第5話 ヒース・リントナー

「ヒース様! お久しぶりでございます!」


「おう、ビッケル久しいな。また子爵が竜を購入したと聞いて、ちょっとパーティーを抜け出して覗きに来たのだが……ええっと、そちらのご令嬢は……」


(お初にお目にかかります。わたくし、ハーバー伯爵が娘……)


 そこまで心の中で名乗りをあげてから、声が出ていなければ体も動いていないことにハッと気づき、ナターリエは慌てて彼女にしては上出来な美しい形でドレスをふわりとつまんで腰を落とした。


「お初にお目にかかります。わたくし、ハーバー伯爵が子女、ナターリエと申します」


「……」


 そのナターリエのカーテシーを見て、ヒースは驚いたように目を軽く見開く。


「……?」


 何も言わない彼を不思議に思って、ナターリエは彼を見上げる。視線が絡み、ヒースは慌てて言葉を返す。


「あ、いや、これは、こちらからご挨拶をせねばならんところを、申し訳ない。リントナー辺境伯子息、ヒースと言う。パーティーではお会いしていなかったような……?」


「は、はい。その……ヒース様がいらっしゃった後に、すぐにこの竜を見に来たものですから……ご挨拶遅くなってしまい、大変申し訳ございません」


「ああ、そうか」


「ヒース様、それはそうと、今おっしゃっていた火竜の血というのは……」


 話を差し込んでくるビッケル。確かにそれは彼女にとっても重要な話なので、うんうん、とうなずいてヒースを見る。


「うん? 尻尾付近の鱗の裏側の色が、火竜由来のレンガ色だろう?」


「えっ? これは地竜の色ではありませんか?」


「ああ、なるほど。見分けにはちょっとコツがいるんだ。ビッケル、ちょっと竜に触れても大丈夫か。柵の中に入りたいのだが……」


「はい。決して人間は襲わないようにしつけられておりますので」


「あっ、では、わたしも触ってもよろしいのでしょうか?」


 ナターリエの言葉に、ビッケルとヒースはどちらも驚きの表情を見せる。まさか、貴族令嬢が竜に触りたいと言い出すとは2人共思っていなかったからだ。


「大丈夫ですか……?」


「えっ? こんな機会は滅多にありませんし……?」


「ナターリエ様、柵の中に入りますと履物が土で汚れますが」


「お気遣いありがとうございます。ここに限らず外を歩けば汚れるものですわよね? 会場の床を汚すわけにはいかないでしょうから、終わったら帰ります。ビッケル様から子爵にお伝え願えますか」


「は、はい……」


 ビッケルが先に柵の鍵を開けて中に入る。竜はまったく動かず、静かに三人を見守るだけだ。確かによくしつけられていると思う。


(竜は、知能が高い魔獣だけれど、こんな風に穏やかでいられるなんて……食事で、満足するタイプの個体なのね)


 ナターリエは、しばらくぼうっと竜を見上げた。実のところ、人に捕獲をされた竜は、適切な運動、それから「食事をもらえる」ことに満足をするものと、そうではなく暴れ続けるものがいる。少なくともこの竜は、前者のもののようだった。


 ヒースは、竜の側面に触れながら「申し訳ない。少し触らせてもらうぞ」と声をかけ、それから後ろに回る。


「ビッケル。子爵にも伝えておくので、あとで説明するといい。鱗の裏の色、という表現は、裏側の鱗の付け根……つまり、生え際側のことであって、容易に見える部分ではない」


「!」


「この竜はわかりやすい。鱗裏の付け根はほとんどが見えないものだが、この尻尾付近の鱗が、そうだな。言葉で言えば、毛羽立っているような、と言えばよいのか。座ることが多い地竜は、この部分の鱗がぴったり張り付くものと、この竜のように逆に外側にめくれる形になるものがいる」


