第87話 黒馬亭で

「どこ行くの! そんなに強く引っ張らなくても勝負するなら、ここでいいじゃないの」


  黒馬亭から少し離れた野原。日は暮れて辺りの景色はほとんどが暗闇だった。その暗さと対象に空には天の川の星雲がかかり、輝くばかりの星々があちこちで下界を見下ろしながら瞬いている。

 憮然と黙したまま腕を引く伐折羅ばさらに、ココは猛抗議する。もうこうなったら、夜叉王、上等! 殴り合いでもなんでもやってやろうじゃないのと。


 ところが、伐折羅は淡々とした顔をして前を指さすのだ。


「何よ、暗くて何にも見えない……」

 と、言いかけて、ココははっと目を瞬かせた。前方から近づいてくる漆黒の影。にぶく響くひずめの音。風になびくたてがみ。そして、暗いいななき。


「ま、まさか、これは……」

 

 シャドゥ! ゴットフリーの……ううん、闇の王の乗馬の。

 けれども、あの黒馬は、霧花に先導されて女神アイアリスを闇の世界へ連れて行ったはず。


「お前っ、また、この世に戻ってきたの? ゴットフリーを闇に誘うために? それ、ヤバイじゃん。しっしっ! あっちへ行けっ。お前はぜんぜんっ、お呼びじゃないんだから」


 必死の思いでココは追い払おうとしたが、伐折羅はそれを無視して黒馬のたずなを手に取ろうとする。


「伐折羅っ、止めてっ。あんた、その馬がどーいう馬か、知ってやってんの!」

 けれども、

「どーいう馬か、よく分かってるよ。大丈夫、これはただの黒馬だ。闇の王の乗馬じゃない。どこからともなく現れて、僕の後を付いてきた」

「へっ?」

「へっじゃないだろ。その間抜けた顔を元に戻したら、さっさとこいつの背に乗れよ。西の海岸に面白い物を見つけたんだ。今から、そこへ連れて行ってやるから」

「西の海岸?」

「それを見たら、きっと、お前は否が応でもこの島を何とかしたくなる」


 伐折羅はそう言って、黒馬の背に乗り、ココにこいよと手を伸ばした。夜の静寂しじまのような冷涼な笑み。

 けれども、以前のような残酷さはなく、ココはついその手に自分の手を伸ばしてしまうのだった。


*  *


 ラピスが眠っている黒馬亭。

 眠りといっても、それは目覚めることのない永遠の眠りだ。

 

 夜の風に背を押され、星の光を頼りに蔦のアーチを潜り抜けて、ようやく仲間のいる宿営地にたどり着いたゴットフリーが最初に目の当たりにしたのは、至福の島の復活に喜ぶ人々の顔、顔、顔。

 そして、次に受け取ったのは、仲間からの感謝の言葉と……彼が最も気にかけていた青年 ― ラピス ― の訃報だった。


「気はすすまないだろうが、埋葬する前に、あいつに会ってやってくれ」


 ゴットフリーをラピスがいる黒馬亭へと先導しながら、タルクは渋い顔をした。本当は自分自身もこんな道案内はしたくはなかった。けれども、どこかでケジメをつけないと、俺たちは前へ進めない。その気持ちはゴットフリーも理解していた。それでも、心は重く沈んでゆく。


 そんなお互いの辛い気持ちを吹っ切るようにタルクは明るく言った。


「ココがひどく落ち込んでるんだ。あの娘って落ち込むとじっとしてられん性分のようで、辺りの花を手当たり次第に摘みまくっては、ラピスの上に盛ってるみたいなんだ。きっと、黒馬亭の二階は花屋敷みたいになってるぞ。けどな、あいつってまったくセンスがなくって、俺の想像じゃ、ラピスは花団子みたいにされてるぞ」


「……花団子か。まぁ、あの娘が暴走すれは、そのくらいはやるかもな」

 ゴットフリーはくすりと笑う。


 そうこうしているうちに、黒馬亭の灯りが見えてきた。ゴットフリーはぽつりと言った。


「ラピスの両親に奴の弓矢を届けなくては……な」

 その言葉にタルクは眉をしかめて言った。

「もしかして、俺が?」

「当たり前だ。俺はそんな役目はまっぴらだ」


 そう答えを返すと、ゴットフリーは重い足どりで黒馬亭の玄関への階段を上って行った。


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