第46話 開戦の狼煙

 海の鬼灯に浸食され、少年の姿を保つことでさえ苦しそうな”黒馬島クロ”を見て、クロちゃん、ご免なと、ジャンは申し訳なさそうな顔をする。


 だが、ゴットフリーは、

「クロ、答えろ。黒馬島の中で海の鬼灯に浸食されていない部分は、今、どれほどの範囲だ」


 ― えっ ―


「居住区はまだ無事か。他にも支障のない場所はあるか」



 ― ……居住区はまだ、大丈夫。そこから東側は、表面はまだ健全だ。中海周辺や地層の深い所はもう駄目だな。俺、一人の力では止めれそうになくて……けど、それを聞いて、どうしようっていうんだよ? ―


 ゴットフリーの意図が少しも分からない。けれども、狐に包まれたような空気を彼の言葉が一掃した。


「ならば、クロ、お前は、黒馬島の邪気に浸食された部分はもう捨てて、まだ、汚されていない土地と警護隊以外の住民をつれて、ここからただちに移動しろ。敵がこそこそと潜みながらの陰湿な策をたててくるなら、俺たちは、その姿を地表にさらけ出し、一挙に叩きつぶすだけだ」


 すると、ジャンが血相変えて、ゴットフリーに抗議した。


「そんなの不可能だ! 黒馬島は自分の意思では移動できない。それに、そんなことをしたら、クロちゃんの体が引き裂かれてしまうじゃないか!」


 ゴットフリーは淡々とした表情を崩さない。


「黒馬島は分断される……いや、へたをすれば島としての形は残せないかもしれないが、ジャン、残った清涼な大地と住民は、お前の中に取り込んでやればいい。至福の島”レインボーヘブン”が蘇った時にその大地の一部として」


「……ゴットフリー、それって、黒馬島は……クロちゃんはもう消えろって、そういうことなのか」


「将来的には、そうなっても仕方がないな」


 クロはその言葉にただ沈黙するばかりだった。その時、彼らの傍にいた少女が西の空を指さし、迷いのない声音で言った。


「黒馬島のクロ、何も怖れることはないわ。水晶の光があなたを導く。ここの住民たちを連れて、あの光の後を追って島を移動させなさい。あなたたちの疎開先はグラン・パープル島の領海。”水晶の女神”であり、”グランパス王国の王女”である私が黒馬島を受け入れます」


 漆黒の空に、一際、眩い光を放った一条の光が道を架けてゆく。

 だがその時、常人よりも遠くを見通せるジャンの目には、それ以外に、闇空の中を飛ぶ巨大な純白の鳥が見えたのだ。


天喜あまきの白い鳥……? なぜ、ここに現れた?」


 闇の中に、あの白い鳥が現れるはずがないのに……心に酷い不安がよぎっていった。そういえば、天喜とタルクは、どこへ行った?

 

 まさか……彼らに何か良くないことが起こったのでは……。


 けれども、とび色の瞳の少年は、その考えを心の中にしまい込んだ。傍にいる黒衣の男に、不安な心が伝わらないようにと。


*  *


 うみ鬼灯ほおずきに浸食された部分を捨てて、島を移動させる。それは、自分の体の大部分を失くすということなのだ。ふぅとため息を吐くと、クロは、



 ― 分かった。ならば、これで、人の姿としての俺は、皆とは永遠のお別れだ ―



 透けた自分の手をゴットフリーの前に差し出して、淋しげに笑う。



 ― せめて、あなたとは握手くらいはしてお別れしたかったけど……やっぱり、実体じゃないこの姿では、無理みたいだね ―



「何を腑抜けたことを」


 黒馬島クロの透けた右手に冷ややかな灰色の瞳を向けると、ゴットフリーはその場に屈み、足元の黒砂に手を伸ばした。立ち上がりざまに、黒砂を握り締めた拳をぐいと前に差出す。


