第74話 もう、お前はどこにもいない

 エターナル城の西の尖塔。

 光の階段を最上段まで上り詰めて扉を開く。入り込んだ部屋の大理石の床は、それが異空間に作られた幻想とは思えないほど硬く冷たい。


「水晶の棺……」


 部屋の中央に置かれた無色透明な棺。その輝きを目の当たりにした時、ゴットフリーは神々しさよりも、突き刺すような痛みを感じてしまった。


『レインボーヘブンの欠片”大地”が作り出した水晶にはよこしまを遮る力がある』


 水晶の棺の中に横たえた乙女。


 七色の光を放つ腰まで波打つ白銀の髪。

 白桃のような艶やかな肌。纏う純白の薄絹のローブ。

 すべてが白に染まった中で、唯一、色を成してこちらを見据えてくる青の瞳は、晴天の海のように美しく、慈愛に溢れている。


 もし、500年前から伝わる至福の島の伝説が真実だったとしたら……彼女の名を、人々は迷いもなくこう呼ぶだろう。


 幸福と豊穣の島、レインボーヘブンの守り主、この世で最も美しい女神


 ”アイアリス”と


 だが、ゴットフリーが水晶の棺の蓋を開いた時、


「愛しい人、至福の島の真の王、よくここまで来てくれました」 


 棺の中から百合の花のような笑みを浮かべ、両手を差しのばしてくる乙女に、黒衣の男は、

「ふん、笑わせてくれる。汚い罠をかけ続けてきたお前が、よくもそんな台詞が吐けるものだ。悪いが、俺はレインボーの王座はとっくに放棄した」


「あら、心外なことを言う。ならば、私はあなたに問う。散々な苦労をして、この場所に来た理由は何? いい加減に認めなさい。あなたは自分の意思で辿りついた。おのれの女神であり、母であり、恋人である”この私”の元に」


 ゴットフリーは、口元を歪め、侮蔑をこめた瞳で邪心の女神を睨めつけた。……が、伸ばされたアイアリスの白い腕を振り払うことができない。


 故郷のガルフ島が崩壊した直後に、天空に仰ぎ見た白い女神への憧憬。

 幼い時に、優しく抱いてくれた美しすぎる母への思慕

 そして、孤独だった心を癒してくれた清純な乙女、水蓮への切ない想い。


 人を愛するという感覚を知らなかった自分ゴットフリー、だが、今となっては認めざるを得ない。


 ”心魅かれる”


 どんなに憎んでも憎みきれない感情とは裏腹に、かつて愛したであろう女性の面影のすべてを持ち合わせた……いや、そのものの”この女神”に。


 水晶の棺から差しのばされた腕をぐいと引き、己の胸に自分の体を抱き寄せたゴットフリーに、アイアリスは零れおちるような笑顔を向けた。


「さあ、私と一緒に闇に行きましょう」


「お前と? 俺が故郷と呼べる場所をすべて崩壊させ、大切なものをすべて奪い、憎しみだけをこの世に残した。お前と俺が?」


「そうよ。あなたは私から離れることはできない。未来永劫に」


 未来永劫に……


 アイアリスを胸に抱きしめながら、ゴットフリーは、さもあらんと半ば降伏したように百合の香に包まれた彼女の髪に顔をうずめた。

 白の女神は、小さくほくそ笑み、彼の背に手を回す。時を措かずその指に沸き上がってくるであろう闇の刃を待ちながら。


 ―  闇馬刀  ―


 その黒い刀身は、闇ある場所から現れる。

 邪心にまみれ、闇に堕ちた女神が求めるならば、たとえ、その主ゴットフリーの意思を確認しなくとも。


 白い指先に現れた黒い光の粒。それが、一本の刃に形を変えた時、アイアリスは”闇馬刀”の鋭い切っ先をゴットフリーの背に向けた。そして、小鳥のように囁いた。


「共にゆ・き・ま・し・ょ・う。あなたの魂は私のもの。たとえ、光を求め、私への愛を固く拒んだとしても。最後の審判の天秤が、闇側へ傾く運命は変えられない」


 だが、ゴットフリーは頭を振って白い女神に屈服した。


「お前への愛を誰が拒めるものか」


 彼は、アイアリスを抱きしめる手に力を込めて、こう言った。


「愛している。お前だけを……未来永劫に」


 その言葉にアイアリスは歓喜のため息を洩らす。そして、万感の想いを込めて、闇馬刀の切っ先をゴットフリーの背に突き立ててた。

 その瞬間だった。ゴットフリーが身を翻したのは。


 闇馬刀が消滅し、突然、異空間の天空を破って現れた白銀の矢。その一閃が、白い女神の胸を貫く。


 それは、レインボーヘブンの欠片”樹林”が、ゴットフリーが異空間に飲み込まれる寸前に、ディアナリス・ボウで射た聖なる矢。

 邪悪を滅ぼすイチイの木から作られた銀の矢は、闇を光で射ち殺す。

 

 それが、たとえ女神の中にある闇であっても。


 冷たい大理石の床に崩れ落ちた邪悪の女神に、ゴットフリーは言った。


「愛している。お前だけを」


 請うように彼を見上げた青の瞳に、寂寥の想いに染まった灰色の瞳を向ける。


 だが、光の中には……


「もう、お前はどこにもいない」





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