第91話 ペルセウスの心

「ふん、本当にらしくないよな」


 ラピスを抱えたまま、動けなくなってしまったゴットフリーに、伐折羅ばさらはふんと口を尖らせる。すると、傍にいた少女が肘で脇腹をつんと押してきた。


「伐折羅、大目に見ようよ。私だって、あんなゴットフリーとラピスを見ると、ちょっと妬けちゃうんだから」

「何だ、お前。元のがさつな娘に戻ってるのか」


 僕は別に妬いてなんかいないぞと、伐折羅が冷ややかな目を向けた時、ココから眩い光は消え失せてしまっていた。


 暗闇が戻り、辺りを照らすのは黒馬亭の玄関の街灯だけだった。夜空には秋の星座ペルセウスが瞬きだした。

 天の川の中に並んだ、この美しい曲線の星の列は蛇頭を持つ怪物メドゥサの首を持ち、剣を振り上げている伝説の英雄ペルセウスの姿を形どっているという。すると、成りを潜めていた星座たちがここぞとばかりに輝きだし、放射状に空を駆ける流星群となって海に落ちていった。


 ココを依童よりわらに顕現したソード・リリーは一等星ペルセウス座の方向 ― グランパス王国 ― へ戻っていったらしい。

 

「ゴットフリー、その泣き顔を見られたくなかったら、そろそろ、ラピスを離して立ち上がった方がいいぞ。ほら、宿営地の方からみんながやってくる」


 大入道のような巨体の男タルク。その迫力とは逆の人の良さげな顎鬚。野太い声でそう言いながら、男が示した方向から、幾つものカンテラの灯がこちらへ近づいてくる。ばつが悪くなって立ち上がったゴットフリーが目をぬぐっている間に、


「大丈夫か、ラピス、立てるか? 生き返りたてのほやほやで、弱ってるんじゃねぇのか」


 自分の手をとって立ち上がらせてくれたタルクの顔を見たとん、ラピスは、笑わずにいられなくなってしまった。


「あはっ、生き返りたてのほやほやだって……」

「だって、そうじゃねぇか」

「タルク?……お前、タルクだろ。初見でもすぐに分かったぞ。っていうか、お前って、本当に俺が感じていたまんまの顔してるんだな」

「はぁ、どういう顔だ?」

「そーいう、ごついくせに、やけに世話焼きな顔だよ」

「お前な、目が見えるようになったとたんに、そのへらず口か」


 その時、タルクの腕の下をすり抜けて、ココがラピスの前に飛び出してきた。


「ラピスっ、お帰りっ! 良かったぁ、私、あんたをもうちょっとで”お花畑”にするとこだった」

「お花畑?」

「あー、詳しいことは聞かなくてもいいから」


 ココは伐折羅に、意味深な笑みを送ると、しぃっと指を立て箝口令かんこうれいを敷いた。そして、こちらにやって来る人々に大きく手を振った。ラピスの姿を見つけたスカーとフレアおばさんが、驚いた顔をしてこちらに駆けてくる。


「フレアおばさーんっ、ダメだろ。そんなに急いだら、血圧があがってぶっ倒れるぞって、いつも言ってるのに」


 息をきらして走るフレアおばさんに向かってラピスが叫んだ。だって、俺は医者なんだからなと。


「ラピスっ、待ってないで、あっちへ行こうよ! フレアおばさんが倒れないうちに」


 ココはそう言い終わらないうちに、もう、駆けだしてしまっていた。


「あ~あ、猪突猛進なのは同じ兄妹でも、慎重派のお前とは全然違っているな。あの娘は色々と教育のしがいがあるかもな」

と言って、ゴットフリーの方を振り向いた時、ラピスは少女の後を追うことを躊躇している少年がいるのに気付いたのだ。

 取り戻した視力を試すように興味津々な目を彼に向ける。


 漆黒の髪と瞳。寂し気な表情。夜のしじまのように静かで美しい少年。


 へぇ、こいつが夜叉王、伐折羅か。天喜の双子の弟の。


 そんな伐折羅にゴットフリーが問うた。

「伐折羅、お前は行かないのか」


「行かないよ。あんな明るい場所は僕には似合わない。でも、居場所を見つけたんだ。だから、ゴットフリー、あなたがいいというのなら、僕はその場所でレインボーヘブンを守ってゆきたいんだ」