その言葉にナターリエは驚いて、ぐいと顔を突っ込む。瞬きを忘れて、じいっと鱗の裏側を覗き込んで感嘆の息を漏らした。


「まあ、本当ですわね。ここの鱗が、外側に反っているのですね……まあ、まあ……」


「……そして、外側に反っていれば、裏の付け根の色が見やすい。これは、火竜由来の色だ。この辺が反っているので、見るものが見れば近づかなくともレンガ色が確認出来て一目でわかる。が、竜のその時の態勢や角度によるし、きっと幼体の頃は見えなかっただろうし、気づかなくてもおかしくはない」


 ビッケルは驚いて、ナターリエに確認をした。


「もしかして、ナターリエ様は、これをご存じだったのではないのですか……? 違うのですか?」


「えっ、あ、あの……」


「ご存じではないのに、火竜の血を引いているとおっしゃっていたのですか?」


「えーと、えーと……なんとなく、なんとなく、火の匂いがするなって……思いましたの……!」


 苦し紛れにしても雑すぎる言い訳だ。その会話に、今度はヒースが目を丸くする。


「ナターリエ嬢はこの竜が火竜の血を引くとご存じだったのか?」


「い、いえ、あの」


 しどろもどろのナターリエ。だが、困ったことにビッケルがそれにはっきりと答える。


「はい。先ほど、火竜の血を引いているとご指摘いただいて……」


「なんと。しかも、それが火の匂いがする、なんて理由だとは……もしや、ナターリエ嬢は、魔獣使いのスキルがあるのでは……」


 そんなスキルはありません! と大声で否定をしたかったが、否定したところでどうにもならないことをナターリエはわかっている。仕方なく「ほほ、そ、そうかもしれませんわね……」と、毒にも薬にもならない相槌を打って、ささっと柵から出た。


「で、では、汚れた靴では戻れませんので、このまま帰らせていただきますわ。ビッケル様、ありがとうございます。くれぐれも子爵によろしくお伝えくださいませ。それから、ヒース様、ご挨拶出来て光栄でした。またお会いした時は、竜のことを色々教えてくださいましね。では!」


 美しい形の挨拶とは裏腹に、ナターリエは全速力でその場から駆け出した。やばい。やばいやばい。いや、あれ以上特に追及される場もないだろうし、ヒースなら、きっと竜舎の改善なども子爵に提案してくれるに違いない。とにかく一刻も早く馬車に飛び乗ってここから去ろう、そうしよう、ところで、ここから馬車までどう行けば……と、脇目もふらずに走っていると、使用人の待機所にいたはずのユッテが何を嗅ぎつけたのか、前方に現れて馬車まで誘導をするという、ナイスアシストをする。


「お嬢様~! 馬車はいつでも出せる状態でございます!」


「有能にもほどがあるわ……! どこから見ていたの?」


「お嬢様なら竜舎に忍び込んで問題を起こしてお逃げになる可能性があると思いまして、ずっと竜舎方面をうかがっておりましたら、案の定お嬢様が走って来られる姿が見えて……」


 ユッテの推測が酷すぎる。自分はそんな無茶をするタイプではないのに、とナターリエは思うが、どうやら自分付きの女中からの評価は違うようだ。


「わたしもわたしなら、ユッテもユッテよ……!?」


「わたしをこのようにしたのは、お嬢様ですよ!」


 二人がひいひい言いながら馬車に辿り着くと、ハーバー家に長く勤めている御者がナターリエを半ばボックスに押し込み、何も聞かずにすぐさま御者台に座って手綱を握る。何故かはわからないが、走って来る姿を見て、急がなければいけないと勝手に判断をしたようだ。ハーバー家の御者もこれまた、ナイスアシストと言える。


 そんなこんなで、素晴らしい使用人たちの連携でナターリエはなんとなく一命を(?)とりとめた。

 

 その走りっぷりを見送ったヒースが


「なるほど。あれが、ナターリエ嬢か……」


 と、何やら含みがあるつぶやきを残したことなぞ、まったく知らずに。

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