第20話 谷の朝
はっと目が覚めると、既にヒースの飛竜がそこにはいて、また、眠っていたはずのゲオルグの飛竜も目覚めていた。ヒースは、ヒースの飛竜で降りて来た部下と何やら話をしていて、ナターリエが目覚めたことに気付いていない。
『起きたか』
「あっ、リューカーン、お早うございます。あなたは、4日間ずっと眠っているわけではないのですね」
『いつもはそうだが、今は卵を守る時期なのでな。番が起きるまでは、わたしは薄い眠りで過ごしている』
「まあ、まあ、そうなのですね。一晩、ありがとうございました。おかげ様でぐっすりと眠れました」
それは、礼を言われる話でもなかったようで、リューカーンは何も返事をしない。
「ナターリエ嬢、起きたか」
「おはようございます。すみません、すっかり、眠ってしまって!」
「そうだな。一度も目覚めないとは、大物だ」
そう言ってヒースが笑うと、ヒースの飛竜に乗って降りて来た若い騎士も小さく笑う。
「ゲオルグの飛竜は、ゲオルグが言っていたように足を折ってはいるが、飛べそうだ。着陸がちょっと厳しそうなので、そこは腕がいいコルトに任せる」
「コルトと申します。ナターリエ嬢」
「よろしくお願いいたします」
「コルトは、飛竜の扱いが誰よりも繊細でな。きっと、ゲオルグの飛竜をうまく着陸させてくれると信じているぞ」
「ううん、荷が若干重たいのですが、頑張ります」
すると、その会話を聞いていたリューカーンが
『帰るか』
と言葉を挟む。
「ああ。一晩世話になった。ありがとう」
『何もしておらん。お前たちは、また来るのか? それとも来ないのか?』
「どちらが良いだろうか?」
『来ない方が良い。来ても何もないだろうし、こちらも何が出来るわけでもない』
それへ、ナターリエが「ええっ!?」と声をあげる。
「ナターリエ嬢?」
「えっ、あの、その……リューカーンの、絵を描こうと……思っていたのですが……」
それにはヒースが笑って
「それは、戻って邸宅で、思い出しながら描いてくれ」
と宥める。一瞬でナターリエは肩を落としたが、仕方がない、と口端を緩めた。
「そうですか……でも、そうね。わかりました。リューカーン、ありがとう」
それへ、リューカーンは『何もしておらん』と返す。
「最後にもう一度触れても良いでしょうか?」
『良い。許そう』
ナターリエはリューカーンの鱗に触れた。巨大な地竜の鱗は大きくごつごつとしている。
『ちょっと待て』
「え?」
リューカーンはあまり長くない前足で、自分の鱗の中でも小さいものを二枚爪でひっかけて落とす。サイズとしてはちょうど手の平にすっぽり収まるぐらいのものだ。
「痛くないんですか?」
『痛くない場所のものを取っておる。これを持っていくがよい。リントナーの者よ。これで恩義は返す。そのうち、売るが良い』
「いいのか? ありがとう」
『それから、お前にもやろう。その鱗を見ながら絵でも描けば良い』
「ええっ、本当ですか? まあ、まあ、ありがとうございます!」
『その鱗を持っていれば、そうだな、5年程度になるか。それぐらいは、わたしと会話が出来る』
「ええっ!?」
驚くヒースとナターリエ。
『こちらから開く必要があるので、そっちから声をかけても無理だが』
話はよくわからないが、どうやらヒースやナターリエ側から声をかけても仕方がないのだと言うことだ。リューカーンからは話しかけられるようになる、ということらしい。
「よ、よくわかりませんが、ありがとうございます!」
さすがにそんな情報をナターリエも知らなかったようだ。リューカーンの鱗について、という項が彼女の脳内に生まれたな……とヒースは思った。
リューカーンの「巣」から飛び立って邸宅に戻る最中、2人はリューカーンの鱗について話し合った。
「リューカーンから話しかけてくるようなことはなさそうだがな」
「そうですね。でも、折角なので5年程度は持ち歩いています」
と、ナターリエは嬉しそうだ。
「5年過ぎたら鱗を売れ、と言われたが、これ、価値がわかる商人がいるのかな……その、疑っているわけではないが、ナターリエ嬢が言っていた盾やら鎧帷子やらを作るのも、ちょっと眉唾というか……」
「鑑定スキルがある者がいれば、リューカーンの鱗だとわかるはずです」
「なるほど、鑑定スキルか」
それもなかなか見当たらないスキルなのだが、とナターリエは言葉を濁す。
「でも、どこで拾ったのかと聞かれれば、ずっと家にあったと言えば良いかと」
「そうか。じゃあ、役に立ちそうだな」
「そうですね。売らなければ、こう、額にでも入れて、飾っておいてはいかがでしょうか」
「額に入れて飾るか、何か宝石箱のようなものにでもいれるか、どちらかになるだろうな……」
「なんにせよ、嬉しいですね。わたし、絶対毎日持ち歩きます」
そう言って笑うと、ヒースも「そうだな」と頷き返して「お守りみたいなものだな」と笑った。
「それにしても、ナターリエ嬢と共にいてよかった。俺だけでは、きっとリューカーンとうまく話も出来なかったと思うしな」
「まあ、そんなことないですよ。でも、そうですね。少しはお役に立ったのかと思えば、嬉しいです」
「少しどころではない」
きっぱりと告げるヒース。
「本当に、役に立っている。ありがとう」
改めての礼に、ナターリエは驚きつつも微笑んだ。その表情をヒースは見ることは出来なかったが、きっと伝わっているだろうとナターリエは勝手に思う。
