第23話 小笠原の碧

 次の日私は体中のすべての細胞に散らばった勇気のカケラを掻き集めて、剣士に話しをした。剣士は相変わらず窓際に座って高い空を見ていた。まるで空に恋する鳥かなにかのように。空……碧い色……剣士、小笠原の海を懐かしがっているのかなあ……

「剣士……あの……」

 横に無気力に座っていた作伽祢が気が付いて少し離れた。

「ん……」

 鈍い反応の剣士…

「今日忙しい?」

「忙しいってなに?」

「話しがあるの……一緒に行って欲しいところがある」

 私の顔を見てしばらく考えた後、

「いいよ」

 剣士は短くそれだけ答えてまた外を見た。私は大きな息をついてホッとした。

「帰り、下駄箱で待ってる」

 そう言って剣士から離れた。

「ひみこ……」

 作伽祢が心配そうに私達のほうを見ていた。私は少し元気が出てきたって顔して笑った。

 授業が終わると一足先に剣士が教室から出ていった。慌てて追いつこうとした私を作伽祢が呼び止めて、

「ひみこ、みんなお前達のこと応援してるからな」

 と言った。

「それって、さつきに聞いたの?」

「ああ、剣士朗のこと頼むぞ。あいつ大胆だけど度胸あるけど、ああ見えてデリケートなんだって思うよ。豊はさっぱりした奴だからガツーンと行けるけど俺はどうもな。頼むぞひみこ!」

 そう言う作伽祢の顔は真剣だった。こんなに剣士のこと思ってくれてる人がいるんだ。さつきにしても作伽祢にしても剣士のことが好きなんだ。その気持ちを全部もらっていこう。ってそう思った。

「作伽祢、ありがとう」

 急いで階段を下りると柱にもたれて剣士が待っていた。

「待たせたね」

「いや」

 剣士が静かに柱から身体を離すと黙って歩き出した。私も急いで外に出る。冷たい北風が校舎を吹き抜けていく。振り絞った私の勇気をこの風に持って行かれてしまわないように覚悟を決めて剣士の横に並んだ。

