第85話 幸せの意味

 豊穣の香りを醸し出す麦色の大地。究極までに澄み渡った空。

 外海から響いてくる海鳴りが、鳥たちの声と混ざり合い、歓喜の声をあげている。


 強烈な蒼の光が炸裂すると同時にジャンが消え、ゴットフリーが一人で残された小舟の上。

 小舟といっても、今は海に浮いているわけではなく、それは復活した”伝説の島”の中央にぽつんと残されている。


 ゴットフリーは見渡す景色に気圧されて、言葉を失ってしまっていた。


 これが俺が追い求めてきた伝説の島、レインボーへブン。


 レインボーへブンは至福の島。この永遠の楽園を手に入れるために俺たちは”虹の道標”をたどり続けてきた。

 だが、これは……この究極の豊かさは


 ゴットフリーが驚くのも無理はなかった。彼が、目の当たりにした島は余りにも美しすぎた。その場所はすべての自然の恵みを受け取っていたのだから。


 これは……俺の想像していた豊穣の領域をはるかに越えている。

 

 今、地上に誕生したばかりの大地には、汚れもよどみもよこしまもない。

 それは、癒し、祝福するのみなのだ。大地の上に生きとし生けるモノたちの生命いのちを!


「ジャン、これがお前の真の姿……か」


 長い旅路の最終地点で俺たちが受け取った……これが、レインボーヘブンの女神からの報酬か。

 麦色の髪ととび色の瞳。ジャン・アスランと名乗ったあの快活な少年にまだ姿があったなら、「うん、そうだよ!」と、くったくのない笑顔で答えるのだろうが。

 今は、人としての姿はなく、爽やかに耳元に吹いてくる風が彼の声を代弁している。


「少しも出し惜しみをしないのは、実にお前ジャンらしい……な」


 小さく笑みを浮かべたが、いつまでも感慨無量な気分に浸っているわけにもゆかない。仲間たちが待っている。ゴットフリーは小舟の上に立ち上がった。その時だった。彼の足元から輝くばかりの緑が芽吹きだしたのは。


 瑞々しい草の蔦が

 色鮮やかな花々が

 目に染み入るような生まれたばかりの樹木が

 辺りを様々な緑に染めてゆく。


 瞬きする間に、麦色だった大地に付け加えられた鮮やかな緑。


「……少しだけ、期待していた俺は浅はかだったのかもな」


 レインボーヘブンが復活するにあたり、欠けていた緑生の恵み。それに気づいていながら、ゴットフリーは敢えて無視を決め込んでいた。それはレインボーヘブンの欠片”樹林”がまだラピスの中に留まっているという証だから。


「”樹林”は、ラピスの中から出ていったのか。そして、ラピスは命を失くした。……それがあの二人の選択ならば仕方がないが」


 そうは思っても、”樹林”とラピスを共存させれなかった結末に、苦々しさが心に沸き上がってくる。


 そして、俺はまた大切な者を失くす……。


 すると、そんなゴットフリーを鼓舞するように涼しい風が頬をなぜてきた。 はっと風が来た方向へ目を向けると、突然、辺りを覆っていた緑の木々がさやさやと枝葉をしならせて、彼の足元の先に緑のアーチを作り出していた。


 ― ここをかき分けて、早く行けよ。仲間が待ってるんだろ? 人々を幸せに導くのがお前の運命さだめ。そうせぬことにはお前の心は満たされない ―


 それが誰とも判別のつかぬ声。

 けれども、背中を押してくる風がゴットフリーの足を急がせた。

 

 ― 失うものがあっても、心が砕けても、待っていてくれる人たちがいる。お前は決して足を止めるな。失うよりもっと沢山、得るものもあるよ。お前は幸せになれる。それこそが、至福の島”レインボーヘブン”がこの世にある意味なのだから ―



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