第21話 デートの誘い

「なんだ。たった一晩で、どうして仕事が溜まっているんだ?」


 呆れるように口をへの字に曲げるヒースに、フロレンツは冷静に「それは、その前日から仕事を貯めていらしたからでは?」と答える。


「書類仕事はちょっと苦手なんだよ……」


 と、ヒースはイヤイヤながら執務椅子に座り、机の上に乗っている書類に目を落とす。彼は彼が言うほど事務が苦手なわけではないが、体を動かす方が好きなのは事実だ。


「ルッカの町近くに魔獣が現れているのか」


「そのようです。リントナー家の騎士団が出ていますが、飛竜での巡回を依頼されました」


「なるほど。そちらに人員を割くと、古代種の捕獲はちょっと時間がかかるようになるなぁ~」


 と言いつつ、ヒースは少しばかり嬉しそうだ。あ、これはナターリエを長く滞在させたい、というつもりだな……とフロレンツは気付く。


「それにしても、よくもナターリエ様と野営をなさりましたね」


「え?」


 フロレンツに言われ、ヒースは執務机でサインをしていた書類から顔をあげ、不思議そうな表情を見せる。


「伯爵令嬢ですよ」


「まあ、そうだな……それは、まあ……」


「まあ?」


 冷たく返され、慌てるヒース。


「いや、だって、仕方がないだろう……?」


 深く溜息をつくフロレンツ。確かに、いくら仕方がなかったとはいえ、軽率だったとヒースも多少は思ってもいる。


「いや、だが、まあ……色々と話も出来たし、悪くはなかったぞ」


「そういうことではございません。あの方は、婚約破棄をされたばかりのご令嬢です。破棄からそう時間が経っていないのに、いくら野営とはいえ男性と二人きりで、という話は非常によろしくない。邸宅の者と、飛竜騎士団には、他言無用と言い伝えておきました」


「……なるほど?」


 わかったような、わからないような表情でヒースはフロレンツを見る。フロレンツは「あまり、言いたくはありませんが」と前置きをした。


「魔獣鑑定士になったのが、第二王子に婚約破棄をされてヤケになっていたからだ、という噂までが、流れておりました」


「……それは、あれか。エルドを魔獣研究所に送った時にか」


「はい。第二王子が王城に戻ったことで、色んな憶測が飛び交っていて。勿論、国王陛下の耳に届けば否定をしてくださるとは思うのですが、いかんせん、貴族たちの噂というのはなかなかそうはいかないので」


「そうだな」


「また、心無い者からは、リントナー領にいらしたことが既に知られていて、ナターリエ嬢が第二王子を追いかけてこちらに来たので、逆に第二王子が王城に戻った、などという酷い噂もありました」


「……エルドを魔獣研究所に送っただけなのに、お前、なんでそんな噂を仕入れて来てるんだ?」


 と、若干斜め上の感想を漏らすヒースに、フロレンツは「それは置いておいて」と冷たく言い放つ。


「ご本人はそう気にはされていないようですが、当分王城方面ではあれこれと噂が飛び交うでしょうね」


「……グローレン子爵邸でパーティーを行っていたんだが」


「はい?」


「まず、邸宅に入る前に、噂話を耳にした」


「それは」


「単に馬車から降りて、邸宅までの短い距離だ。ナターリエ嬢を可哀相にと言いつつも、それにしても、国を越えて逃げようとするほど結婚が嫌だったなんて、と面白可笑しく話す者たちがたまたまいてな」


 ヒースは溜息を深くついた。


「勿論、その時は、俺はナターリエ嬢を知らなかったし、どうやら第二王子が国境を越えるためリントナー領にいったらしい、という話を陛下から聞いた程度だった。だが、一方的に婚約破棄をされたという話だったので、それは、どんな令嬢であろうと悲しいことだと思ったし、それを笑い話にするのは……と思ってな」


 今思い出しても腹立たしい、と口をへの字に曲げるヒース。


「その上、邸宅に入ったら、あちらこちらからナターリエ嬢の話を、本当のことを知らない者が『そもそもどうしてあの伯爵令嬢が第二王子と婚約していたのか』だとか『顔だけで選ばれていたのかもしれない』だとか、そんなことを話していて……」


「それはひどいですね」


「貴族というものは、噂話が好きなのだなと思ったら、こう、なんだ、ナターリエ嬢がどうの、とは関係なく、苛立ってしまってな……それで、まあイライラを鎮めようと、グローレン子爵が所有している竜を見に行ったら、そこでナターリエ嬢に出会った」


