台覧試合

台覧試合①

 ***


 わたしが目を開けると、そこはわたしの心象風景の中だった。一本の大木、小川、花畑。中丹田を開く度に見える景色が、今はわたしの目の前に広がっていた。わたしは体にぴったりと張りつく、透ける素材のノースリーブワンピース一枚をまとった裸体に近い格好をしていた。

 花畑に影が見える。わたしが裸足のままゆっくり歩み寄ると、小さなわたしがお腹を抱えて横たわり、しくしくと泣いていた。小さなわたしは「おなかがいたいの」と言い、膝立ちになったわたしに抱きついてきた。ぽろぽろと零す涙が色鮮やかなガラス玉みたいで、花畑に落ちては彼女の足元を濡らしている。

 その中で、たまにぎょっとするほど真っ赤なものが落ち、割れては鮮血のように見えることがあった。


「とてもね、おおきなものをぬいたの。だから、おなかがいたくて、しくしくしちゃうの」


 末妹よりも幼い姿の小さなわたしは、ひっくひっくと喉を鳴らしながら、わたしを見上げる。


「花音。たくさんたくさん頑張ってくれてありがとう。さあさ、お膝に頭をごろんして。お腹が良くなるように、痛くならないように呪文をかけようね」


 わたしが花畑に座ると、小さなわたし──花音が、わたしの膝に頭を乗せ、ゆっくりと目を閉じた。わたしは髪から白い花を引き抜き、優しく花音のお腹を撫でる。たまにぽんっと叩くと、くすぐったいのか、花音がきゃっきゃっと笑う。

 わたしはお姉様から教わった歌を歌いながら、花音のお腹を白い花で撫でる。さらさらと流れていく風が花畑の花を吹き上げ、慈雨のようにふりそそいだ。


「かのんね、おおきいかのんがすき。やさしくてすき」


「ありがとう。わたしも小さい花音が好きだよ」


「おおきいかのん。ごしゅじんさまがみつかってよかったね」


「うん。本当に良かった」


「あのね、おおきいかのん。ごしゅじんさまがもうすぐくるよ」


「え?」


 わたしの膝の上をごろごろと横に転がり、花音が起き上がる。くしゃくしゃになった髪のまま、満面の笑顔をうかべた。


「ごしゅじんさまとなかよくしてね。やくそく」


 ばいばいと手を振り、花音が花畑の向こう側へ去り、すうっと消えていく。わたしが持っていた白い花も消え、花畑にはわたし一人だけが残された。

 今まで、花音がいなくなることは一度もなかった。武具姫として目覚めてから、心象風景のどこかには必ず存在していて、わたしは姿を見る度に安心していたのだ。


「花音? 花音、どこにいったの?」


 わたしは花音が戻ってくることを祈って、花音の名を呼ぶ。かくれんぼとか言って、何処かからひょっこり現れたりはしないだろうか。


「花音……」


 わたしが呼ぶ声は次第に小さくなり、花畑の花弁がそよそよと囁いていた。

 わたしは花音がしていたように、お腹を丸めて花畑に横になる。そうして目を閉じる。寂しさと悲しさでしくしく泣き始めた。

 裸足の足音が近づいてくる。足音はわたしのすぐそばで止まり、ゆっくり腰をおろす音が聞こえた。


「華」


「オウリム様」


「どうした? 腹の調子が悪いのか?」


 心配そうな声が上から降ってくる。わたしは涙にまみれた瞳を開け、首を横に振る。

 まるであの時みたいだ。オウリムが山羊の放牧地まで、わたしを探しに来てくれたとき。


「それじゃあ──小さい花音がいなくなって寂しいのか?」


 わたしは首を縦に何度も何度も振る。小さな花音。ずっとずうっと一緒にいられると思ったのに。

 オウリムが「ほら」と、影に隠れているものに話しかける。

 オウリムとは違う裸足の足音がぺたぺたと聞こえ、わたしの顔の前で正座すると、わたしの頭を何度も撫でてくれた。


「ごめんね、おおきいかのん。かのんもおおきいかのんのことがだいすきだよ」


「花音!」


 驚いて上体を起こしたわたしの胸元に、花音が飛び込んでくる。ひっくひっくと喉を鳴らしていた花音が、次第にうわぁぁぁんと大声を上げて泣き始めた。


「ばいばいなんてできない。かのんは、おおきいかのんと、ごしゅじんさまといっしょがいい」


 近寄ってきたオウリムが花音の頭を優しく撫で、花音がオウリムに抱きつく。花音を抱いてあやしている姿はまるで父親みたいだ。

 わたしが思わずくすりと笑うと、オウリムが首を傾げた。


「華、どうした?」


「いえ、そうやって小さい花音をあやす姿は、まるでお父様みたいだなって……」


「ごしゅじんさま、おとうさま! おおきいかのんは、おかあさん! えへへ、かのんはふたりのこども!」


 オウリムから離れた小さな花音が、わたしたちの間でくるくる回る。とても楽しそうに。とても嬉しそうに。

 わたしは首筋まで真っ赤に染ってしまい、オウリムも耳を真っ赤にしながら空咳を何回か繰り返す。

 よくよく見れば、オウリムもわたしと似た透ける素材の服を着ている。わたしは急に恥ずかしくなってしまい、慌てて胸元を両腕で隠した。


「どうしてかくすの?」


「は、恥ずかしいからだよ、小さな花音」


「ごしゅじんさまのことがすきなのに?」


「そうなんだけど、その、あのね」


 漂う性の匂いに、わたしは思わず言い淀む。

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