第90話 大地の声

「ここ、どこだ?」


 ぼんやりと目を開くと、光に包まれた少女のシルエットが見える。まだ、頭がはっきりせず、ラピスにはそれが誰だかよく分からない。


 ああ、そうだった。俺、死んだんだっけ。なら、あれが天使で、ここが天国?


 レインボーへブンの復活と引き換えに命を落とした。

 ”盲目の弓使い” のラピス・ラズリは、その事実を受け入れ納得したつもりだった。

 ……が、


 待てよ。ここって天国にしては……空がやけに暗い。それに、誰だ? さっき、俺の名前を呼んだのは。


 おずおずと、自分を見下ろしている”誰か”の顔に目を向ける。すると、彼の灰色の瞳と視線が合ってしまった。


 冬の朝の空気のごとく、研ぎ澄まされた灰色の瞳


「えっ!」


 その灰色の視線は、以前、心の中で”見えてしまった”こともあったが……。


 けど、直にこの男の顔が見えるなんて。

 ……ってことは、


 ここはやっぱり天国?!


 ラピスは焦った。

「お、お前、ゴットフリーかっ? もしかしてっ、お前も死んじまったのか!」


 ゴットフリーと共に仲良く天国行きなんて、自分の死は無駄意外の何ものでもない。ところが、


「……死んでたまるものか」


 男は、やっと出せた声でそう答えたのだ。狐に包まれたような気持ち。ラピスは、何度も瞬きをし、彼の顔を見直してみた。


 黒い髪の光を浴びた部分だけが紅に染まっている。クールな灰色の瞳。予想通りのイケ面だ。もっと大人びて見えると思ってたら、若いじゃん。これは女の子が黙っていないっていうのも頷けるぞ。


 でも、

「ゴットフリー、どうしてそんな目で俺を見るんだよ!」


 たまらず、ラピスが身を起こした時、


「そりゃ戸惑うわよ。 死んだと思っていたあなたが、声をあげてるんだから」


 凛とした声が響いてきたのだ。ラピスははっと顔をあげて、眩しさに目を細めた。神々しい光を纏った少女がこちらを見ていたからだ。


「ココ……? いや、違うな。俺には分かるぞ。お前、ソード・リリーか!」


 生きながら水晶の棺に入り、グランパス王国の守護神となった王女。 


「生き返るって? 俺が? もしかして、この目もあんたが治してくれたのか」


 ソード・リリーは首を横に振る。


「いいえ、私はもう水晶の女神ではないの。今はそんな力は持ち合わせてはいないわ」


 その時、突然、激しく大地が揺れた。その直後に隕石でも落ちたかと見紛う轟音が辺りに鳴り響いた。


「な、何だ!」


 一同は驚いて顔を見合わす。すると、伐折羅ばさらが、


「西の山だ! あそこの絶壁が海に崩れ落ちたんだ!」

「絶壁が崩れたって? それって、黒馬島で盗賊たちが根城にしていた西の山のことか」

「おかしいじゃないか! 黒馬島はレインボーへブンに吸収されて、豊かな土地に生まれ変わったはずだろ」


 タルクは腑に落ちない顔をしたが、伐折羅は言った。


「そうじゃないんだ。黒馬島は、西の山だけ元の姿のまま、レインボーヘブンに残されていたんだよ」


 しばらくの沈黙。

 ゴットフリーはふと耳をすませた。地鳴りの音が聞こえてくる。あれは、以前も有無をいわさぬ力で俺の頭に入りこんできた……大地ジャンの声だ。

 あの少年と会うまでは意味の分からなかった地鳴りの音が、今は言葉となって脳裏に浮かび上がってくる。


『だって、少しばかり、大地の力を使っちまったって、仕方ないだろ。僕はグラン・パープルを出る時にラピスを追いかけてきた娘に言ったんだ。”ラピスは必ず僕がここに返すからって。あいつの両親にも約束したんだ。どんなことがあろうとも、その約束だけは守るから!”って』


「なるほど……それで分かった。ラピスの命と視力が蘇った理由が」


 レインボーヘブンの欠片”樹林”と”大地”は”癒しの力”を持っていた。

 おそらくは、ラピスの目はあの蓮池の光で”樹林”が、ラピスの命は”ジャン”が蘇らせた。ジャンがラピスに注ぎ込んだ力の分だけ、黒馬島はレインボーヘブンに同化できずに荒れたままで残されたというわけか。

 

「あいつら……おせっかいにも程がある。けれども」


 ……残してくれた。


 至福の島の復活と引き換えに、大切なモノをすべて失ってしまった俺に、たった一つだけ、


 彼らの面影を……その意志を継ぐ者を。

 

 胸が熱くてたまらない。ゴットフリーは、たまらず腕を伸ばし、手前にいたラピスを抱き寄せた。


「あっ、おいっ、いきなり何だよ、ゴットフリー!」


 俯き、顔をあげないゴットフリーに、ただ驚くばかりのラピスは、肩を震わせ嗚咽しだした黒衣の男にさらに驚き、なす術が見つからない。


「ゴットフリー、お前が泣くなよ……似合いもしない」


 その言葉にもゴットフリーは涙が止まらなかった。


 泣けなかった自分。けれども、泣きたい時が幾度もあった。

 そんな時、自分の代わりにジャンが泣いてくれた。


 だが、今はあいつはいない。


「だから、今だけは……俺に……」


 こうさせてくれ。

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