鍵の武具姫②

 食後の杏仁豆腐までぺろりと綺麗にたいらげ、メイリンが手拭いで口元を拭う。わたしは空になった彼女のグラスに水を注ぐ。「ありがとう」と口にしたメイリンの唇は、落としきれない脂で艶めいていた。

 わたしは自分のグラスにも水を注ぎ、一口飲む。からからに乾いた口内に、水分が染み渡っていく。


「それで続きは?」


 薄紫色の瞳がわたしを射抜く。

 緊張と威圧感で今すぐ逃げだしたい。食べたもの全部吐きだしそう。でもだめだ、せっかくの機会を潰してしまったら、この人は、そうやすやすと次の機会はくれない。

 胸元の鍵をぎゅっと握り、わたしはメイリンを正面から見る。


「仮説その一。鍵の武具姫は双子ではなく、別々の個人二人が鍵の武具姫である」


 華、話があるんだ──と、オウリム様の声がわたしの頭の中で残響する。ケイケイの話を聞き直し、さらに皇太后の部屋で行われた鍵の開閉を見て、閃いたことがあるとも。


「仮説その二。能力は分けあっているわけではなく、二人は互いにそれぞれ能力を持っている。ただし、能力の使用方法、使用範囲、能力の対象となるものには差異がある」


 ──鍵は開けて、閉めるものだと俺は思っている。でもケイケイは違うんだ。鍵はかけるもので、外すもの。同じことをしているはずなのに、言い方が違うだけで微妙に違って聞こえる。これは能力や対象の違いで生まれたんじゃないか?


「面白いお話ね」


 長い長い視線同士の格闘の末、メイリンが「ふふ」と無感情無表情で言った。


「六十点あげる。この短時間で考えたにしては上出来ね。概ねオウリムが助言したんでしょうけれど。楽しかったからいいわ」


「ありがとうございます」


 わたしの背中から、どっと汗が吹きだす。わたしはずるずると椅子から崩れ落ちかけた体を持ち直し、姿勢を正す。久しぶりに深呼吸した空気は、さっき食べた味のしない汁そばよりも美味しかった。

 メイリンがふふと笑い、水のグラスを傾ける。空になったグラスのふちを指でなぞり、水滴を拭き取った。


「華。あなたが花の能力を一つ見せてくれたから、私もあなたの言うことを一つだけきいてあげる。何が良い?」


「会って欲しい人がいます」


「それだけ?」


「はい」


「今時の若い子はどんなものかと思っていたけれども、あなた面白い。気に入ったわ」


 メイリンが薄紫色の目を細め、ふふと無感情な声で笑う。

 現在おいくつでいらっしゃるんですか、とは流石に聞けず。わたしはひくついた笑みを返すのが精一杯だった。


 ***


 人に会うのは明日が良いというメイリンの条件を飲み、わたしとメイリンは波璃宮へ戻った。

 波璃宮は午後のお勤めがないかわりに、湯殿の温度管理も兼ねて入浴ができる。武具姫のわたしにとって清涼園の水をたっぷり使った一番風呂は、最高のご褒美といっても過言ではない。まだ掃除し足りないらしいメイリンを残し、わたしはうきうきと湯殿へ向かう。

 円形状の部屋には誰もいなかった。わたしはいそいそと入浴準備を済ませ、中段の台座に腰をおろす。流れてくる水はだいぶぬるかったが、わたしはほぅと小さく息を吐く。この調子なら、他の人達が入浴する頃にはちょうど良い湯加減になりそうだ。

 わたしはひとしきり入浴を楽しみ、洗い場へと向かう。白い泡をもこもこと立て、全身を泡だらけにする。オウリムに「焼肉臭い」と言われたら泣いてしまいそうなので、足の爪先から髪の先まできっちり洗う。

 わたしが髪を洗っている最中、扉が開き、人が入ってくる気配がした。右手の金の印字がうずく。相手は武具姫だ。


「あ、刀剣ちゃんだ」


 わたしが全身綺麗に洗い流し、髪の水分をきゅっと絞っている背後から声が飛ぶ。おそるおそる振り返ると、亜麻色の髪の女性が笑っていた。

 初日に此処で出会った、槍の武具姫。お姉様のことを知っている人。

 わたしは湯上りタオルで裸体と髪を包み、ある程度水分を吸ったところで【使用済み】の籠に放り込んだ。


「こんにちは、槍のお姉さん」


「こんにちは」


 女性は湯殿には入らず、手拭いを近くに置き、手でお湯をすくって体にかけている。

 わたしが近づくと、ぷん、と真新しい血の匂いがした。

 女性の胸元にぱっくり開いた傷がある。ちょうど中丹田にあたる箇所が裂けている。思わずわたしが凝視すると、女性は「あはは」と乾いた声で笑った。


「私の主が──ドンファン将軍なのだけれども、ちょっと乱暴な方でね。一日で百本の槍を作れとか、そういうのは当たり前なの。できないとお仕置されちゃう。それからこっちが扉を開く前に無理矢理中に入ってきて、真名も知らない武器を力任せに抜いていくから、遂に裂けちゃった。力も全然感じないし、中がぐちゃぐちゃな気がするから、もう武具姫としては使い物にならないかな」


「……そんな……」


 自分が同じ立場だったらどうするだろう。もし、オウリムに一日で百本の剣を作れと言われたら。無理だ。中丹田が傷んで、しばらく何もできなくなる。もしも、オウリムが無理矢理わたしの扉の中に入ってきたら。最後の扉まではいともたやすく入れるだろうけれど、真名を分からないまま武具を抜かれるのは想像を絶する痛みだろう。たとえ想像だとしても、考えれば考えるほど気が沈む話だった。


「ごめんね、重い話で。刀剣ちゃんはちゃんと主を見つけられた?」


「はい……お姉さんはどうしてドンファン将軍を主に選んだんですか?」


 わたしは一番下の段の湯殿に浸かりながら、女性に問うてみる。粗野で乱暴な人。わたしのドンファン将軍に対するイメージは、初日の件で固定されている。

 女性はほんの少しだけわたしから目をそらし、亜麻色の髪を指先に巻いた。


「当時、槍の武具姫が足りないって要請が清涼園に来てね。候補者が何人かいたんだけれども、実際にドンファン将軍に会ったら、ほら、あんな人じゃない。小さい妹達は守らなきゃって思っちゃったんだ。それでわたしが志願したの。妹達が殴られたり蹴られたりするのだけは、絶対に嫌だったから。少しはお姉さんらしくできたかな。できていたらいいな」


 ふぅーと細い息を女性が吐く。わたしは清涼園に残してきた末妹を思う。わたしがお姉さんと同じ立場なら、迷わずに同じことをしただろう。栗色の髪の幼女が脳裏で笑い、わたしは思わず口元を弛めた。


「それでね、刀剣ちゃん。私がこんなだから、最近、ドンファンったら他の武具姫に夢中なの。最低でしょ。あまりにも腹が立つから、ドンファンが落としたものを拾ってきたの。刀剣ちゃんにあげる」


 女性に手招きされ、わたしはそばで正座する。手拭いを手渡され、開けるように言われた。

 中に包まれていたのは、一本の鍵だった。銀色に青い宝石が埋めこまれた装飾には見覚えがある。東の離宮の鍵と、この鍵は瓜二つだった。

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