鍵の武具姫

鍵の武具姫①

 格子窓の隅を指でつぃーとなぞり、ふっと息を吐いた女官長が「華さん」と声を張り上げた。

 黒色の上着と緋袴の女官服を身にまとったわたしは、廊下の掃き掃除をしていた手を止め、女官長の前で姿勢を正す。縦にも横にもふくよかな女官長が大袈裟なまでの溜息をつき、額に片手を当てた。


「見てくださいな、埃がこんなにも! お掃除の基本がなっていません! いいですか、今からわたくしがお手本を見せます。目を見開いてごらんなさい!」


「はい、分かりました」


 わたしはしゅんとうなだれ、女官長が掃除している姿を見る。

 うん、最初に教えてもらった手順とも、昨日やり直された方法とも違う。気分次第で掃除時間が伸びることは、どうやら本人だけが理解されていないようだ。

 わたしは内心べーっと舌をだし、金木犀の香りがしないか、風の流れを追っていた。


 ***


 オウリムに「主と話をつけた。鍵の武具姫を探してくれ」と言われたのが六日前。

 波璃宮は男子禁制。いたずらをしかけた兵士達は元より、ケイケイが見つからなかったのは本当に運が良かったらしい。

 わたしが波璃宮で働いている間、オウリムは台車に乗せた資料と格闘し、ケイケイは資料整理を手伝いながら、月影宮の位置を地図にせっせと書きこんでいる。

 皇帝陛下、お姉様、鍵の武具姫。手が届くことを信じて、わたし達はそれぞれが奮闘していた。


 ***


 女官長の長いお説教から解放され、わたしはやれやれと掃き掃除をしていた廊下へと戻ろ──うとした途端、右手の甲の印字が今まで以上にうずいた。さらに甲高い声が聞こえ、慌てて近場の影に隠れる。


「ねーメイリン。お昼ご飯一緒にいこうねって話したじゃない。あたしは急いで仕事を終わらせてきたんだよ? どこかの馬鹿が放りだした掃除なんて、メイリンがやることはないんだよ? ね?」


 同じお団子頭をした女官服の少女が二人、なにやら揉めている。片方の少女の手には、わたしが置き去りにした箒があった。

 ふわりと鼻をくすぐる匂い。金木犀の匂い。ケイケイが探している、鍵の武具姫の匂い。

 わたしはごくりと喉を鳴らす。オウリムとケイケイと話しあって、結論に至った武具姫の仮説が頭をよぎる。

 二対一では分が悪い。かと言って、せっかくの機会を逃したくはない。首元から下げた布袋を開き、金の花の刀剣を二本取り出す。片手の掌に乗るぐらい小さなそれらを、髪から引き抜いた白い花で何度も何度もなぞる。剣の煌めきが増し、花の印がいくつも刻まれていく。


「んもー! もう知らない!」


 わたしは二人が離れた瞬間を見計らい、二本の刀剣をそれぞれの足元を狙って投擲とうてきした。

 騒いでいた少女の足元に刺さった剣が、その場で金色の閃光を放つ。叫び声を上げ、箒を持った少女を置き去りにして一人逃げだした。

 こちらは白だ。わたしの術が発動したことにも気づいていない。

 わたしは深呼吸をし、その場に残った少女と対峙する。円を描きながら体を縛るいくつもの花冠を、薄紫色の目が追っている。こちらは黒だ。おそらく術の発動前から気づかれていたはず。逃げずに術を受けたのは、自分のほうが強いと自負しているのか、それとも。

 薄紫色の瞳が、ひた、とわたしを見据える。


「助けてくれてありがとう」


「……え?」


「私、他人を馬鹿っていう人間は嫌いなの」


「……」


「あなたと一緒に食事するほうが楽しそう」


 ふふと笑う声も視線も無感情のままで、わたしは蛇に見込まれた蛙のように緊張で固まった。

 オウリム様。ケイケイさん。わたし、触れてはいけない人に触れてしまったかもしれません。


「先に掃除を済ませたいの。その後食事へ行きましょう」


「は、はい」


 わたしは指を鳴らし、花冠を消す。

 自由になった体で、少女は小一時間みっちり掃除をしたのだった。


 ***


「山羊肉の焼肉と山羊肉の串焼きと麦飯を大盛りでください。食後に杏仁豆腐も」


 注文をききにきた食堂の人間に、少女──メイリンが早口言葉も真っ青な注文を平然と言い切った。わたしは「汁そば一つ」と至極並な注文をし、レモンを浮かべた水を飲む。

 昼の時間をすぎているからか、食堂の利用客は疎らだ。にもかかわらず、メイリンがさっさと腰を下ろしたのは中央の大テーブルだった。

 何も隠す気がないのか、この人は。完全にペースを乱され、わたしは何度も水を飲んでは落ち着きを取り戻そうとする。


「私はメイリン。あなた、名前は?」


「華です」


「真名を隠す気がない名前ね」


 メイリンの言葉がぐさりと胸に刺さる。この名前の原型はたしかに真名の半分ですが、大好きなオウリムが考えてくださったんです。読み方が同じ当て字ですが、わたしはとっても気に入っているんです。他にも沢山言いたいことはあるけれども、以下省略。

 わたしは水を飲み干し、肝心の質問を口にする。


「メイリンさん。あなたは鍵の武具姫ですか?」


「そうよ」


 即答。迷いのない答えに、わたしはごくりと喉を鳴らす。

 運ばれてきた山羊肉の焼肉と串焼きの山が、メイリンを湯気で覆い隠してしまう。次いで運ばれてきた大盛りの麦飯と汁そばを見て、メイリンが短く言った。


「私、食事は集中して食べたいの。質問は後からにしてちょうだい」


 食事を開始したメイリンが無言になる。

 わたしは汁そばの澄んだ汁を見ながら、次にどう質問すべきか考える。まだこちらの手札は開示していないが、相手からの質問にも備えておかなければいけない。

 わたしはお腹からふーっと静かな息を吐き、目の前の汁そばに向かって「いただきます」と頭を下げた。

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