第86話 悲しい気持ちが止まらない

「おい、飯の時間が終わっちまうぞ。ココはまだこっちに来ねぇのかよ」


 元々は黒馬島の海岸だったが、今は豊かな緑に覆われた草原。その場所に臨時に作られた食事処でスカーは、夕食のシチューをほおばりながら、隣に座るタルクに言った。


「ココは黒馬亭でラピスを埋めてる」


「埋めてる? 黒馬亭で? 外海に沈んだあの土地は、レインボーヘブンが復活した時に花の丘になったと皆が噂していたが……埋葬はゴットフリーが帰ってきてからって、ラピスはまだ黒馬亭に寝かしてあるんだろ」


「その丘で摘んだ花でだよ。せっせと色んな花を運んではラピスの周りに山積みにしてる。今は放っといてやれ。ああでもしてなきゃ、ココは堪らないだろうから」


 畜生っ、俺だってラピスの遺品の弓矢を奴の両親に届けるなんてしたくなかったんだ。


 悔しい想いを隠しきれない大男を慮ってか、スカーは頬の傷を微妙に歪めて顔をしかめた。

 ゴットフリーに過去につけられたこの傷にも今は遺恨の思いはない。あの男のおかげで、俺たちは至福の島”レインボーヘブン”を手に入れることができたのだ。スカーは吹っ切るように笑みを浮かべて言った。


「しけた面してねぇで、この楽園の景色を見てみろよ。見たか? 感動しただろ。だったら、お前はそのでかい図体を台無しにしないように、とっとと飯を食いな。今、かき集めてきた食材でフレアおばさんが工夫の限りをつくして用意してくれた夕食だ。早く食べないとバチがあたるぞ」


 スカーに背中をばんと叩かれて、タルクはやっと顔をあげ、

「……だな。しかし、こんな夢みたいな場所にいることが俺はまだ信じられない」


「おおい、もうそんなことを言ってる段階じゃねぇぞ。復活したといっても、まだ、この島の生産的な活動はゼロ状態だ。いくら豊かな資源があったって、それを有効活用しなきゃ意味がない。そこでだ……」


 さっそく、生産活動とやらの計画を口にしだしたスカーを見て、タルクは笑う。


「お前って、だんだんゴットフリーに性格が似てきたな。っていうか、奴よりお前の方がドライな分、もっと実務に向いてる」


「はぁっ? ま、そんなことはどうでもいいけどよ……ゴットフリーは本当にここに戻ってくるのかよ。あの……何て名だっけ? え……と、あの無駄に元気な小僧と一緒に消えちまったんじゃないだろうな」


 頭脳明晰なスカーの言葉にタルクは驚きを隠せなかった。ゴットフリーのことより彼がジャンの名前を思い出せなかったことにだ。


「嘘だろ。スカー、お前、ジャンの名前を忘れちまったのか? ジャンはレインボーヘブンの欠片”大地”! 俺たちと艱難辛苦を共にしてきた大切な仲間だろ!」


「ああ……そうか、ジャン! 忘れるわけねぇだろっ。タルク、お前、馬鹿じゃねぇの」


 とは言ったものの、スカーはそれきり口を閉ざしてしまった。記憶の一部にかかった薄い雲が徐々に厚さを増してゆくような、何とも言えぬ心地悪さを感じていたからだ。


「スカー、心配するな。ジャンが帰すと断言したんだから、ゴットフリーは必ずここへ戻ってくる。ジャンは絶対に約束は守りとおす。そういう奴なんだ」


 自信満々のタルクにスカーは苦い笑みを浮かべて、そうだな。と、うなづくだけだった。


*  *


 黒馬亭の二階。宿屋の寝室として使われていた部屋の扉を開けたとたんに、どっと鼻をついてきた花の香り。伐折羅ばさらは中の様子を覗き込み、思わず眉をひそめた。


 赤、緑、青、紫、白、ピンク……知っているほとんどの色。そして、それらの色に彩られた”名も知らぬ”花々が、窓辺のベッドの亡骸 ― ラピスと呼ばれ、彼の命を至福の島の復活に捧げた青年 ― の周りに積み上げられていたからだ。その傍らに少女がうずくまっていた。手に、花々でいっぱいに溢れた籠を抱えて。

 

 ココ……? これは、この娘が集めてきたのか。


天喜あまきにココが心配だから見に行ってきてと頼まれて来てみれば、何だい、この取り留めのない花の山は? それに、こんなに積み上げちゃ、ゴットフリーが帰ってきても肝心のラピスの姿が見えやしない」


「いいの、これでっ! どうせ、明日には土に埋めちゃうんでしょ。なら、今のうちに私がラピスにレインボーヘブン中の花をできるっだけ、たくさん集めて見せてあげるんだ。それに、ラピスの顔だけはちゃんと出してあるしっ、文句なし! だいたい、何であんたが私のやることに口出すのよ、あっちに行って! 私の好きにさせてっ!」


 伐折羅に冷たい一瞥を送ると、ココはまた花を摘むための籠を手に取り、部屋から出て行こうとする。


 だが、通り過ぎざまに伐折羅に腕を掴まれてしまった。


「待てよ、花を見せるって? お前、馬鹿じゃないのか」

「はぁっ? 何で私があんたに馬鹿呼ばわりされなきゃなんないのよ」

「明日には土に埋めるってお前自身が言ってたことだろ。彼はもう。花なんてただの供え物にすぎない」

「……え?」

「死んでるだろ」

「……」

「……」


 無言のやり取りがあった直後だった。


「分かってる! 分かってるけど、何でそんなことをズケズケと言葉にすんのよ!!」


 ココが爆発するみたいに泣き出してしまったのだ。悲しい気持ちが止まらない。すると、ココは自暴自棄になり、ベッドサイドに落ちている花をまたかき集めて、ラピスの上に積み重ね出したのだ。


「ラピスに綺麗な花を見せてあげるんだ! ラピス、もっといっぱい集めてきてあげるからね! だから、喜んでよね!」


 姿ばかりか顔まで花にうずもれて見えなくなってしまうラピス


「おいっ、もう止めろって!」

「放っといてよ! 人でなしっ」


「お前、ゴットフリーの妹を名乗るならもっと前を向けよ! あの人が導いてくれた目的地レインボーヘブンで足を止めるんじゃない!」


「私は自分からゴットフリーの妹だなんて名乗った覚えはないから! それに、至福の島なんて私は元々興味なんてなかった。レインボーヘブンの欠片たちは面倒ばかりでウザかった。どこで止まろうが、足踏みしようが私の自由!」


 退いてよと、ココが伐折羅の横を通り過ぎようとしたその時だった。


「……痛っ!!」


 伐折羅にココは思いっきり頬を引っぱたかれてしまったのだ。


「何すんのよっ! 私にケンカ売る気っ! 受けてたつわよ。伐折羅、あんたの綺麗な顔なんてハチャメチャにしちゃうんだからっ」


 そんな少女の腕を引き、伐折羅は、夜の湖の底のような漆黒の瞳を彼女に向けて、冷淡に言った。


「なら、外に行こうか。ちょうど、日も暮れてきた。僕だって、母のことをウザいなんて言われて、黙っているわけにはゆかない」


 その時、ココは思い出してしまったのだ。


 伐折羅と天喜の母は、レインボーヘブンの欠片”空”。そして、この綺麗な顔をした少年が、かつての黒馬島で”夜叉王”と呼ばれた、百億の闇の戦士を引き連れた夜の守り手であったことを

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