「あなたが、魔獣鑑定士になってくれて、そしてリントナー領に来てくれて本当に助かっている。このまま……」
「このまま、ここで魔獣たちを見ていられたらいいのですが」
ほぼ同時にナターリエはそう言ったので、ヒースが「このまま」と言葉を続けたことまでには気が付かなかった。ごうごうと風の音で、互いの声が切れ切れに聞こえる。
「本当にそう思うのか」
「はい。それに……」
と、言葉を続けそうになって、ナターリエは慌てて「いえ、なんでもありません」と言った。
(何を言おうとしたの、わたし……)
かあっと頬が赤くなる。
(このまま……そんな、ヒース様に負担を強いるようなことを……いえ、そうじゃなくて……)
「なんだ? 何か言ったか?」
そう言って、ヒースは体を前傾姿勢にして、前に座るナターリエの耳元で声をあげる。
「わあ! いえ、いえ、なんでもありません!」
「? そうか」
ヒースはそれ以上追及をしなかったので、ナターリエはなんとか事なきを得た。
(このまま、ヒース様と一緒にいられたら、だなんて……)
突然ふわりと浮かんだその言葉。
(どうかしているわ……)
ナターリエは、ぎゅっと鞍についている取っ手を掴んだ。ぎゅっと、ぎゅっと、強く。
さて、遡ること、一ケ月前のこと。魔獣研究所に魔獣を送った後、ヒースは王城に顔を出し、国王にそのことを報告をした。
「久方ぶりだな。3年ほど、会っていなかったような気がするが」
「は。その通りでございます」
「父君は先月の会議に顔を出してくれたがな。今日はあれか? 魔獣研究所に、新種の魔獣を運んだということで」
「はい。古代種のものとなります。古代種が発見されたエリアがございまして、今後、増える予定です」
「そうか。また、研究所で生態を調べて、研究員たちも腕の見せ所となるだろう。ご苦労だった」
国王との謁見の場。特に何を話すこともなく、単なる報告をしただけで退出をするつもりだった。が、国王の方はそうでもなかったようだった。
「実は、第二王子が、現在リントナー領にいるようでな」
「えっ、そうなんですか」
一体何がどうして、と驚きの表情のヒースに、国王は苦笑いだ。
「一方的に婚約破棄をして、リントナー領を抜けて、隣国のシルガイン王国の公爵令嬢と結婚をするとかなんだとか申しておって」
「……はあ」
「馬に乗って3日目、諦めて戻るかと思ったらそうでもなくてな……追跡をして、まあ、あれだ。国境を越える前に、リントナー家で保護をするようにと、先程依頼をかけた」
「そうですか」
どうにもやりきれない表情の国王を、怪訝そうに見るヒース。それにしても、逃亡している王子より先にリントナー家に依頼をかけるとは、鳥を使ったか、早馬を使ったか、と考える。
「ああ、うん、それで、世話になるかもしれないのでな。今はまだ、王子をどうするか協議中なので、保護依頼しか出していないのだが、もしかすると飛竜で王城に連れ戻すことになるかもしれないのでな」
「は。かしこまりました」
それだけを言って頭を下げるヒース。他にとりたてた会話もなかったが、退出前にハッと思いついたことがあって、声をあげた。
「そうだ。陛下、お願いが一つございます」
「なんだ?」
「王室の図書館から、魔獣や古代種に関する書物などを、リントナー家に貸し出しをしていただけないでしょうか」
「おお、そうだな……いや、しかし、今あれはナターリエが使っているか……?」
「え?」
「いや、なんでもない。良いぞ。担当者にはこちらから話を通しておく」
「ありがとうございます」
そうしてヒースは王室の図書室から大量の書物を持ち出す許可を得た。彼が謁見の間から出て行った後、国王の隣に座っていた王妃が「あなた」と声をかける。
「まさか、ナターリエの試験の邪魔をしようと?」
「……」
「ディーンが逃げ出したのに、まだスキル鑑定士として彼女を抱えたいと?」
「違うぞ。本当にスキル鑑定士をそのまま続けて欲しいのならば、それは王命で命じた」
国王はそう言ってため息をついた。
「なので、これは、そのう、最後の、最後のあがきというやつだ」
「まったくもう……」
王妃は眉根をひそめて国王を見る。だが、それも少しの間で、すぐに笑みを浮かべて
「仕方がなかったのですよ。ディーンは王族としてはよろしくないことをしましたし、ナターリエがスキル鑑定士をやめるのも、今となってはその詫びとして許してあげなければ。それに、リントナー家から古代種が数多く運ばれてくるとなれば、研究所に更に魔獣鑑定士も必要でしょうし、ナターリエは良い時に魔獣鑑定士になったのでしょうね」
「まだ、なっておらん」
その国王の拗ねた声を聴いて、王妃は「そうですね」と言って笑う。
「ただ、現場での魔獣鑑定士はなかなか大変だとは聞きました。動く魔獣を目で捉えて、そこでスキルを発動して」
「そうだな……現地に行かせれば、ナターリエも、大変さがわかって嫌になるかな?」
「そうかもしれませんね」
「いや、しかし、そんな危険な目にナターリエを合わせるわけにはいかん……」
要するに、国王はナターリエのことを気に入っているのだ。ナターリエ自身の好き嫌いは置いて。
「そうですねぇ、しばらくは魔獣研究所に勤めてもらって、様子を伺いましょうか」
「まだ、まだ、魔獣鑑定士になってはおらん!」
そう言い張る国王に、王妃は「はいはい」と言って、また笑った。
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