第84話 復活の時~別れ

 強烈な蒼の光に視力を奪われた後に光が薄れ、徐々に視界に入ってきた景色。

 黒馬島の海岸に残された人々は、ただ目を見開いて、変化する周りの風景に驚くばかりだった。


「……俺たちはみんなで同じ夢を見ているのか」


 圧倒的な大地の息吹が、中海の方向から押し寄せてくる。

 

 寄せる波が順を競い合うように陽光の中に消えてゆく。海底の土は見る見るうちに肥沃な大地に姿を変えだした。


 砂と泥層が繰り返し隆起し、肥沃な地層を作り出し、それが山になる。

 山は徐々に高く背を伸ばし堂々と地にそびえ立つ。


 わずかに潮の香りを含んだ風が吹く。

 そして、豊かな大地が、山裾から波紋を描くように黒馬島の痩せた土壌を塗り替えだした。

 

「中海から生まれた大地が少しずつ動いている……ほら、あれはじきに俺たちの足元にまでやって来る」


 スカーの傍でただ驚くばかりのココは、


「これは……ジャン。きっと、ジャンがレインボーヘブンの大地に……元の姿に戻ったんだ。そして、ジャンは約束通り”黒馬島クロ”をレインボーヘブンの中に取り込もうとしてるんだ」


 人の姿のジャンにはもう会えないと思うと、何だか切ない。けど、悲しんでなんかいられない。ううん、悲しいことなんて何もない!

 

 だって、こんなに美しい大地が、目の前に広がってる!

 それに、この見たこともないような澄んだ空!


 絹を重ねたような薄い雲が、虹色に輝いている。

 その向こうには眼を澄ませ、心を洗い流すような鮮やかな青。

 それが優しく暖かく、下界を見下ろしている。


「お母さん!」 


 ココたちの後ろで、同じように空を見上げていた天喜と伐折羅は、声をあげずにはいられなかった。

 これが、母がかつて彼らに見せてあげると約束した至福の島の空なのだ。


 柔らかな風の音と、歓喜の鳥のさえずり。その音が耳から身体の中へ入り込んでくる。


 まだわずかに波紋を残す中海の水は、黒馬島の黒い大地を明るい麦色に染めながら、外海へと流れ込む。


 消えゆく中海


 だが、それと引き換えにダークグレイの外海が紺碧に染まりだした。


 闇の女神アイアリスが下った先の漆黒の水平線が、瞬くうちにサファイアブルーに変わる。

 目に染み入るような銀色の波が天空に飛び散る。


BWブルーウォーター! レインボーヘブンの紺碧の海」

 

 空と海に分断されたそれぞれの青と蒼。

 空の青は、胸を梳くような鮮やかな明るさで、地平の上に広がってゆく。

 海の蒼は、祈りを捧げるかのような清浄な輝きで、新たな水平線を描き出す。


 そして、草は土を育てるために生まれ来る。

 

 黒繻子くろじゅすのようにつややかな種子が発芽し、

 新鮮な緑が芽吹き、豊穣を称える陽光の輝きがそれを育む。

 虫を介して受粉する花々。


 もう、走り出した思いは止まらない。この身がどうなっても。


 この瞬間に、緑の命を体に宿した盲目の青年は、新たな命の芽生えと自らの命の終焉を覚悟した。


 ラピスは、引き付けられるように中海だった場所に向かって歩き出す。ちりりと痛みが走り、体中に緑の唐草の文様が浮かびあがってくる。

 己の中に住んでいたレインボーヘブンの欠片”樹林”が外に出たがっている。ラピスは”うん”と小さくつぶやくと、彼と別れの詠唱を共に口ずさんだ。


 「 東方の蒼海、西方の霊峰、北厳の大地、南空を渡る赤きアルファイド

  我は豊穣の地の欠片、幾億の緑生は我が命の拠点なり 

  四神により生み出され、目覚めを待つ生命の種子よ、ここへ来たれ

  古より彼の地を護る虹の女神よ、その芽生えに生命の息吹を与えん 」


 そして、叫んだ。至福の島に緑の命を与える究極の言葉を!


「命の鼓動よ終結せよ! 生きとし生ける者と物の姿を我の前に知らしめせ!」


 麦色の大地に、爆発的な速度で広がりだす緑。

 木々が高く背を伸ばし、蔦は幾重にも絡まり、花々が大地を彩った。


「ココ……これでお別れだ」


 体の緑の文様が消えたとたんに、足元がおぼつかなくなり、その場に膝をついたラピス。

 慌てて傍に駆け寄ってきた少女は、小さく震える彼の横顔に驚きの声をあげる。


「ラピス、目が、目がっ」


 固く閉じられていた盲目の青年の瞼が開いてゆく。

 澄んだ花緑青。いや、ラピスは生まれながらの盲目。ココが前に見た同じ色は、ラピスではなくレインボーヘブンの欠片”樹林”の瞳の色だった。


「ラピスっ、あんた、樹林じゃなくて、ラピスとして目を開いてんの? でも、何でっ?」


 何かがおかしい。始まりと終わりの予感が少女ココの心を強く揺らした。

 その動揺を慰めるかのように、風は春の香りと音を引き連れてきた。冷たく流れる川が、さらさらと優しい音に変わる。水は澄み、小さな魚たちが揚々と川面を泳ぎだした。


 美しかった。生まれて初めて自分自身の目で見る景色は、何もかもが目眩を感じるほどに。


 後悔なんかしてない。これが、最後に見る景色となっても。


「これが至福の島、レインボーヘブン」


 徐々に弱まる心臓の鼓動。それを感じながらラピスは傍にいる少女の顔を見た。以前、”樹林”の目を通して見た小リスみたいな瞳の少女。


 ああ、やっぱり、ココって可愛い顔、してるな。 


「大きくなって美人になったココを見れないのは残念だけど」


 爽やかに微笑み、ラピスは言った。


 ”会えたことに意味があるから”


 それきり彼は静かに息を止めて、大地に倒れこんだ。

 彼の名を呼ぶ少女の声が、懐かしかった。

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