第92話 レインボーヘブン復活 後日談

 至福の島、レインボーヘブンの復活から三年の月日が経った。


「あれから、早や三年か。ここで生活してみて、平和ってものを改めて身に染みて感じてるんだが……」


 黒馬亭の二階の部屋。今は宿舎兼執務室となっている部屋の窓辺から外を眺め、タルクは眩しげに目を細めた。

 季節は秋から冬へ向かおうとしていた。だが、紅葉した木々からの木漏れ日は美しく、陽の光は温かく、風が海から響いてくる波の音は穏やかだ。

 この島にも春夏秋冬は巡ってくる。……が、嵐や猛暑、大雪、地震……そういった類の災害は、周辺の島を巻き込んでも、この地だけはするりと回避してゆく。

 守護神アイアリスが闇堕ちしても、ここには自然の加護はたっぷりだ。それが、レインボーヘブンが至福の島と言われる所以でもあるのだろうが。


「けれども、俺たちは、何の”準備”も”心構え”もないままレインボーヘブンを手に入れちまった。この至福の島をどう維持していくか、それが今の課題なわけで……」

とその時、タルクはおやと隣を見やり、


「ゴットフリー?」


 執務室の机に突っ伏している男の名を呼んだ。


「眠っているのか?」


 今は島を統括する立場のゴットフリーだったが、その参謀役のタルクは、返事のない彼に同情のような目を向けた。


 結局、島の面倒を見るのはこの男の仕事になっちまった。ゆくゆくは全権を他の者たちに譲るつもりで育成までやってるんだから、疲れ果てて眠ってしまうのも無理はないな。


「ゴットフリー」


 二度目に呼ばれた時、ゴットフリーは、けだるい表情で灰色の瞳を窓辺に向けた。以前と変わらぬ黒衣の衣装。その眼差しもいつもの通りに鋭かった。


「眠ってしまっていたのか……あの海の音が俺の邪魔をするものだから」

「ああ、BWブルーウォーターか。きっとオーバーワークなお前のことを心配して、子守歌を歌ってるんじゃないのか。もっと眠れよって。でも、机についたまま転寝は止めとけ。風邪をひくから」

「……心配している割には、足元から響いてくる大地の声は、遠慮なしに頭の中に話かけてくるけどな」


「ジャンか! お前を呼んでるのか」


 苦笑いを浮かべた大男に、ゴットフリーは一瞥をくれただけだった。すると、またタルクが、

「まぁ、ジャンも寂しいのかもな。今、ここに住んでいる住民たちで、奴ら”レインボーヘブンの欠片たち”のことを覚えているのは、俺とお前、あとはラピスくらいなもんだから。あんなにジャンと仲の良かったココでさえも、記憶がおぼろげなようだし」


「寂しい? ありえないな。皆の記憶を消しているのは、明らかにジャンたちの仕業だ。それも都合の悪い部分だけを。もしかしたら、BWの歌がそうさせているのかもしれない。奴らは自分たちの存在を伝説の中だけに留めようとしているんだ。そうでもしないと、レインボーヘブンの住民たちはいつまでたっても夢の中、彼らに頼り放しの過保護のままなのだから」


 甲高い少女の声が階下から響いてきたのはその時だった。


「ゴットフリー! もとい、お・に・い・さ・まー!! ちょっと、降りてきてよ。お話があるの」

 

 名を呼ばれて、ゴットフリーは苦笑する。やれやれと、タルクは呆れた顔で窓の外に目をやった。


「ほら、お兄さま、元気な妹さまがお呼びだぜ。早く行ってやらないと、あの娘はこの部屋に駆けあがってきそうだ。そりゃあ、ちょっとマズいだろ」


「……ああ、それは止めさせたいな。無謀すぎる」


 やれやれと重い腰をあげる。後は頼むとタルクに言い残すと、ゴットフリーは黒馬亭の二階から階下に続く階段を下りていった。


「いくら、時間ができたとはいえ、こう頻繁に訪ねてこられては、こちらの身がもたない」


 そう思いながらも、ここまで妹のココはよく皆をまとめてきてくれたと、ゴットフリーは内々では感心していた。

 レインボーヘブンの自治は、統括役のゴットフリーとタルクの下で、


『都市計画と政策運営』を任せているのは、スカーとサライ村の元住民。

『医療保険と福祉』担当の天喜あまきと、『医療と軍事育成』担当のラピス。

『危機管理』担当で西の山を本部にする伐折羅ばさらと彼の仲間たち(元盗賊)。


で、構成されていたが、その誰とも上手く連携をとれる唯一の人物が、ココなのだった。


 お前はレインボーヘブンの統治者になれと言ったことが実現しそうで、ゴットフリーは心の中で、ほんの少しだけ安堵した。

”あの娘が邪魔なら、殺してしまえ”と、BWに言い放った自分の過去を思い出し、苦い笑いを浮かべる。


「しかし、あの娘はしばらくは先頭立っては働けないだろうし、自分とタルクが無事に引退できる日までには……まだ、時間がかかりそうだ」


 ゴットフリーは軽くため息をついたが、仕方がないかと足早に外へ出ていった。


*  *  *


「なぁんだ、忙しい合間をぬって訪ねてやってきたのに、ゴットフリーは留守かよ。タルクのむさ苦しい顔を見てても仕方ないなぁ。帰ろうかなぁ」


 黒馬亭の二階で、ラピスは目前の大男につまらなそうに言った。


「ココのご来訪に付き合わないわけには行かないからな。さすがのゴットフリーでも、大事な妹には逆らえないらしい」


「あいつ、あちらこちらに出没しやがって。天喜が怒ってたぞ。もうちょっとは大人しくして欲しいって」


「あー、いつだっけ? お子様が産まれるのはよ。けど、ココって幾つだ? あの娘だってまだお子様みたいなもんなのに、もう、母親になるなんてな」


 ラピスはまぁなと相槌はうったものの、タルクの意見に異を唱えた。

「予定日は、来年初めだ。でも、ココは17歳だけど、ずっと一人で生きてきただけあって、お子様というには肝がすわっていると俺は思うな。それにさ、あの”夜叉王、伐折羅”と西の山の元盗賊たちを手玉に取ってるなんて、大したもんだよ。ただ……」


 タルクと顔を見合わせ、ラピスは肩をすくめてみせた。


「やっぱり、驚いたよな。ゴットフリーを目の前にして、ココと伐折羅がいきなり、子供ができました。結婚しますって告白し始めた時には」

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