第75話 後悔と再会


 異空間を厚く覆っていた白い靄が薄れてゆく。


 ゴットフリーを裁く最後の審判の天秤は、左に傾いた。至福の島は光の側に蘇る。闇に堕ちた女神には、そこに居場所はないのだ。

 女神アイアリスは抑えきれぬ悲しみに身を震わせ、むせび泣いた。


 後悔の日々。

 至福の島と言われた楽園を崩壊させ

 己がもたらした惨状に目を背けることもできず、阿鼻叫喚の声に耳を塞ぐこともできず、

 多聞の耳と、千里を見通す目が今は疎ましい。

 紅の灯に心を蝕まれ、後戻りのできぬほど闇に堕ち


 ゴットフリー

 光と闇を架ける者

 あなたの愛だけが私の救いだった。

 それなのに

 灰色の瞳は澄み切って、私にはもう正視することができない。

 抱きしめることはできぬとも

 せめて、その手に触れさせて

 

 愛する我が子、愛しい恋人、夢への欠片

 虹の道標

 

 私の世界にあなたの光はもう届かない



* *

 

 砂の感触。

 ゴットフリーは、手元のざらざらした黒砂に触れて、はっと瞳を見開いた。

 

 黒馬島の海岸!

 戻ってこれたのか。

 

 辺りはまだ白い靄に覆われている。だが、ゴットフリーの灰色の瞳は、一瞬で前方から駆けてくる明るい光を捕えた。


 どんなに視界が遮られていても元気なオーラはすぐに分かる。

 いつか盲目の弓使いラピスから聞いた言葉がはっきりと脳裏に浮かんだ。


「ここだ! 俺はここにいる!」


「ゴットフリーッ!!」


 寄せる波の間をとび跳ねるように響いてきた弾んだ声。


 黒衣の男は、ためらいもなしに少女の名を叫んだ。


「コーネリアス!!」


 長い回想の中でようやく思い出した最愛のココの本当の名を。


 全速力で駆けて来た少女の体を、わが身を投げ出すように抱きしめた。

 ゴットフリーに、こうあからさまな態度を取られると超照れくさい。


 ココは、小リスのように、はにかんだ笑みを浮かべて言った。


「あはっ、あ、ありがとう、ゴットフリー。光の側を選んでくれて」

「礼などいるものか。お前が俺をここに呼び寄せてくれた」

「ううん、違うよ」

「何が違う?」

「ジャンだもん。ジャンがいるから、ゴットフリーは光の側に戻って来たんだ。でもね、他のみんなだって、ゴットフリーを信じて待ってたんだよ」


 その時、白い靄が霧が晴れるように薄れていった。黒砂の海岸に現れた見知った者たち。

 ゴットフリーの胸は思わず熱くなった。


 そっと、妹を抱く手を離し、彼女が駆けてゆく先に目を向ける。



 盲目の弓使い 、”ラピス・ラズリ”。サライ村のリーダー ”スカー”。警護隊の面々。皆の世話役のあの婦人フレアおばさんも。その誰もがうみ鬼灯ほおずきからの散々の攻撃を受け、切りぬけて生き残った仲間たちなのだ。


「みんな、無事でいてくれたか!」


 その中にあの少年がいた。快活で人の心を高揚させる、くったくのない笑顔の。


 ―  ジャン・アスラン 至福の島、レインボーヘブンの欠片"大地"  ―


「ゴットフリー、おかえり! けど、僕がこの台詞を言うのもこれが最後だと思うよ」

「ジャン、お前、まだ人の姿をとれるのか」

「う~ん……なんとか頑張ってる。だって、今、僕が元の姿に戻ったら、みんなが困るだろ」


 その時、

「俺は困るぞ! だから、ジャン、堪えろ! でないと、これまでの死闘が水の泡だ」


 少年の後ろからぬっと姿を現した顎髭の大男。その姿をゴットフリーは唖然と見つめた。驚愕、欺瞞、喜び? 様々な感情が湧き上がり、しばらくは声も出せずにその場に立ちすくむ。


「タルク……アイアリスに岩にされ、砕かれて……砂粒になって消し飛んだはずなのに……お前、なぜ、ここにいる!」

「なぜって……?」


 一瞬、また海の鬼灯の罠かとゴットフリーの脳裏に不安がよぎった。

 ……だが、


「だって、お前は、アイアリスの作った異空間の中で俺とジャンに言ったじゃないか。『お前たちは、この異世界が消えても、決して……決して消えてくれるなよ』と。俺は、ガルフ島警護隊長ゴットフリーの第一の臣下。隊長の命令は絶対服従が信条だからな」


 いつもの人の良さげな笑みでタルクは笑った。……が、ゴットフリーはまだ納得がゆかない。そんな彼の戸惑いを感じ取ったラピスが、歩み寄って来た。


「多分、天喜あまきが拾ってくれたタルクの指を手がかりに、あの夜風が砂粒になって吹き飛んだタルクの体を集めてくれたんだろ。そして、それに命を吹き込んだのは……」


 すこし、バツが悪そうな顔をした、とび色の瞳の少年を振り向いて言葉を続ける。


「ジャン、お前だな」と。



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