなく口に出し、濡れそぼった外套を持って、どかどかと自分の部屋に戻るヒース。だが、その脳内では、ナターリエのことばかりを考えてしまい、眠れぬ夜を過ごしたのだった。

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