第94話 贐(はなむけ)の剣

 グランパス王国の華。剣豪の王女、“グラジア・リリース・グランパス”


 字名あざなは”剣百合” - ソード・リリー -


 レインボーヘブンが復活し、水晶の棺から開放された王女が航路でその地を初めて訪れたのが、ちょうど一年前だった。


「一年ぶりのレインボーへブン! 嬉しい! あの時と違って、今回は長く滞在できるのね」

 

 齢18。腰まで伸びた黄金きんの髪を、三編みに束ねている。だが、今は以前のような鎖帷子ではなく、薄紫のレースの縁取りの白のドレスを身に着けていた。

 ケープの所々に縫いこまれた銀の刺繍はソード・リリー(グラジオラス)の花を形どってある。

 きりりとした眉と、真っ直ぐに波の向こうを見据える王女の紫暗の瞳は、王族のオーラを否が応なしに醸し出していた。だが、薔薇色に染まった頬や口元には乙女の可憐さが見て取れた。


 リリーは爽やかな海風を顔に受けて息を深く吸い込んだ。

 胸に満ちる清涼な空気。この船はあと少しでレインボーへブンに到着する。胸が高鳴った。……あのひとが出迎えてくれる幸せの島。夢がまた一つ叶った気がした。


「王女さま、そんなに浮かれている様子を他の者に見られてはいけませんよ。それと、レインボーヘブンではなく、セブンスアイルと呼ばなければ。今回の目的はグランパス王国とセブンスアイルとの交易と移住についての意見交換。それとゴットフリー様の妹君のご結婚とご懐妊のお祝いも兼ねてのことなのですから」


 苦い表情の侍女に分かっているわよと、リリーはつんと形の良い口を尖らせた。


 伝説の至福の島、レインボーへブンの復活。


 それは、隠しておかねばならない事柄だった。ただでも、突然現れた、この自然豊かな島を、近隣の島々の統治者たちが興味を示さないわけがなかった。また、海に横行する海賊たちも同様だった。


 島の守りを固めるためセブンスアイルを統括するゴットフリーたちは、他島との交流を、リリーが治めるグランパス王国と、その王国のあるグラン・パープル島に移動した黒馬島の住民、一部分だけが残されたゴットフリーの故郷、ガルフ島だけに限っていた。他島との交易等は、今はまだ早急だという考えからだった。


 無断で上陸する船は、伐折羅ばさらが率いる軍団に容赦なく退けられていた。入港できる場所が西の入江に限られていることもあって、島の守りは鉄壁だった。


 リリーは懐刀にしているレイピアにそっと手を添えた。それは、レインボーへブンに初めて上陸した際に、ゴットフリーから王女に返還された至極の宝剣だ。


 あの研ぎ澄まされた灰色の瞳。決して約束を違えず、私を水晶の棺から解放してくれた彼。

 胸が熱くなるほど、恋焦がれていたのだ。

 侍女は、そんな気持ちを熟知していた。王女の前にくるりと回って、その両手を取る。そして、侍女は言った。


「王女さま、今回は前と違って一ヶ月もの滞在期間があります。このチャンスを逃す手はありませんよ! この際、ゴットフリーさまと婚約の流れまで持っていってしまわないと。だって、お二人が結婚すれば、グランパス王国はセブンスアイルと親戚関係が結べるのです。こんなに素晴らしい話がありますか! これは、グランパス王国のこれからの繁栄と存亡にかかわることなのですよ」


 リリーは熱弁する侍女に眉をひそめたが、


「そんな……政治的な理由で結婚を決めるなんて」


「なら、王女さまは嫌なんですか? ゴットフリーさまを好いていらっしゃるんでしょう」


「えっと、あの……何て言っていいのか……」


「”剣百合”と呼ばれた方が、何を尻ごみされてるんですか! ここが頑張りどころですよ! だいたい、リリーさまは色気がない。もう18歳におなりになったのだから、こんな風にもっと肌をお見せなさい」


 そう言って、リリーのドレスの肩をぐいと下ろす侍女。


「あっ、止して」


 リリーは驚いて阻止しようとしたが、侍女はご満悦の表情をした。


「ほぅら、お美しい。その玉のような肌をもっと見せた方が殿方は喜びますよ」


「……そうかしら。あの人はこういうのには、なびかないような気がするけど。あの妖艶な女神アイアリスにだって彼は陥落しなかったのに」


「女神が何ですか。王女さまだって、一時期は水晶の女神であらせられた。美しさでは負けません」

 

 過去にこの侍女に、『ゴットフリーは諸刃の剣、決して想いを寄せてはいけませんよ』と苦言を呈されたことを思い出し、変われば変わるものだと、リリーは苦い笑いを受かべる。


 でも……と、リリーはほんの気持ちばかり襟元を開けてみる。


 こうすれば、あの人は少しはこちらを向いてくれるかしら……と。


* * *


 海からの風が少し冷たくなった。

 ココがそう感じた瞬間、ばさりと頭から兄の上着が落ちてきた。


「体を冷やすな。また、天喜に俺が叱られる」


 不愛想な態度はとっていても、ゴットフリーはさりげなく気を使っていてくれる。ココはそれが嬉しくて、ついつい饒舌になってしまう。


「そういえばね、このお腹の中にいる双子は、女の子と男の子なんだって。伐折羅と二人でもう名前を決めてあるのよ。聞きたい? ねぇ、聞きたいでしょ?」


「それは、聞けということか」


「あら、素直じゃない返答。いいもん、勝手に話すから。女の子の名前は”迦楼羅かるら”、男の子の名前は”ゴットフリー・グウィン。どう? 良い名でしょ」


「どういうつもりだ? 親はお前たちだから、どういう名前を付けようがお前たちの自由だが……迦楼羅はあの紅の灯を飲み込んだ火喰い鳥。ゴットフリーは俺の名だ。また、えらく曰く付きの名前を選んだな」


 ココは驚いた顔のゴットフリーにしてやったりの笑みを浮かべ、

「迦楼羅は邪悪を喰らう霊鳥の神の名前で、ゴットフリー・グウィンのグウィンは”白”という意味よ。すなわち、白のゴットフリー。私たちはどうしてもお兄さまの名前を残しておきたかったの。それも、今とは違う形で」


 ゴットフリー・グウィン……黒ではなく白か。そして、邪悪を喰らう迦楼羅と。


 自分のイメージはどう考えても”闇”か”黒”。同じように闇を纏った、彼らの父親になる伐折羅は、己の子供たちにそれとは対極を望んだのだろうか。

 ゴットフリーはその名を聞いて、かすかに口元で笑った。そして、言った。


「ならば、その子たちに俺から贈り物をしよう」


 おもむろに右手を前にかざす。


イリスソード


 彼がそう呟くと、手元に眩い七色の光の粒が沸き上がった。

 虹色の色彩を帯びた光は見る見るうちに、彼の手の中で、神々しい輝きの刃に姿を変えた。


 ココは前にも見たその光に目を見張った。ゴットフリーはその剣をココに差し出し言った。


「受け取れ。もう俺には必要のない剣だ。そして、これは、レインボーヘブンの未来を担う伐折羅とお前、そして、生まれてくる子供たちへのはなむけの剣」




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