第18話 寒い冬
期末テストが終わると、教室は冬休みの話しで持ちきりだった。高校生になって初めてのクリスマスを迎える。それぞれ計画がいっぱいで教室もこのときとばかり活気を取り戻していた。
私の冬休みは寂しげだけど一人でおばあちゃんのところに行くことにしていた。読みたい本とか研究したい課題をカバンに詰めて二週間東京を離れる。
「ひみこ本当に二週間もいったっきりでで大丈夫なの?」
「大丈夫。いつまでも子どもじゃないわよ。おばあちゃんだっているんだし」
私達はこんなにたくさんの日々が過ぎ去ってもいつまでも吹っ切れず、重苦しい空気のままだった。
剣士の中にいる私はいつまでも五歳の別れた時のままで、そんなの私にしてみれば思い出の中の過去の私なんだ。そんな私を好きでいてくれても息が詰まるって…そんな剣士に心が開けないというか、あの頃の自分のことがよく解らない。それが迷いの元にある本当の気持ちなんだとこの頃やっとわかってきた。
口を開けばあの頃のお前はとか、昔は我が儘だったとか、小さいときの姿ばかりが出てくる。私は今ここにいる私を見て欲しいんだって訴えていたのかもしれない。
嫌いじゃなかったんだ。剣士がこの家にやってきた時から…私、剣士の事が好きだった……でも、それはいとことしてではなく、昔好きだった我が儘なひみこではなく、今の、今の私を好きになって欲しいと、そう思っていたんだと。
「ひみこ行くのか?」
「うん、新学期になったら帰ってくるよ」
「お前強くなったよな。クラブも自主的に中心になってやってるし、この頃驚くほどしゃんとしてきたなって思うよ」
剣士の静かな目は私達を否が応でも大人にしていく。
「……」
「俺、新学期になったらこの家出ようと思ってる。学校の寮を借りられそうなんだ。それなら親父さんも反対しないだろうと思うし、バンドの練習も思いっきりできるしな。ごめんな、俺の気持ちばかり押しつけて」
私はギクッとして顔色が変わった。でも剣士にさとられないように冷静に返事をした。
「ううん、そんなこと……私もゆっくり向こうで考えてくるよ」
あっけ無いけど、それが我が家で剣士にあった最後になってしまった。向こうに行ってからも私は家に連絡をとらなかったし、毎日山の中を歩いたり木の実を拾ったりして静かに暮らしていた。ずっとむこうにいたいくらい居心地が良かったけど……
ひとりぼっちのクリスマスは心が凍えてしまいそうなほど寂しかった。
風の音の激しい夜や、窓の凍てつく寒い朝は、元気だった頃の剣士の笑顔ばかりを思い出さずにはいられなかった。
予定の二週間を終えて帰ってくると屋根裏部屋は剣士の言った通り空になっていた。
「剣士もう行っちゃったの?」
「もう言い出したら聞かないのよ、みんなが待ってるって急がせて、とうとう一昨日出て行ってしまったよ。まあ麻子も了解済みだからしかたないしな。あいつわざわざ小笠原まで話し付けに行ったんだぞ。父さん一人頑張ってみてもな」
「そう、あ、ちょっと上行ってくる」
私はそのまま階段を上がった。剣士のいた屋根裏部屋はまた、誰も住まない部屋になった。ガラーンとして底冷えがして悲しくなるような静けさだった。
電気を消すと剣士が誕生日に送ってくれた星空が頭の上に広がった。
「剣士……」
私は座り込んでいつまでも星空に抱かれていた。剣士の今は歌わない『碧のバラード』が私の心の中にゆっくりと流れていく。大きな穴の空いた胸の中にため息がしみ込んで、かすかに開いた胸の扉を一つづつ閉ざして行くようだった……
「風のないあったかなこの星空はまるで剣士みたいだよ……」
私は初めて素直にそうつぶやく事が出来た。
剣士がいなくなってようやくわかったことは自分の情けなさだった。剣士がいることで家の中がガタガタしたり教室で大騒ぎしてる姿を遠く離れて傍観しているのに快感を覚えていた。自分じゃなにも出来ないことも剣士が代わりにやってくれたり、剣士の起こす武勇伝を自分がやったみたいな得意な気になって錯覚したり、私はと言えばなにもなくて平凡で囃し立ててただけだったんだってわかった。
剣士がいたから家の中も明るかったし、剣士がいたから考えないといけないことも出てきて、それが無くなってみるとまるでそっけない無機質のスクリーンの中にいるみたいに寂しかった。
しかもそんな私と同じくらい剣士もトーンダウンしていて学校の中もいよいよつまらなくなった。
「人が幸せな顔してるっていいもんだったんだな~」
地獄の底へ突き落としてしまった剣士は当分幸せな顔なんかしそうになかった。
「ひみこちゃんこの頃元気ないね」
「あ、少々スランプ。おばあちゃんの家に行っている間に、空気が抜けてしぼんじゃった感じです」
「あの子も元気ないよな。家にきても迫力なくなっちゃって二人とも見るも無惨だよな」
「先輩……」
「だけど、そう言う時もきっと必要なんだよ。いつも張り切ってばかりだと息切れするから」
先輩の経験から出てくる言葉は優しくて今の私には寝枠のように温かかった。
私達は同じ時間を別々の場所でそれぞれ見つめていた。
剣士がくれた星空も、剣士が残した歌声も思い出すと私にとってとてもあたたかいものばかりだった。
「さあ、私、美術部行って来ます。今年度のポスター展やろうと思ってるんです」
「そう、がんばって」
年が明けて新学期が始まって、私は部室に顔を出した後教室に入った。教室で会った剣士は前より気のせいか黒くなっていた。すれ違いざま私の机の上に置いた包み紙に小笠原の景色が描かれていた。
「これ?」
「向こうに一度帰ってたんだ。こっちは寒いな」
「あ、そうか」
剣士には似合わない真っ黒い冬の制服。そう言って笑った大人っぽい、大人っぽい笑顔。落ち着いた姿勢のいい肩が私の横を通りすぎた。私達はそれぞれ離れているうちに少し大人になった。剣士の後ろ姿をゆっくり眺められるようになった。私に向かって一方的に吹いていた風もぴたりと止んで、私達はただのクラスメイトになった……
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