第44話 到達せざる超越者②

 ゴットフリーの声が響いた瞬間、緑の蔓はアイアリスの体を一気に羽交い絞めにした。


グアアアァアアァァ!!


 美しく整った顔面が醜く崩れ、青の眼球が飛び出し、紅の唇が大きく左右に裂ける。

  女神の体の中にいた夥しい数の白蛇が、喉元に這い上ってくる。口から泡のように噴き出した蛇頭がうごめく様は、地獄絵図のようにおぞましかった。


 ちっ、女神とは名ばかりの怪物が。


 ゴットフリーは舌をうち、右手を前に差し出しだした。


「悪いな。俺は伐折羅ばさらのように、断末魔の表情に愉悦するような趣味は持ち合わせていないんでね」


 手の中に現れた黒刃の剣 ― 闇馬刀やみばとう ― で一気に怪物の咽元を切り裂く。


 グアアァァァアアアッ!!


 迸る酸性の異臭。咽喉元を切り裂かれ、邪神の肉片と血飛沫が空に飛び散った。……が、


 シヤァアアアアアアア!!! 


 切断された首の奥から大縄のような白蛇が飛び出してきたのだ。それは、がばと開いた口腔から、ねばついた唾液を吐きかけてきた。


「……!!」


 ゴットフリーは、眼つぶしを食らわされ、思わず後ずさる。その隙をついて、白い大蛇が黒衣の男の体にとぐろを巻く。

 しまったと顔をしかめたゴットフリーを、鎌首の後ろにぶらりとぶらさったアイアリスの顔が笑った。


”ほほほほ、ゴットフリー、残念だったわね。あなたの支配権は私にあるのを忘れては駄目よ”


 大蛇の一部と化した邪心の女神。その美しい声とは逆のおぞましい蛇体が、万力のようにゴットフリーの体を締めあげる。


「ぐっ……」


 うめき声をあげるゴットフリーの口元を、白蛇の紅の舌がぺろりと舐めた。その感触に蛇頭の後ろにぶらさがったアイアリスの顔が、恍惚に歪んだ。



― 女神である私に背き、神の領域に手を伸ばそうとする、あなたの愚かな精神が私は愛しい。でも、それは、バベルの塔に積み上げてゆく煉瓦のようなもの。いつかは崩れて壊れてしまうの。ああ、同時に私はあなたが憎い。殺しても殺しても殺しつくせないほどに。神は不死。だから、もっと殺して、私を殺して。けれども、私は殺さない。人間は死ぬ。あなたは死ぬもの。私は見たいのよ、到達せざる超越者 ―  ゴットフリー ― あなたのの苦悶の顔をもっともっと……”


 その時、



 ― その汚い蛇頭をゴットフリーから離してっ! ―



 鋭い風が吹きつけ、彼の体にとぐろを巻いた白蛇の胴体をぱくりと切り裂いたのだ。しかし、拘束されたゴットフリーを傷つけまいと、それは蛇肌の表面にしか手が出せなかった。



 ― ほほほほ、霧花きりか  ―  レインボーヘブンの欠片”夜風” ―。お前の夜扇の風で、この白蛇の体を切り刻めるの? やるなら、この首、この首を掻き切るのよ。ゴットフリーの生首ができるわ。でも、残念ね。それは、あなたにはあげないわよ。ゴットフリーは私のもの。たとえ、首、一つになろうとも ―



 空に浮かび上がった漆黒のドレスの乙女は、夜色の巨大な扇を手に握りしめたまま唇をかみしめる。



 ― 何をしても無駄よ。所詮は欠片のお前たちに、私を倒す術はない ―



 首を締め付けられ、意識が薄れ出したゴットフリーの灰色の瞳の色が、鈍く沈む。けれども……


 霧花……無駄なものか。


 夜扇で傷つけられた部分だけ、白蛇の拘束がとけ、わずかに右手が動かせた。ゴットフリーは、手の中に収納してあった”道具アイテム”を扱うことができたのだ。時には長槍にもなるその ”道具” を使う前に、彼は一瞬、思考を止めた。

 一か八かの博打ばくちだった。だが、彼を護ろうと、地面に浮き上がった蒼の光は、除々に力を増してきている。

 自分とシンクロするという ”おせっかいな少年” は、こんな時ほど力を発揮するはずなのだ。


 ジャン、俺の心を読み取れ。そして、スカー、お前がくれた極上の杖 の一度きりの効果エフェクトを今、使わせてもらうぞ!


 スカーが作った道具アイテム。その機動スィッチを、ゴットフリーが押したとたん、5万ボルトのサンダーボルトが、辺りに迸った。


*  *


 ゴットフリーの黒衣の袖元から高電圧の起爆が起こり、アイアリスの巨大な裸体が、一瞬のうちに黒く焼け焦げついた。

 黒墨と化した大蛇が宙にのたうつ。異臭とともに、辺りに焦げた煤が広がった。  


 ……が、空にいた霧花は顔を蒼白にした。5万ボルトの電流の中心にいたゴットフリーの姿がどこにも見えない。


 ― ゴットフリー!! どこっ! ―


 まさか、アイアリスと一緒に燃え尽きてしまったのでは。時に刹那的な思考に陥いって、破滅への道を選んでしまう彼なら、それもやりかねない。焦った霧花は夜扇を翻し、黒墨となった残骸を吹き飛ばした。

 その時、目が眩むほどの蒼い光が地表から吹きあがったのだ。


― ……!! ―


 やがて、薄れた粉塵の中に黒い影が現れた。その影に向かって、一人の少年が慌てて駆け寄ってゆく。


「ゴットフリー、大丈夫かっ!?」


 片膝を地面に立てて起き上がった男は、灰色の瞳を少年に向け、顔を盛大にしかめた。


「ジャンか……愚問だ。あんな衝撃を受けて平気な奴がどこにいる」

「良かった!」

「お前な……」

「そんな顔をするなよ、ゴットフリー、悪態をつく余裕があるなら大丈夫だ。実は、うまく、お前の周りの電気を地中に逃がすことができるかどうか、かなり心配だったんだ」


 何が良いものかと口元を歪めた男の顔を見て、ジャンは笑った。……が、無残に焼け焦げた辺りの景色と燃え滓と化した白蛇アイアリスの変わり果てた姿にため息を漏らした。

 ゴットフリーが杖のスィッチを押した瞬間に、ジャンは、彼の足元に忍ばせていた蒼の光を高速で下に伸ばし、高圧電流を地中に逃がした。そして、感電を防いだ。いわば、アース線のようなものだ。


 それが功を奏したとはいえ、まかり間違えば5万ボルトの電撃をもろにゴットフリーに浴びせるところだった。ジャンはそれを思うと、空恐ろしくなった。

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