第77話 決意

 乙女の姿にもどった女神のすがるような青の瞳。動揺と後悔の色をたたえた視線が、ゴットフリーを見つめている。だが、空に浮かぶ審判者は、容赦なしに手にした天秤を右に傾けた。


 - 闇 -の方向に。


「こんなことは、ありえない……あってはならない! 女神の魂の審判が闇などと」


 美しすぎる乙女の絶叫が、波打ち際にこだまする。


「自業自得だろ!闇に堕ちるのがお前にはお似合いだ!」

「お前は、俺らの仲間を何人も殺した。今更、女神面をするな!」


 村人たちは、怒号をあげながら海岸に向かって石を投げつけた。


 ラピスは慌てて、彼らの間に入ろうとする。

「止めろ!こんなまねをすると、天罰が下るぞ!」

 

 それが闇に堕ちた女神ならば尚更。

 

 すると、村人が投げた石が高速で跳ね返ってきた。たじろぐ人々を嘲るようなうねりをあげながら、女神の背後で紅の風が渦巻いている。それも酷く暗い色の。


うみ鬼灯ほおずき!こいつらの攻撃はエンドレスかよ!」


 紅の風は、上昇しながら血を吐いたような色の火竜に変化する。

 空にうねる粘った体。禍々しすぎるその咆哮に盲目の弓使いは身をすくませた。

 だが、


「ラピス、その畏れがあの紅の力になることを忘れるな! 同じ繰り返しは、俺はもう御免だ。この決着はつける。今、この場所で」


 そう言って、ゴットフリーは銀の弓と、一本の矢をラピスに差し出した。月の雫が零れ落ちたような輝きの矢だった。


「これは……」


「この弓を俺に託した後に、お前は言ったな。どこかでこれの矢を見つけたら、回収しておいてくれと」


 それは、アイアリスの異空間の罠に堕ちかけたゴットフリーを、現世に戻してくれたラピスの矢。


「ジャン、タルク、お前たちも最後の力を俺に貸してくれ! これが総決算だ。邪心の女神にしくまれた、このくだらない伝説をさっさと終わらせてしまおう」


 黒衣の男の言葉に、ラピス、ジャン、タルクはこくりと一つ頷いた。


*  *


「信じて、ゴットフリー!この火竜が現れたのは私の意思じゃない!私はもう誰の命も奪いたくない!」


 悲愴な声をあげる女神アイアリス。背後には殺戮の叫びをあげた怪物が、お前の意思など知ったことかと、紅蓮の炎をあげている。


 海岸の人々に向かって、火竜が口を開く。口から漏れたその吐息でさえもが酷く熱い。


「何とかしてくれ。焼き殺される!」


 村人の叫び。巻き起こった熱風。


「畜生っ!どうやったら、あの紅の灯を消すことができるんだよっ」


 長剣のタルクと弓使いのラピスは、武器を正面に構えてみたものの、なす術がない。ゴットフリーでさえも熱さに後ずさってしまう。


「みんなっ、下がってて!お母さん、お願い。これが最後よ、私と伐折羅ばさらに力を貸して!」


 そう声をあげたのは、ゴットフリーたちの後ろにいた天喜だった。


 ― 天喜あまき、あなたの最後の願い。確かに聞き届けました ―


 天空に浮かび上がった天使 ― レインボーヘブンの欠片 "空" が両の翼を大きく広げ、くるりと身を翻した。その瞬間、天使の姿は消え失せ、代わりに巨大な漆黒の鳥が天空に現れた。


 ― 伐折羅ばさらの黒い鳥 ―


「深い夜を取り戻すためなら、あれは火をも食らうだろうね」


 伐折羅は、空を見上げて、冷涼な笑みを浮かべた。だが、そこからは以前のような残酷さは消え失せていた。


「もう夜叉王ではない僕には、あれを操る力はない。でも、あいつは僕の命令がなくたって、夜の静寂を取り戻すためなら、火喰い鳥 ― 迦楼羅かるら―となり、火竜の炎など全部飲み込んでしまうさ」


 その瞬間だった。巨大な鳥の口が大きく裂けて、火竜の炎を飲み込んでいった。


 体から引きはがされる炎。火竜が壮絶な咆哮をあげる。炎を食らうほどに黒い迦楼羅の体は燃えるような色に変わり、胃袋からはみ出した紅の色が、見えるほどに大きく成長していった。


 ジャンが叫んだ。


「駄目だ!伐折羅、あの鳥を上空へ追い返せ。迦楼羅の体がはち切れたら元の木阿弥もくあみだ。また紅の灯が火竜に戻ってしまうぞ!」


「さっき、僕が言ったことをを聞いてなかったの。僕はもう夜叉王じゃない。迦楼羅を操る力はもうないんだ」


「ああっ、くそっ!」


 ジャンは苛立った。天喜と伐折羅が”昼と夜”を担う運命から解放されたのは喜ばしいが、もう少しタイミングを遅くして欲しかった。こうなったら頼れる者は奴しかいない。


「ゴッドフリー、何とかしろ! お前、まだ、闇と少しは繋がっているんだろうっ!」

「呆れる。光を選べと散々、うるさく言ってきたお前がそれか」

「今は、そんなことを言ってる場合じゃないだろ!」


 ゴットフリーは、ジャンの言葉に眉をひそめたが、空の怪鳥に向かって声をあげた。


「火喰い鳥! もう食事は十分だろう。空の果てでその膨れた腹をこなして来い!」


 そのとたんだった。迦楼羅が翼を大きく天に向かって羽ばたかせたのは。

 その様子を見ていたタルクは、改めてゴットフリーの力に舌を巻く。


 すげえ……鶴の一声であの怪鳥を空に追いやっちまった。本当にこの男の正体は何者なんだ?

 

 長年、傍にいても未だにそれは分からぬ謎だった。


 迦楼羅が火竜の炎を食ってくれたおかげで、灼熱の熱さは今はなかった。ゴットフリーは、火竜に怯えて背中にくっついていた少女を手で後ろにおいやると、


「ラピス、ココを頼む。ジャンはタルクと一緒に俺に付いてこい!」


 炎の鎧をはがされ、恨みの叫びをあげ続けている竜。それが待つ海へ波を分けて入っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る