「西の山か……ジャンがラピスを生き返らせたために朽ちた姿のままの」


「やっぱり、あなたは察しがいいね。そういうことだから、僕は西の山に帰らせてもらう。こんな僕にも待っていてくれる仲間がいるんだ。ただし、元盗賊だけどね」


 待たせていた黒馬に飛び乗ると、伐折羅は踵を返し、西の山の方へと、たずなを引いた。去り際に伐折羅はゴットフリーに言った。


「有難う。ゴットフリー、僕に居場所を与えてくれて」


「俺は何もしていない。レインボーヘブンへの力を削いで黒馬島を残したのは、ジャンだ。その礼はジャンに言うんだな。あいつは、おせっかいだから、ラピスも伐折羅も同時に救いたかったんだろう」


「それでもね、僕をここへ導いてくれたのは、あなただよ」


 そう言って去っていった少年と黒馬の後ろ姿を見送ってから、ゴットフリーは夜空を仰ぎ見た。


 かつて、グラン・パープル島でもこれと同じ星空を俺は見上げたことがある。


 英雄ペルセウス。


 メドゥーサの首を取り、星座にまで奉られて幸せか……と

 俺はお前にそう問うた。


 ゴットフリーの心の声が聞こえたのだろうか。傍にいたラピスがぽつりとつぶやいた。

「そして、その答えは出たのかい?」


 すると、タルクが不思議そうな顔をした。

「うん? ラピス、何か言ったか?」


「いや……地鳴りの音じゃないのか。それとも、風の音。でなければ、海が沖に波を運ぶ音だ」 


「ほう? お前、”樹林”が中にいなくても、それが分かるのか。それが、本当なら、随分、色々なモノが俺たちの周りにはいるんだな」


「ああ、分かるさ。色々なモノが息づかいが俺には聞こえてくる。そんなモノたちが、この場所を守ってくれている。まだ、この島は生まれたばかりの赤ん坊と同じだ。夜が明ければ、ここはもっと美しく豊かに姿を変えてゆく。なぁ、ゴットフリー、だから、そんな無垢な赤ん坊が間違った方向に行かないための道標が必要なんだろ」


 ゴットフリーは答えず、夜空に輝く星座をただ見つめていた。その心が今なら分かるような気がしたからだ。


 ペルセウスの幸せは星座になることではなく、あの場所から人々の幸せを見届けることなのだろう。

 だから、神話の英雄は星になったのだと。


 そんな彼を鼓舞するように、タルクが明るく声をあげた。

「さぁ、俺たちも仲間のところへ戻ろうぜ。そして、明日からは、俺たちが至福の島、レインボーヘブンの新しい未来を作り出してゆくんだ」


「おぃおぃ、未来って言ったって、タルク、お前の寿命って10年かそこらの期限付きじゃないのか」


「うるせぇ、ラピス。期限つきだって、やれることはいっぱいあるぞ。お前だってジャンの力が尽きれば、また死ぬぜ。まあ、力の源は黒馬島らしいから、お前も頑張れ。それにお前は俺よりかは長生きするよ」


「おおい、ゴットフリー、タルクに何とか言ってくれよ」


 明るく寿命を語る二人に、ゴットフリーは少し呆れてしまったが、

「あの星の下に七色の虹が見える」


 そう言って、おもむろに東の空を指さしたのだ。


 すると、タルクが、

「虹? 俺には見えないが」


 けれどもラピスは、

「俺には見えるぞ」


 そんな二人に灰色の瞳を向けてゴットフリーは鮮やかに笑った。


「ああ、そうか。いいんだ、見えても見えなくても……あれは、きっとそういうものなんだ」



 あの虹の道標は、見えたい時に見ればいい。

 きっとそういうものなんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る