「そんな煤けた姿にこだわるのは止めろ。クロ、これがお前の真の姿。この黒砂、足元にある黒い大地。そのすべてが黒馬島に生きる者にとっての生命のいしずえだ。お前に触れぬことには、誰もこの島では生きれない。それを決して忘れるな。住民たちを連れて、必ずここへ戻って来い! それが、お前 ― レインボーヘブンの欠片 ”黒馬島”― がこの世に存在する証なのだから」


 リリーは思わず頬を紅潮させた。徐々に薄れてゆく少年の表情はもう読み取ることはできなかったが、ジャンとラピスには、小刻みに揺れる黒い大地から彼の強い鼓動が伝わってきた。


 その時、手の中からこぼれだした黒砂から、自分を呼ぶ声を聞いたような気がして、ゴットフリーは、ふと表情を変えた。


 揺れる心。


「ジャン……タルクはどこだ? それに、天喜あまきは……」


 震える声音に、彼と同じような不安を抱いていたジャンは、どう答えていいかが分からない。戸惑いながら、タルクたちと共に居たはずのラピスの方に目を向ける。

 ……が、


「……天喜の行方は分からない。他の石にされた警護隊たちは、クロが黒馬島の中に保護してくれたが……あいつは……タルクの体は……アイアリスに砕かれちまった……」


 沈黙し、手元を離れ風に吹かれて流れてゆく黒砂に、ゴットフリーは虚ろな目を向ける。


 こぼれおちてゆく。そして、俺はまた大切なものを失くす。


 ジャンとゴットフリーの心は、シンクロする。泣く術を知らないゴットフリー。その代役を務めるようにぽろりと涙を流した少年を黒衣の男は横目で睨めつけた。

 足元の蒼の光が強くなる。それが、彼を余計に苛つかせた。


「ジャン、俺を守る必要などないと、そう言ったのを忘れたのか」


「違うよ、僕が蒼の光で守ってるのは、黒馬島の方だ。お前が、また、心を闇に向けて、闇の王になって黒馬島を壊してしまわないように、僕は、僕の蒼の光でこの大地を守っているんだ」


 本音は、ジャンはそうなることが怖くてたまらなかった。右腕としてゴットフリーをずっと支えていてくれたタルクがいなくなったことで、彼が闇の世界にまた戻ってしまうのではないかと心配でたまらなかったのだ。


 ちっと舌を鳴らし、いい心がけだなと、ゴットフリーは吐き捨てるように呟く。


「クロ、安心してグラン・パープルに行くがいい。ならば、空にいる伐折羅ばさらは闇の戦士をただちに動かせ! 海のBWブルーウォーターは、海の鬼灯を阻止しろ! そして、霧花きりかは、スカーたちに伝えるんだ。もう、覚悟を決めろと。クロが移動したとたんに、黒馬島の残された大地に潜んだ大量の紅の邪気が溢れだしてくる。隙を見せれば必ず命を落とす!」


 大地が激しく揺れ、白い靄が辺りを覆いだした。それは、黒馬島が移動する時に起る現象だ。この霧が晴れた時にどれほどの惨事が起こるのか。それは、ゴットフリーにも予想がつかなかった。


 後ろに控えるとび色の少年と弓使いに鋭い一瞥を送り、右手に闇馬刀を呼びした黒衣の男。その背に背をぴたりとつけて、魂に光の女神を宿した少女が、レイピアを鞘からすらりと引き抜いた。


「ゴットフリー、闇馬刀が邪を従える剣ならば、このレイピアは光を呼び込む剣! 私たちは決して負けないわ。闇の王としての心を持ち合わせていたとしても、私はあなたを信じている。その漆黒の刃で、あなたが光と闇を繋ぐ運命の糸を切ってしまわない限り!」


 背中越しの光の女神の台詞に、ゴットフリーは闇馬刀を真一文字に構えて言う。 


「生憎だが、今、俺が斬りたいのは紅の邪気の方だ。心してかかれ! この霧が晴れたとたんに、500年分の海の鬼灯が姿を現すぞ!!」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る