第24話 限りなく碧い海

 その後、ママとさらら姉さんは急いで畑のおじさんのところに走り。交渉の末、話はすんなりとまとまって、姉さんは無事あの柿の木の家の住人となることが決まった。フランスから旦那様の荷物も届いて、そのまま引っ越しも終えて、名実ともに日本での活動のスタートになった。

 その後知ったのだけど、籍を入れた後だから、私の義理のお兄様は、フランスでは新進気鋭の名のある画家なのだった。美術部の滝本君が自分の見たお兄さんの絵を、凄い絵だと得意げに個展の感想を話してたから、

「その人、家の姉さんの旦那様よ。フランス人よ」

 と言うと、気楽に話題にした私を攻撃するかのように詰めより、一目惚れした弱みからか相当な熱量で会わせて欲しいと懇願してくる。

 瀧本くんにはイラストやポスターで日頃から世話になっているから、仕方なしに姉さんの家に案内してあげたら、本人との対面に感極まった滝本君が、舞い上がって、その場でお兄さんに頼み込み、当分絵の勉強がしたいとかであの家に通うことになったらしい。

 不思議なもんだ。『叩けよさらば開かれん』お兄さんも日本に来ての初めての内弟子に戸惑いながらも、真面目にデッサンに取り組む少年の眼差しに大変気をよくしていた。


 たったふた月のことなのに、結婚式を兼ねた小笠原ヘの旅行はとても待ち遠しかった。

 私は改めて小笠原のパンフレットを見るにつけ、ここが、こんなに離れた島が東京都で、毎日船が通っていないことや、向こうまでまる一日かかるほど遠いことや、亜熱帯気候なことや、固有種の多い植物性、野生の山羊がいること、そんなあれやこれやにすっかり驚いて、剣士の領域の不可思議さに、その後見つけた本に釘付けになっていた。本好きな私としては読み応えのある一冊を借りて読みふけった。面白くて集中して読んだから読み終えるのに何日もかからなかった。

 越し方11年目の春。私達はあの日剣士を見つけられずにスゴスゴと家に帰ったあの竹柴桟橋から、遂に船で小笠原へ漕ぎ出した。空は青く、海風が爽やかに吹いている。桟橋を見下ろす『おがさわら丸』は、東京と小笠原を結ぶただひとつの定期航路。剣士自慢の船だった。

 『碧のバラード』が歌えるようになった剣士は、その後オーデションに合格して、この帰郷にもう一つ重大な書類を携えていた。それはCDデビューのための承諾書だった。未成年の剣士がレコード会社と契約するには親の承諾書が必要だったから。それに関してはもう一波乱ありそうだ。此処までようやくこぎつけた話だけど…

「剣士よく決心したよね」

 船の甲板で風に吹かれながら私達は話しをした。

「お前にフラれて落ち込んでるとみんな思っただろうな。確かに…実際それもあったけど、でも本当は、あの歌を心から歌いたかった。それだけ俺にとっては大切な歌だったんだ。嘘をついて歌えない。思い出みたいに歌ったらあの歌が死んじゃうから」

 剣士はそう言った。

 私達は温かい友情に応援をもらって、ようやく自分の気持ちに辿り着いた。

「俺の気持ちとひみこの気持ちが出会うのに16年かかったんだな」

 そうだけど、確かにそうだけど、此処ではやめて欲しい。この手の話題は今でも苦手なんだ。私達二人きりじゃないんだし…

「改めて出会えて良かったって思ってる。私、あの頃のひみこじゃないし」

「俺も昔の俺じゃなくなった。去年お前の前に突然現れた俺でもなくなった」

 うん、そう。私達、今を生きてくのよね。

「剣士の島へ行くのね」

 私はこの一年をとても大事なものに感じた。少しも遠回りだと思わなかった。剣士と私の間に、運命なんてあるはずがない。剣士と出会うために生まれてきた訳じゃない。私達は自分の意志でこうやってお互いを知り、これからも一緒に生きていこうと思ったんだ。

「巻邨さん、これ」

「なぁに?」

「差し入れです。家の母さんから」

「ありがとう。まあ、こんなに沢山」

「なんで…滝本が一緒に行くんだよ!」

 剣士がぶつくさ言う。

「だってお兄さんの内弟子、一番弟子だから。おばさんもあれこれ気を使ってくれて、それにお料理好きみたいよ。研究熱心で色々作ってくれるのよ。ねえ、こんなに沢山、おにぎり美味しそうだね」

 実はこの船にはさつきも作伽祢も乗っていた。豊も敏広も、剣士の愛する碧を歌えるアーチスト目指して小笠原の海で合宿するらしい。堅物の麻子おばさんを説得するための一役も担っているとか。みんな頼もしい。剣士達の育ててきた友情はいいな。きっと本物だよ。


 そろそろ船は外洋に漕ぎ出す。

 私達家族は、遠い昔、小笠原に魅せられてしまった麻子おばさん家族と別れ別れになって寂しい10年を送った。その小笠原に再び足を踏み入れると思うと、実はこれからの10年が不安で仕方がない。

 また、ここからおっかなびっくりな新たな物語が始まってしまうのだろうか?

 さらら姉さんは今日はしっかり者のベールを外して兄さんの横で海風に吹かれている。船旅は新しい門出にふさわしい。

 長旅の果て、やがて小笠原が近づく…晴天だ。空の青さに感極まっている。姉さんの旦那様もそれは同じ。

 さあ続きを書こう。どんな明日が来ても私達はやっていけるから。また新しい今日が始まるこの碧い海に抱かれて、スタートしよう。


                        ーおわりー



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