寄る辺の花

寄る辺の花①

「あーもう、やめだやめだ!」


 王宮から台車に乗せて運んできた、大量の資料。朝一番から資料と格闘していたオウリムが、碁盤を片づけた丸机に突っ伏した。

 わたしは洗濯紐に洗濯物を干し終え、手の水気を拭う。一体オウリムは何を読んでいるのだろうと興味津々に近づくと、わたしには目が滑る文章の羅列が散乱していた。思わず「ゔっ」と重い声が漏れてしまう。


「オウリム様、これは一体何の資料なのですか?」


「兄貴と皇后と俺が、反逆罪に問われた儀式の資料を探してる。大体あのばばが『どこに何をしまったか分からん。勝手に探せ』とか言うせいで、片っ端から探すはめに……資料の整理ぐらいしとけってんだ!」


 ぐるるると今にも噛みつきそうなオウリムが、もう一度丸机に突っ伏す。

 わたしはオウリムの頭を撫で、温かいお茶でも入れようと考える。既に見知った台所へいき、オウリムお気に入りの茶葉缶を開けると空っぽだった。予備の茶葉がなかったか、上の戸棚を背伸びして開ける。暗くて中身が見えない。

 諦めて下の戸棚を開け、四つん這いになって中身をごそごそ探っていたところ、唐突にオウリムが立ち上がる。つかつかとわたしに歩み寄り、自分の上着をお尻にかけてくれた。


「華。今の体勢は危ない。その、あの、そのだな、下着が全部見える」


「はい……ごめんなさい」


 わたしが戸棚から抜け出し、素直に謝罪の言葉を口にしたことで、オウリムが安堵の息を吐く。よしよしと頭を優しく撫でられ、きゅっと甘酸っぱく抱きしめられた。


「よし。華、一緒に外へ行こう」


「外ですか?」


「茶葉も切れたことだし、帝都の店巡りしようぜ」


「楽しそうですね!」


 初めて帝都に来た日は夜中で、真っ暗で何も分からなかった。初めて王宮の外に行ける。それもオウリムと一緒に。絶対に楽しいに違いない。

 わたしが賛成の拍手を送ると、オウリムが微笑んだ。


 ***


「うわぁ……すごいです!」


 一面に広がる色とりどりのテント達。端がどこまであるのか分からないぐらい、先まで続いている。大きく伸びをしたオウリムが「雑貨街さ」と説明してくれた。

 オウリムと手を繋いで歩く。王宮内では見られたらオウリムが困るかもしれないという理由で、わたしは手繋ぎを遠慮していた。けれどもこんな楽しそうな場所で、誰に見られても分からなそうな場所ならば、たまには恋人らしいことをしても許されるかもしれない。わたしが繋ぐ手に力をこめると、オウリムがきゅっと握り返してくれた。

 見たことのない柄の織物。色々な動物をモチーフにした像。足元で鳴く鶏たち。多種多様な穀物の山。

 わたしは漂ってきた甘い匂いに、ふと足を止める。見た目は果物屋ながら、吊られている果物に見覚えがない。一番甘そうな匂いがしたのも、未成熟に見える薄緑色の葡萄らしきもので、わたしはオウリムに「これはこのまま食べられるのですか?」と尋ねてみる。オウリムも首をかしげ、日焼けした店主とすらすら別言語で会話をし始めた。

 普段は見ないオウリムの姿に、わたしは思わずときめいてしまう。どきどきしてしまう。


「華。これは葡萄の仲間らしいんだが、薄緑色のほうが皮ごと食べられて甘いらしい。滅多に出回らないものだから試食してみないか?」


「はい!」


 わたしの元気な声にオウリムが笑う。店主と短いやり取りをすると、わたしとオウリムの掌に薄緑色の葡萄の粒が一つずつ乗せられた。わたしとオウリムは同時に口に入れ、一口齧る。ぶしゃあと溢れ出てきた果汁の甘さに、思わず二人で顔を見あわせた。


「うまっ!」


「おいしいですっ!」


 店主がにこにこ笑いながら、別言語でなにかを説明している。オウリムが頷いて聞き、指を使いながら金銭交渉を始めた。

 両手合わせて六本で決着が着き、オウリムが皮の巾着袋を取り出したので、私は慌てて首元から下げた布袋をぎゅっと握る。全財産はこの中に入れてきた。きっと足りるはず。多分。

 オウリムが金貨を一枚と銀貨一枚を店主に渡し、葡萄二房入った袋を代わりに受け取る。

 店主に別れを告げ、わたしは元の道に戻りながらオウリムを見上げる。


「さっきの葡萄、おいくらでした?」


「見ての通り、金貨一枚と銀貨一枚。もう少し粘れば、銀貨分は安くなったんだけどな」


 清涼園のおばば様に換金してもらったお金に、金貨も銀貨もなかった。疑問符を掲げているわたしを見て、オウリムが噛み砕いて説明してくれた。


「華が持っている札は帝都の店でしか使えない。さっきの店みたいな場所では硬貨のほうが喜ばれるんだ。ちなみに銅貨五十枚で銀貨一枚、銀貨百枚で金貨一枚が大体の相場な」


「ということはつまり……」


 オウリムは最初からわたしに支払わせる気は一切なかったってことだ。わたしが片頬をむぅと膨らませると、オウリムが葡萄を入れた袋を片手に頬をつんとつついてきた。


「こういう時ぐらい、俺に格好つけさせてくれ。華はただ、俺ってすごいと思ってくれればいいんだ。それで華が俺のことをもっともっと好きになってくれれば、俺は嬉しいし、お金を出して良かったとも思える。な?」


 わたしは渋々ながらも頷く。けれども全部が全部甘えるわけにはいかないと思って、わたしはオウリムと繋いだ手に空いていた片手を重ねた。


「オウリム様。ありがとうございます。でも、なにかあったら、ちゃんとわたしにも頼ってくださいね?」


「もちろん。困った時もそうでない時も頼りにしてるよ、俺の可愛いお姫様」


 人好きのする笑顔で言いきられ、わたしは耳から首筋まで真っ赤に染まる。同じく耳の端を赤くしたオウリムが、きゅっと繋いだ手を握り直した。


「いくか、華」


「はい、オウリム様」

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