鍵の武具姫③

「試してみたけれど、西の離宮の鍵ではなかったわ。もしかしたら、ドンファンが夢中になってる鍵の武具姫のものかもしれないと思って」


 二人目の鍵の武具姫。

 わたしは自然と鍵を握る手に力をこめる。


「その武具姫のこと、何か分かりますか? 番号でも名前でも、なんでも良いんです」


「番号はおそらく六十九番。私が清涼園にいた時、まだその人も清涼園にいたから。此処に来てからの名前は分からないけれども、ドンファンが寝言で『リンファ』って言ってたことがある。もしかしたらその人かも」


 おそらくでも、もしかしたらでも、今のわたしにとっては有益な情報だ。わたしは「ありがとうございます!」と頭を下げ、勢いよく立ち上がろうとしたところを「刀剣ちゃん」の声でぴたりと止まった。

 姿勢を正して座り直すと、亜麻色の髪の女性がゆっくり頭を下げた。


「初めて会った日。あなたのお姉さんのこと、何も話せなくてごめんなさい。あなたのお姉さんは、私にも他の武具姫にも優しく接してくれた素敵な人よ。お姉さんを恨む武具姫は誰もいないと思えるぐらい、本当に素敵な人」


 だからね、と話が続く。


「反逆罪に問われたは、皇太后様がなにか仕組んだんじゃないかと思うの」


 ***


 わたしは東の離宮までの道を全速力で駆け、整わない息のまま扉を開いた。オウリムがソファでうたた寝をしているのが見え、静かに扉を閉める。もちろん、鍵もきちんと閉めた。

 女官服からいつものワンピースに着替え、洗濯紐へ近づく。洗濯が二人分になったことにより、入れ替わりで洗濯物を干しているのだ。わたしは焼肉の匂いがする女官服を浴槽にかけ、干されている洗濯物に手を伸ばす。

 オウリムの洗濯物を取りこむことに、わたしはまだ慣れていない。どうしても妙な恥ずかしさが勝ってしまって、なるべく見ないようにして取りこんでいる。シャツ、シャツ、ズボン、そしてつつましく干されている下着類に手が触れる。


(……オウリム様のぱ、ぱ、ぱ、パンツ様……!)


 わたしの右と左の耳から熱がばしゅんと抜ける。下着類だけ洗濯紐に残っていることを見たら、オウリムはどう思うだろう。もしもわたしだったら、ちょっとだけ悲しい。だって、今のわたしとオウリムは世間一般でいう恋人同士ってやつで──相手の下着ぐらい平気で見慣れなきゃいけないんだと思う、多分。

 わたしが下着類に視線をくれ直した直後、横から伸びてきた手が洗濯ばさみをぱちんと外した。床に落ちないよう、わたしは慌てて手を伸ばす。くしゃりと手の上に下着が鎮座し、ほっと溜息をつく。


「オウリム様! た、ただいま戻りました」


「おかえり、華。恥ずかしがっている姿が可愛かったし、今の光景もそそるものがあるな」


 わたしは慌てて、下着を持った右手を背中に隠す。他の洗濯物を受け取ったオウリムが、にこりと笑った。


「華、華、俺の可愛い華」


「な、なんでしょうか?」


「隠しているものを返してくれ。ちゃんと名前を言いながら」


「え?」


 わたしは生唾を飲みこむ。オウリムがじりじりと距離を詰め、もうすぐ背中が浴室の壁に触れるところまで来た。オウリムの手が、とんっと浴室の壁を叩く。あまりに近すぎる距離に、わたしは再度ごくりと喉を鳴らした。


「オウリム様のシャツとズボンをお返しいたします」


「うん」


「それから、オウリム様のし、し」


「し?」


「お下着お返しいたしますっ!」


 わたしはできる限り顔を横に向け、下着をのせた両手を眼前に差しだす。耳の先まで顔が真っ赤だ。

 どうしよう、オウリムがなかなか受け取ってくれない。お下着様じゃなかったから駄目だった? それともやっぱり、おパンツ様だったってこと?


「他の言い方は?」


「ありませんっ」


「ふぅん」


 オウリムが下着を受け取ってくれる。ほっとしたのも束の間、洗濯物が全て床に落ちる音がして、わたしの体はぐいっと壁に押しつけられた。

 額、耳、頬、首筋をオウリムのくちづけがかすめる。唇までもかすめて逃げてしまって、とてももどかしい。ちゅ、と音を立てて金の鍵にくちづけが落とされ、小さな欲望に火がついた。

 わたしはオウリムの髪を撫で、耳を剥き出しにし、かぷりと甘噛みする。オウリムの体がびくんと一瞬大きく震える。耳はオウリムの弱点だ。甘噛みしながら耳の輪郭をなぞり、反対側の耳を指先であやす。片耳が終われば交代し、もう片耳にも同じことを繰り返す。

 はあっと大きな息を吐いたオウリムが、わたしの指を耳から外す。ゆっくりとした動きで唇も外される。真正面から瞳がかちあい、もどかしさの頂点に達していたわたしが先に唇を奪う。少々乱暴だったかもしれない。応えてくれるオウリムのくちづけが優しくて、わたしはもっと、もっと、とねだりたくなる。オウリムの唇が頬、額、耳の先へと伸びていく。首筋に落とされたくちづけが、ちりっと甘い痛みを訴えて、わたしは微かな声を上げた。

 わたしが最後に唇をねだると、オウリムは一度寸止めしてから、くちづけを落としてくれた。


「オウリム様。大好きです」


「俺も大好きだよ。華はいつも先に言うのな」


「言いたくなるから言うんです」


 わたしとオウリムは笑いあい、床に落ちた洗濯物を拾う。今度は下着を見ても触っても平気だった。

 オウリムが洗濯物を片づけている間に、わたしは焼肉臭い女官服を洗うことに専念する。浴槽に水桶で水を張り、女官服を濡らす。洗濯板を持ってきて石鹸で洗っていると、途中からオウリムが変わってくれた。


「焼肉臭いな。これ」


 わたしは内心泣きつつ、かくかくしかじかで昼の出来事を話す。メイリンのこと、槍のお姉さんからもらった銀の鍵のこと、二人目の鍵の武具姫が『リンファ』というらしいこと。そして、お姉様が反逆罪に問われた、ある儀式のことを。

 オウリムは全て黙って聞き、洗い終えた女官服の水気を絞る。ある程度絞り終えると、洗濯紐に干してくれた。


「沢山調べてくれてありがとうな、華。分かりやすいところから答え合わせをしよう」


「はい」


 わたしとオウリムは長椅子に移り、わたしは首元から下げた布袋から銀の鍵を取りだす。表と裏をかえすがえす見ていたオウリムが短く言った。


「これは月影宮げつえいきゅうの鍵だ」

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