第10話 片思い
私の高良先輩への微妙な片思いは、なんの進展もなく、毎日ドキドキするだけで過ぎていった。というよりも…最近、高良先輩は幸乃先輩のことを好きらしいって感じるようになった。いつも編集のことで意見が合わなくて二人は言い合いをしている。だれが見ても仲が悪そうなのに、どうしていつも喧嘩腰なんだろうって思っていたけれど、そう言えば高良先輩があんなふうに本気で話しをするの幸乃先輩の前だけだって新入部員ながら気がついた。
高良先輩は優しい。私の前だと声を荒げたこともないし、いつもニコニコしている。でも、それが優しさかなんてわからない。ひょっとすると幸乃先輩に対する時だけ見せる高良先輩の顔の方が本当の真剣な高良先輩なのかもしれない。なんか二人のバトルもこの頃羨ましいと思う時さえあった。
「あの二人ね。良いもの作りたいと思ってるのよ。お互い譲らないからいつも喧嘩になってあんなふうだけど、本とは一番似合ってるんじゃないかと文芸部のみんなは思ってるんだよね」
ってさゆり先輩が言った。そうか、やっぱりそうだったんだ。と思うと先輩に恋してる自分が、可哀想になった。だけど、そうだよね。あの二人遠慮しないもん。私もそんな気がする。
私が浮かない顔して中庭を歩いていると、剣士が自転車で走って近づいて来た。今日もさつきと一緒……
「どうしたひみこ?」
「ううん、なにも」
「そうか、今日これから豊の家に行くんだ。帰り遅くなるからさ、おばさんに言っといて」
「うん、わかった」
「元気ないな…ちゃんと、道草せずに真っ直ぐ家に帰れよ」
なによ世話焼き。と思いながらも今日はちょっと不調。私は作り笑いをして答えるとトボトボ歩き出した。
なんか寂しいな……剣士はさつきと仲良くしてるし、憧れてた先輩には好きな人がいたなんて。自分のこと好きになってくれるなんて思ってもなかったくせに……ううん少しは期待してた。だからこんなにガッカリしてるんだ。
バスに乗って一息つくと目を閉じてこれ以上考えるのを止めた。考えるのを止めた頭の中にふと昔の臭いが甦ってきた。古いかび臭い本の臭い。それは切ない胸が締め付けられるような悲しい臭いだった。
「ただいま~」
と言っても今日はだれもいないか。台所のフックに掛けられてるトートバックが消えてる。
「母さん今日は買い出しの日か……」
ボーッとしてる私の視界に庭の片隅の書庫が入った。そう言えばあそこに色んな物入れたんだよね。そんなこと思いながら足が書庫に向かっていた。扉を開けると懐かしい臭い。納められた本の片隅に子供の頃のおもちゃ箱があった。木で出来たロープの付いたおもちゃ箱。なんでもつっこんだおもちゃ箱。
薄汚れたぬいぐるみや落書きした本に混じってブリキの飛行機が出てきた。なんで飛行機なんて思ったら、とうのけんしって書いてある。落書きしたみたいな汚い字。
「すぐ泣くし、俺のもの取り上げちゃうし」
あの時言ってた剣士の声が聞こえてきた。
「ふ〜ん。ほんとにそうだったんだ」
私はつぶやいた。つぶやきながら座り込んだ。
しばらく思い出に浸って書庫から出るともうずいぶん前から雨が降ってたらしい。庭がずっぽりと濡れていた。日も暮れて薄暗くなっていた。
「母さん帰ってたの」
「あ、お帰り。ずいぶん降ってきたね。剣士がまだなの」
「え、そうなの、大丈夫かな~私ちょっとその辺まで見てくるよ」
雨は音を立てて降っていた。私は傘を持って飛び出した。
「こりゃあ本降りだ。剣士無理しないでバスで帰ってくるといいけど」
なにかいやな胸騒ぎがした。
通りを曲がると真っ暗な中、向こうから自転車のライトが近づいてくるのが来るのが見えた。
「剣士!」
「ああ、ひみこ。降られたな~小降りだったから行けるかと思ったんだけど、だんだんひどくなった」
「ずぶぬれじゃない……これじゃあ傘…もう意味ないか」
自慢の茶パツが額に張り付いてしずくがしたたり落ちてる。全身のずぶ濡れにもう傘じゃどうしようもなかった。
「サンキュー」
剣士は笑った。けど、唇は真っ青だった。
「早く帰ろう、母さん待ってるから……」
とにかくよく走ってきたなって姿。日頃気の強い私も心配で剣士の背中を支えた。
「オウ!」
剣士は強がって平気だと言っていたけどその夜から高い熱を出した。帰る途中も苦しかったんじゃないかな。いつもあんなに食べるのにまったく食欲もなかったし、お風呂に入って身体を温めた後すぐ布団に押し込められた。
「ひみこ、これ持ってってやって」
「なに?」
「卵酒。グッと飲むと身体が温まるから」
屋根裏部屋の扉を開けると剣士が苦しそうな顔をして笑った。
「これ母さんから」
「え!卵酒……俺、苦手なんだよな」
と力無く笑う。
「半分飲んであげようか?」
「いいよ、いいよ、ひみこが酔っぱらって倒れちゃうよ」
としかめっ面して一気に飲みほした。
「心細い、お母さんいないから……」
「いいよ、ひみこがいるから」
なんて、いつもの冗談とは違う感じで剣士が言った。
「だらしねえな。雨の中走ったくらいで熱出して」
「そんなことないよ。だれだって病気にくらいなるよ」
剣士の弱った顔を見ながら久しぶりに入った屋根裏部屋を見渡した。
「どうした?」
「実はこの部屋ね、私狙ってたの。ここに住んで天窓から星を見ようってずっと思ってて……でも東京じゃだめ。星なんて見えない。色々夢見てることってあるけど、だんだん出来ないことがわかって残念だなって思う」
「ひみこ……」
剣士が私の手を握った。きっと心細いんだね。滅多に病気になんかなりそうにない丈夫な奴だから。
「ん?」
「見せてやるよ。お前が見たいんなら。空いっぱいの星を」
「うん」
今日は剣士の言うことを素直に聞いてやろう。部屋の中に静かなバラードが流れていた。
「これもロックなの?」
「ああ、いい曲だろ?」
「こんな静かな曲もあるんだ」
「お前ちゃんとロック聞けよ。生の声で自分らしく生きろって言ってんだよ」
熱っぽい涙目で剣士がそう言った。
そうだね。私も剣士もみんな探してるものは同じなんだよね……剣士の手を握って目をつぶると頭の上にいっぱいの星空が広がった気がした。剣士の過去と私の過去が重なっていく。二人で見たあの日の星空が私たちの上に降りてきた。
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