第20話 柿の木の家

 さらら姉さんが教えてくれた『柿の木の家』は家からそんなに遠くない一角にある6軒ほどの住宅地の中にあった。姉さんの記憶の場所に、今もそのまま存在している柿の木の家。当時としては珍しい洋館だ。三角の屋根の形が周りの和風の家とはちょっと違って見つけるのに役立った。

 見上げるような大きな柿の木がブロックの垣根の上から枝を伸ばしている。また秋も深まると此処に美味しそうな実がたわわに実るのだろうか。

「あった〜此処だ。こんな近くに剣士がいたなんて…」

 おっかなびっくり傾いた垣根の端から身体を滑り込ませて、中をうかがうと、今はもう誰も住んでいないのか草が庭を覆っていた。

「こんにちは、誰もいませんか?」

 と挨拶しながら、ずうずうしく庭を横切る。足元の草を踏む音に反応して、屈んで草引きをしている作業着に麦わら帽子をかぶったおじさんがニュっと顔を上げた。

「あ!す、すいません」

「やあ、こんにちは」

 おじさんはいきなり飛び込んできた私をとがめもしないで、そのまま黙々と引いた草を集めていく。見回すと、庭に面したリビングの窓は全開に開けられていた。部屋の中はガラーンとしてなに一つ家具が置かれていなかった。

「あの~この家は今は誰も住んでいないのですか?」

 おじさんは手を止めると腰にぶら下げたタオルで顔を拭い私の方に向き直った。

「この家は今は空き家でね。放おって置くと家が痛むから、こうして時々風を入れがてら様子を見に来てるんだよ。お嬢さんはこの辺の子かい?」

「は、はい。この先の橋のそばに住んでるんです。……昔、十年くらい前、従兄弟がここに住んでいたらしいんです」

「従兄弟?」

「私と同い年。その頃は5歳くらいだったんですけど…」

 おじさんは少し考えて、

「ああ、じゃああんたは巻邨さんの孫かい」

 私は気ぜわしく首を縦に振った。

「そうかいもうそんなに経つのか。ここを通りかかると小さな女の子と男の子が庭を走り回っていたよ。遠くに引っ越すと聞いていたが、高校生?もう10年以上も経ったとはな。わしも年を取るはずだよ。

 あの後しばらく空き家で、そのあとやっとこの家を借りていた人が、一人もんだったんだけど、半年くらい前に結婚してな、通勤に便利なよそへ移って、此処はまた、空き家になったんだよ。わしの家は役場の方だけど、時々こうしてのぞいてるのさ」

 おじさんは私をしげしげと眺めて懐かしがっていた。

「そうか、もう、そんなになるか」

 剣士が5歳まで育った家。

 私も一緒に走った庭。柿の木。朽ちた囲い。

 私は柿の木に近づくと足元の大きな柿の葉を拾った。大きな光沢のある柿の葉は子供だったら顔くらい有っただろうか。子供でも登れる程の勾配のついた幹、手でなぞると思い当たる木肌の感触。私の周りに沢山の情報が集まる。おもちゃ、土の匂い、幼な子の声。

 私は初めてその木の周りで戯れた剣士との記憶に辿り着いた。小さかった私の走り回る姿を優しい顔で見つめていた剣士。直ぐに泣いておどしたり、わがままばかり言う私に手を焼きながらも、剣士はどんなときも優しかったことを……

 私は不意に庭の片隅に向かって走り始めた。衝動的に、何に突き動かされるように…何に向かって走るのか自分でもハッキリとしない。わからないのに気持ちが向かう。その先に待っていたのは、半分地面に埋められた小さな二つの石の人形だった。

 私と剣士が絵の具で描いた顔。剣士が青い絵の具で、私が赤い絵の具で、二人で描いた石の人形の下に、私達は遠い昔何かを埋めた。此処に宝物を封印した。

 青い絵の具の人形の下に私への物を。赤い人形の下に剣士への物を。それを再会したときもう一度掘り返すことを約束していた。約束していたはずだったのに、私はすっぽりと穴が開くように忘れた。きっと剣士は覚えていたに違いない。あんなになんでも鮮明に二人のことを語っていた。

 すっかり忘れて…平気な顔して…剣士に対して距離を取り、冷たいことばかり言った。

「私剣士に合わせる顔が無い……」

 私は石のそばに座り込んで、そして、胸の塞がれるような悲しみに泣いた。冷た過ぎる自分のことを攻めて泣いた。

 側で眺めていたおじさんが驚くような声で。

「お嬢ちゃん、どうした?」

「私とっても悪いことをしたの。泣いたって取り返しのつかない悲しいことを……」

 おじさん私ひどい女なんだよ。どうしようもなくひどい女だ。

「そうか、そうか、でも、大丈夫だよ。なんとかなるよ。まだ、高校生だろ、その歳で取り返しのつかないことなんて、そんなにあるもんじゃないよ」

 おじさんは驚くほど優しい声で、そう言って私のことを慰めてくれた。

「おじさん、またここへ来ても良い」

「ああ、いつでもおいで、借りる人がいないようなら畑でも作ろうと思うんだ。放っておいても草だらけになるだけだからね。あの垣根はあのまま破れたままにしておくよ」

 おじさんはそう言うと温かい優しい眼差しで私を見つめ。また黙々と草を刈り続けた。

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