「どこ?行きたいとこって」

「姉さん覚えてる?」

「姉さんって?ひみこに姉さんいたっけ」

「へ?」

 覚えてないの?あんなになんでもよく覚えてて、剣士に聞けば私の小さな頃のこと全てわかるんじゃないかと思ってたのに。

「母さんも紹介したじゃない。あなたがこっちに来たとき。もう一人フランスへ行ってるのがいるって」

「ああ、そんなこと言われたような気もする」

 どういう性格してるんだか、じゃあ覚えているのは私との……こと……だけだって言うの。

「脳みそ少ないからな。そんなにたくさんは覚えられないよ」

 苦笑いして剣士がそう言った。

「姉さんフランスから帰って来たの!」

 そう素敵なものいっぱい持って。この日本に帰ってきたのよ。

「その姉さんが今度結婚する事になって、その相手の人の個展を見に行くの」

「今から……」

「そう」

 もちろんそれは口実。本当はその後あの家に行こうと思っているんだ。

「初めてだな。学校から一緒に帰るの」

 剣士は今までの声とは違う声で静かに話した。

「そ、そうね」

「それにお前から誘われたのも初めてだな」

 それもそのとおりね。

「剣士、私、屋根裏部屋に引っ越したんだ。夜になると部屋を真っ暗にして星を見てるよ」

 剣士のくれた星空は、今の私の一番の宝物、私の勇気だ。そこまでは照れくさくて言えなくて言葉を飲んだ。

「本当の星はもっとすごいよ。本当の碧の色ももっと凄いよ」

 剣士には遠い小笠原の自然がくっきり焼き付いているんだろうな。

「あ、姉さんの結婚式、春休みに小笠原でやることになったの。私も連れていってくれるんだって」

「本当?じゃあ、あの星空もそれまでだな。本物見たらびっくりするぞ」

 って、空を見上げて言った。剣士は知らないけど、あの星空だけは私覚えている。あの星空だけはちゃんと私の心の中にあるんだ……

 さらら姉さんの旦那さんの絵はすっごい明るい絵だった。絵にはあまり興味ないと言っていた剣士も、

「思ってたよりいいな。というより俺でも感動する」

 と感心していた。 

「なあ小笠原も描いて欲しいな。あの碧がどんな色になるかと思うとドキドキしないか」

 剣士はあくまで碧の色にこだわっていた。私は田舎の風景が気に入って、絵そのものより、こんな絵の描ける人のそばにいられる姉さんのことを羨ましいと思った。

「ひみこは俺が元気なかったから誘ってくれたんだよな。少しは元気出たよ」

 と言う剣士に、

「ううん、行くところはもう一カ所あるの」

「もう一カ所?どこへ」

「それはまだ秘密です」

「なんだよ」 

 私は剣士をからかって笑った。家に帰るバスに飛び乗ると、

「なんだ、また親父さんに説教くらっちゃうよ。最近まじめに勉強してないからな」

 ふと思い返すと剣士の口から昔の話しが出てこない。しばらく会わない内に、私達、何かから卒業出来たのかも知れない……

 バスを降りて家に向かう。家の前まで来ると、私は剣士を外に待たせて急いで家の中に入った。

「母さん懐中電灯ない?」

「なによ、ただいまも言わないで!」

 この反応。本当に母さん、普通の母になってしまったなぁ。

「懐中電灯が欲しいの」

 と騒ぐと、姉さんが見つけて渡してくれた。

「これ?」

「うん、これこれ。もう少しで帰ってくるから。……それと、剣士も夕食、食べて行くから、用意しておいてね」

 と叫んで外に出た。

「お待ちどう」

「なんで懐中電灯?」

「宝探しに行くのよ。これ持って」

「宝探し?」

 剣士の不思議がる顔はちょっといい気味だった。

「あ、自転車で行こう。早く帰らないといけないから」

 私が危なっかしそうに自転車を引っ張ってくると、

「お前あれからあんまり乗ってないんだろう。全然さまになってないよ」

 と言って、

「俺が乗せてやるよ」

 と前に乗った。

「どっち行くんだ?」

「バス停までもどって、そこから真っ直ぐ山のほうへ行くの」

 叫びながら剣士の背中にしがみついていた。剣士の大きな背中。私ずっとこうしてしがみついていたい。私はやっと自分の本当の気持ちに辿り着けた気がした。

「あ、もう少し行った右」

「ここ?真っ暗だぜ」

「だからこれがいるのよ」

 私は得意げに懐中電灯を点けて前を歩き始めた。

「ひみこ勝手に入って大丈夫なのか?」

「大丈夫、此処のおじさんと私、友達なの」

 間抜けな剣士の反応に私は少し肩の荷が下りたような気がした。何でも知ってると思ってた剣士の知らない世界。私にだって知ってることがなくちゃ一緒に生きていけないよ。剣士の前を歩くことも出来る私でなくちゃ剣士を受け入れられない。

「剣士、ここあなたが育った家よ。5歳まで」

「まさか……」

 私は柿の木をくぐって人形の前に座った。

「これ覚えてる?」

 懐中電灯で照らすと赤の絵の具と、青の絵の具がちらちらした。

「私は思い出したの。ここで約束したことを、二人で宝物を埋めて、また会えたとき二人で掘り出そうって。剣士覚えてる?」

「ああ、そんな約束したかもな。掘ってみよう」

 うん、私達はうなづいて堀り始めた。私達の記憶はいい加減であやふや、埋めたことは覚えてる。でも、何を埋めたか忘れてる。剣士の掘り当てたフィルムケースの中には綺麗な桜貝が二つ入っていた。小笠原に行くことに決めた剣士がそれを見てその時の悲しさを思い出すように入れておいたのかも知れない。私の埋めたビニール袋の中には、

「なにこれ?」

「これは、なにかのねじを巻くゼンマイだな」

「なんでそんなもの」

「俺の気にいってた。おもちゃのゼンマイをお前が取り上げたのさ。怒ってもう動かないようにしてやるって」

 それは私のおもちゃ箱に入っていた。ブリキの飛行機のゼンマイらしかった。

「お前らしいよな。ほら意地悪だっただろ。こういう奴だったんだんだよ」

 と、それこそ意地悪に言う剣士に、

「自分の気持ちをうまく表現出来なかったんだよ」

 それだけだって私は言い返した。

「そこだけは大きくなっても、ちっとも変わりませんでした……意地っ張り。お前の気持ちさつきから聞いた。作伽祢も心配してた」

「え?」

 さつき話したんだ。私の気持ちを剣士に、そんなことしたら私達上手くいっちゃうかもしれないのに。本当に剣士のこと大切に思ってるんだな。

「ひみこ、俺達、自分達のこと大切にしていこうな。焦ることないさ。ゆっくり大人になろう」

「うん」

 剣士のくれた桜貝は私の心の羽だ。透き通ってキラキラして私に勇気をくれる。

「行くぞ!」

 剣士はゼンマイをポケットに突っ込み、私は桜貝を手に握りしめて、自転車に乗った。冷たい風から私を守ってくれるような温かい剣士の背中。

「ただいま~」

「もう、なによ。ちょっとって出ていったきり早くしないとご飯が冷めちゃうわよ」

「剣士、姉さん」

「いやあ、お姉さん。十年合わないあいだにすっかり綺麗になって」

 調子いい、覚えてなかったくせに……

「あんた達、何してきたのよ!」

「へ?……」

 蛍光灯の下で見ると、コートにぬすびと萩、どろぼう草が大量に着いていた。

「あ、これ剣士の家に行って来たの。今度姉さんが借りる家。あそこに二人で宝を埋めたのよ。それを姉さんのものになる前に取り返してきたところ」

「宝ってなによ」

 私達がすごすごとポケットから出して見せると、母さんも姉さんもカラッカラ大笑いして、

「そんなもの誰も取りゃあしないわよ」

 だって、そりゃあ姉さんにはなんの値打ちもないわよ。私は急いで部屋から飛行機を持ってきた。

 剣士がねじを巻いてそっと床に置くと飛行機は十年の封印を解いてカタカタと走り出した。私と剣士のこれからに向かって。きゃあきゃあ騒ぐ私達に母さんは久しぶりに気持ちがホッとしたのか笑いながらすっかりあきれていた。


 

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