第97話 時の矢は止まらない

  広場からの演奏会の帰り道、迦楼羅かるらとグウィンは興奮冷めやらぬ気分で歩いていた。


「グウィンのバイオリン、すっごく良かったわよ! 女の子たちがうっとりしてたわよ」


「からかわないでくれよ……。でも、迦楼羅の歌も上手だったよ! で、これからどうする?」


「家に帰ったって誰もいないだろうし、黒馬亭に行ってみない?」


 やけに急がす迦楼羅にグウィンは笑い、


「そんなこと言って、迦楼羅はフレアおばあちゃんのクッキーを狙ってるんだろ」

「バレたか」

「ほぅら、やっぱりだ」


 そんな風に、笑いながら二人が広場の出口にさしかかった時、


「おーい、そこの浮かれた双子!」


 突然掛けられた声に二人は足を止め、青屋根の家の庭先に目を向けた。

 すると、白いシャツを袖めくりにした男が、いつもの爽やかな笑みで手を振っていた。その傍に彼の6つになる娘を従えて。


「ラピス! 今日は診療所はどうしたの?」


「今は昼休み。だから、イリスと弓の稽古をしてたんだ。母親もいなくなっちまって、こいつも寂しそうだから」


 そう言った瞬間に、ラピスが射た3本の矢が庭木に付けてあった的の中央に、次々と突き刺ささっていった。30歳も後半だというのに、ラピスの弓の腕前は相変わらず冴え渡って、的に狙いをつける花緑青の瞳の輝きは人の心まで射抜いてしまいそうだ。

 そのせいか、この医者で弓使いの男の診療所には、女の子たちが ”彼” 会いたさに仮病を使って訪ねてくる。

 おまけに助手の天喜は超絶美人ときてるから、彼の奥さんは気を揉み放しだったろうなと、迦楼羅とグウィンはものすごく同情している。


 ……が、それが、彼女がラピスと娘をおいて、実家に帰ってしまった一番の理由ではなかったのだ。


「こんにちは、イリスちゃん。弓は上手くなった?」


 ラピスと同じ瞳の色。けれども、目が合った瞬間、ラピスの娘はぷいっとそっぽを向いてしまった。

 この娘はラピス以外とはほとんど話もぜず、特定の物にしか興味を示さない。物心ついてからずっとそんな感じだから、途方にくれた母親が、逃げ出したくなるのも無理はなかった。


 するとラピスが、

「弓はすごく上手くなったんだよ。なっ、イリス」


 とたんに、イリスがくるりと身をひるがえして射た矢。それが、先に刺さったラピスの矢を薙ぎ払うように中央に突き刺ささった。

 度肝を抜かれた二人を後目に、6歳の娘は持っていた弓を傍に置くと、ぷいと庭遊びを始めてしまうのだった。


 戸惑う迦楼羅とグウィン。けれども、ラピスは柔らかな笑みを浮かべ、


「イリスは今はこれでいいんだよ。人には踏み込んで欲しくない自分の世界がある。それは、自分だけがくつろげる我家のようなものだ。けどさ、どんにな固く閉ざされた家にも必ず扉はある。扉のある場所っていうのは、自分の陣地と未知の世界への境界線だ。そこを誰かが無断で踏み越えてきたら、驚くのは当たり前だろ。だから、家に入る時にはそっと扉をたたいてやってくれ。どんなに固く閉ざされた扉でも心が通じれば必ず開くから」


 迦楼羅とグウィンは戸惑いながらもこくりと頷いた。すると、ラピスは話題を変えてきた。


「それより、お二人さん、その胸の綺麗なロケットはどうしたんだい? 金と銀! お揃いなんて、随分、洒落てるじゃないか」


 迦楼羅とグウィンは顔を見合わせ、にっこりと微笑んだ。


「母さんにもらったんだ。ちょっと早めの僕らの誕生日のプレセントなんだって」


 迦楼羅には金、グウィンには銀のロケット


「ああ、思い出したぞ。それって、ゴットフリーとココの”兄妹の証”のロケットじゃないか」  


 まだ、俺たちが、七つの欠片と共にレインボーへブンの伝説を追って、幸せの島を探していた時の彼らの絆。迦楼羅とグウィンのココは、それを今度は子供たちに託したんだな。 


「ゴットフリーとココのロケット? ラピス、これってどういうロケットなの? コーネリアスは大切にしなさいって言うだけで、何も話してくれないのよ」


 迦楼羅に続いて、グウィンも珍しく声を高めた。


「これって、”レインボーへブン伝説”に関係があるんだろ。そもそもさ、母さんたちが、その幸福の島を手に入れた話だって、僕らは、詳しくは聞かせてもらっていないんだ」


 ラピスが言った。

「ふぅん、聞きたいのか」


 二人が声をそろえた。

「当たり前でしょ!」


「でも、俺も含め、今、ここに残った者たちは”伝説の断片”しか知らない。だから、レインボーヘブンの伝説の真実をどうしても知りたいなら、お前たちはその断片を繋ぎ合わせねば。まずは、そのロケットの話は天喜に聞いてみなよ。ゴットフリーのロケットを一時、彼女は預かっていたはずだから」


「天喜が知ってるの? 今、黒馬亭にいるはずだよ。なら、早く捕まえなきゃ!」


 ラピスに手を振ると、二人は大急ぎで黒馬亭に向かって駆け出した。


「こら、そんなに慌てないでゆっくりやれ! 過去は逃げたりしないから!」


 ラピスは駆けてゆく双子の後ろ姿を見送った後でイリスに言った。


「ま、時の矢は止まらないからなぁ。そのうち、あいつらも急がないわけにはゆかなくなるんだろうけど。でも、今は家に入ろう。イリス、お前がお待ちかねのフレアおばさんの焼きたてクッキーが届いてるぞ」

 

 イリスはうれしそうに笑ってラピスの後を付いていった。


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