「え? 魔獣鑑定士の試験で会ったのではなく?」


「ああ。グローレン子爵のパーティーだな」


「なるほど」


「ああ、そして……」


 逃げられた。慌てて走って去るナターリエの後姿を思い出して、ヒースは1人で「ふはは」と笑い出す。それを「なんですか、気持ちが悪い」と冷たくあしらうフロレンツ。


「あの逃げっぷりは、面白かった。それで興味を持って……」


 そして、翌日にはハーバー家にまで押しかけてしまった。少しでも彼女のことを知りたくて。結局は、あまり話すことがなく早々に退散することになったが。


 それから、魔獣鑑定士の試験で再会をした。どれほど自分の心があの時に浮き立っていたのかナターリエは知らなかったことだろう。そして、それから今日まで、とんとん拍子で話が進んで、今は彼女が自分の身近にいることが当たり前になって。


(最初は、ただ興味があっただけだった。面白い令嬢だと思っただけだった。ああ、そうだ。最初は……)


 しかし、いつからだろうか。そうではない感情が大きくなったのは……と、それは昨晩彼女の寝顔を見ながら考えていたことだった。だが、彼にはその答えがはっきりとはわかっていなかった。


 緩やかに、気が付けば大きくなっていたのだと思う。今、当たり前のように、自分の飛竜で共に乗って、当たり前のように一緒に飛んでいるが、いつからだろうか、他の誰にも任せたくないと思うようになったのは……。


「どうするかな……」


 ぼそりと呟くヒースに「そちら、急ぎの書類です。早く目を通してください」とフロレンツは容赦なく仕事を与えたのだった。




 さて、ナターリエはリューカーンの谷から戻ってきて、ゆっくりと一日休みをとった。それはもう、だらだらと、ゆっくりと。ユッテからは「そもそも伯爵令嬢というものは、だらだらとゆったりとお過ごしになるものですよ」と言われ、考えれば妹のカタリナは確かにそうだったな……と思う。


「ナターリエ嬢、いるか?」


 夕方近く、もうすぐ夕食、という時刻にヒースがやって来た。


「どうなさいました?」


「明日、町に行って、それから、リントナー家に行くが」


「? はい」


「一緒にどうだ?」


「……」


 ぱちぱちと瞬きをする。それから「えっと……」と困惑の声を振り絞った。


 リントナー家に行く、ということは、第二王子を軟禁、いや、お預かりをしていた場所に行くと言うことで、その話が出るのではないかと彼女は考えた。と、その様子を見たヒースは、はっとなり


「ああ、違う違う。その、第二王子関係ではなくてだな。もしよかったら、リントナー家にある、魔獣に関する資料を見に行かないか、という話だ」


「えっ」


 やはり、魔獣関係への食いつきは違う。目を輝かせるナターリエに「どうだ?」と尋ねると「はい! 是非!」と、次は躊躇も何もなく前のめりだ。


「そう長くは飛竜には乗らないので、それなりに動きやすいドレスで行けると良いかな……? いや、気にしないかな……」


「あっ、そうですね。リントナー家にお伺いするのであれば、ドレスでなければ。ご挨拶もしませんといけませんし。わかりました!」


 大喜びのナターリエに、ヒースは「あ、ああ」と頷いて「では」と部屋から出た。ナターリエは満面の笑みだ。


「まあ、まあ、リントナー家の資料ですって。楽しみだわ……」


「ほんと、お嬢様って……」


「なぁに、ユッテ」


「いえ、なんでもございません」


 そのユッテに、軽く唇を突き出して、不満そうに話すナターリエ。


「でもね、わたしだって少しは悩みがあってね……第二王子が、国境を越えようとして……それを、リントナー家で保護をしたんですって」


「えっ、そうなんですか!?」


「そうなのよ。だからね、その、ヒース様のご実家に行くとなると、ちょっとだけ……ちょっとだけ、こう、緊張してしまうというか……第二王子から、何か、その……よろしくないことをお聞きしてないのかなとかね……ああ、これが婚約破棄をされた令嬢かと……思われたら……いえ、それは思われるわよね。事実ですもの」


 そう言って、少ししょんぼりするナターリエ。ユッテは慌てて


「だ、大丈夫ですよ、お嬢様。きっと、きっと、何かあっても、ヒース様が守ってくださいますし!」


 と、わけがわからないことを言い出した。だが、そのわけがわからないことに、ナターリエもまた


「そうよね。ヒース様が、守ってくださる……わよ、ね」


と返す。返してから、しみじみと考えるナターリエ。


(ヒース様に守っていただいたためしは別にないというか、実際にピンチになったことなんてそもそもないけれど、何故か、守っていただけると、わたし本当に思っているんだわ……)


 そわっと胸の奥が不思議と温かい。それが一体何なのかはわからなかったが、ナターリエは「そうよね」とぽつりと呟いた。

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