第81話 海の歌


伐折羅ばさら天喜あまきの母が、純白の翼を折りたたみ大気に溶け込んだ。


「行かねば……私たちにも時間がない」


 最後の別れを言わせてくれた、あなたに感謝します。


 霧花はアイアリスに礼を言うと、人型から元の姿に還った。風の乙女に導かれ、漆黒の馬シャドゥが波の中を進んでゆく。

 黒馬が行くのは永遠の闇への道。未だに日の差さない海岸で唯一輝きを保つのは、その背に乗る女神アイアリスが放つ光だけだった。

 闇の女神はもう後ろを振り返らなかった。ところが、黒馬の姿が高波の内に消えようとした時、波打ち際に漂っていた紅の灯が次々に空に舞い上がったのだ。


「紅の灯が……うみ鬼灯ほおずきが、黒馬に着いてゆくぞ!」


 翳った空の下に一線を引く漆黒の水平線。その中に見える唯一の光を紅色の灯が追いかけてゆく。ゆらゆらと風に背を押されながら。


「まるで紅の葬列の灯みたいじゃないか……」


 タルクは、横にいたラピスにぽつりとつぶやいた。

 彼が目を閉じているところをみると、レインボーヘブンの欠片”樹林”は、ラピスの中にまだ、とどまっているのだろうか。

 ただ、その腕には若草の文様がうっすらと浮かび上がっている。今、表にいるのは、ラピスか”樹林”か? いずれにしたって、レインボーヘブンが蘇るために”樹林”が体から出てゆけば、ラピスは命を落とすのだ。


「うん。確かに……あれは葬列みたいだなぁ」


 葬列の灯は見えないが、ラピスには波音が聞こえていた。タルクの心配顔をわざと無視してラピスは海岸に佇む。


 何か大切な物を失ってしまったかのような哀しい響き。


 それは自分にも当てはまることなのだろうかと、思いを海に向けながら。


 ジャンやココ、スカーや他の人々も去ってゆく紅の灯を見て、辛さが胸に沸き上がってきた。


「海の鬼灯には散々な目に遭わされたが、あんなに心細げな姿を見ると、何だか哀しくなってしまうな」

 

 海の鬼灯になる前には、盗賊をやりながらでも、レインボーヘブンを守っていたんだ。あいつらだって、幸せになりたかっただろうに。


 人々の心を察したかのだろうか、海の中から透き通るような不思議な声音が聞こえてきた。

 それは憐れな紅の灯の心を謳う声。風はその旋律を黒馬島の海岸まで送り届けた。


「歌……ああ、これはBWブルーウォーター……レインボーヘブンの欠片”紺碧の海”が歌っているんだ。海の鬼灯の末路を悔んで。あいつが、かつて飲み込んだ彼らの命を憐れんで」



 黒馬と紅の灯の姿が完全に海の中に消えてしまうと、日の光が再び海岸を照らし出し始めた。

 青く澄んだ海が波を上げる度に、銀の光が空に舞い上がる。闇に逝った者たちを思う時、その輝きが皆の心を切なくした。


「行ってしまったなぁ。なら、ぼつぼつ僕たちも行くとするか!」


 そんな声をゴットフリーにあげたのは、ジャンだった。


「そうだな。スカー、舟の用意はできるか」

「えっ、今から? それにお前ら、どこに行こうっていうんだ?」


 突然、ゴットフリーに声をかけられ、スカーは焦りの色を隠しきれない。

 だが、


「何を寝ぼけたことを。レインボーヘブンを復活させるに決まってる! それには、この黒馬島の中海。500年前に至福の島があった場所の中心まで、俺たちは行かなきゃならない」


 明るい笑顔でそう言ったジャンの言葉に、居合わせた者たちはただ驚くばかりだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る