第40話 水晶の女神

 ”あの白い光を見た者は、みんな、石にされちまった”


 ゴットフリーは、警護隊の男の不吉な報告にほぞを噛み、彼の様子を気遣って手を伸ばしてきた少年に、


「ジャン! もう邪魔はするな!」


 一喝し、テントの幕を乱暴に跳ね上げた。

 自分に過保護気味な仲間への苛立ちと、タルクたちの消息が分からぬことの焦燥。邪神アイアリスへの憤怒。

 ゴットフリーに触発された空がごうと呻りをあげた。すると、闇雲の中を突ききって、巨大な漆黒の鳥がこちらへ滑空してきたのだ。


「その白い光が見てはまずい物ならば、見えないようにしてしまえば済むだけの話」

 

 ゴットフリーの言葉の瞬間に、空に浮かんでいた霧花きりかが黒衣を翻して闇に溶け込んだ。

 ジャンはもう覚悟を決めねばと、テントの奥にいたスカーに眼で語りかけた。

 これだけゴットフリーを怒らせてしまっては、止める手立ては何もない。どう被害を食い止め、生ける者を最大限に残すか。この後はそれに徹するのみなのだ。


「夜叉王、伐折羅ばさら! そこにいるか!」


 すると、頭上を旋回する漆黒の鳥の背から、夜の守り手が冷涼な瞳を向けてきた。


「いるけど」


「闇の戦士を中海の上へ集結させろ! そこから漏れだしたうみ鬼灯ほおずきは一つたりとも外には出すな!」 


「ゴットフリー、今更、何をそんなに怒っているの? ただ、闇の戦士を海の鬼灯にたきつけるのは良いけれど、後がどうなっても知らないよ。闇の戦士が無差別殺人を行って、ここの住民を皆殺しにしてしまったとしも責任はとれないからね」


 ジャンは、ぎょっと目を見開いて手の中に蒼の光を蓄えた。夜叉王、伐折羅と闇の戦士は、殺戮と崩壊が三度の飯より好きな破壊者だ。一つ間違えれば、黒馬島はグラン・パープル島の二の舞をすることになる。


 ……が、ゴットフリーは言った。


「伐折羅、陸と海には余計な気使いも手出しもなしだ。お前は空だけを仕切っていてくれればいい」

「なぁんだ、つまらない。ってことは、結局はまだここを守り続けなきゃいけないわけか」

「そう落胆せぬとも、どうせ、この地のほとんどは崩壊する」

「あはは、いいね。その時は、僕が崩壊した島をあなたにそっくりそのまま、プレゼントするよ」


 巨大な鳥の背で少年が声をあげて笑った。……と同時に、空に蔓延っていた暗い靄が地上に降りてきた。


「おいっ……よせ、伐折羅! 止めてくれ、ゴットフリー!」


 その暗い靄に散々、身の毛がよだつ経験をさせられてきたスカーの背中に悪寒が走った。あちらこちらから、警護隊たちの悲鳴が聞こえてくる。彼らの頭上で、それらが闇色の鎧をつけた人型の戦士に姿を変えたからだ。


 七億の闇の戦士が、黒馬島を殺戮のオーラで覆い隠してゆく。


「ゴットフリー、これほどの数の闇の戦士が人型を取るのは、なかなかに壮観じゃないか」


 空から地上を見下ろす伐折羅のご満悦な表情と、淡々とした様子のゴットフリー。

 スカーや警護隊たちは、必殺の槍の先が自分に向けられないように、地面に這いつくばって祈るしか術がなかった。


 怖気のする闇に覆われ、周りの景色は何も見えない。


 ぼうっと空虚な声をあげながら、仁王立ちする闇の戦士。それらの足元で、スカーは冗談じゃないぞと眉をひそめた。

 近くにいたジャンの足首を手探りして、握り締め、言う。


「おぃ、ジャン。……光の側の代表なんだろ……。このおぞましい状況を何とかしてくれよ」

 だが、ジャンは、

「まだ、大丈夫。ゴットフリーの心がこちらにあるうちは、闇の戦士は僕らに槍の矛先を向けてはこない。けど、さすがにこの暗さだ。僕はゴットフリーに手を貸してやらないと。だから、スカーたちは少しだけここで我慢してて!」


 ジャンは、腕を前方にぐんと伸ばし、祠の方向に蒼の光を投げかけた。 その光輝が、闇の中に光の道を作り出す。


 走り出した黒衣の男の背に、ジャンは言った。


「行けよ、ゴットフリー! 僕は、もう、お前の邪魔は二度としないから!」


*  *


 『見るな、お前は、ぜったいに』


 そう告げた直後に、仁王立ちの姿のまま石と化したタルク。

 石の巨体の影に身を隠しながら、ココは、怖々、海岸の方向を覗き見た。異変に気づき駆けつけてきた警護隊たちが地面に転がり、硬直した彼らの体の上に妖気をはらんだ白の光が這うように広がっている。


 あの黒い甲冑が手に持ってるモノ……あれがヤバいんだ……。

 何とかしなけりゃ……何とか……


 咽喉から飛び出てしまいそうなほど高鳴る心臓の鼓動。震える心をどうにか抑えようと、レイピアの柄をぎゅっと握りしめる。……と、剣の刃が突然、明るく輝きだしのだ。


「……っ」


 ココの意識が空白になってしまったのは、その閃光の眩しさに目を奪われた瞬間だった。


*  *

 

「ココ、タルクっ、いったい、何の騒ぎ?!」


 外からの叫び声に異変を感じ、祠の中から出てきた天喜あまきは、海岸に転がる石化した塊と、仁王立つ巨大な石像に顔を引きつらせた。


「タルク! 嘘よ……なんで、こんなことに?!」


 石化したタルクの後ろに、ぼんやりと立っている少女が見える。その足元を這うように白濁した光がこちらに流れ込んでくる。

 本能的に危険を感じた天喜は、祠から出てこようとするラピスの前に即座に背を押し当てた。


「天喜、どういうつもりだよ! 何で通せんぼするんだよ!」


 だが、出入り口に両手を広げて、天喜はがんとしてラピスを通そうとしなかった。


 あの光がはらむ得体の知れない邪悪。ラピスまでが、それにさらされてしまっては、この場でココを守る者が誰もいなくなってしまう。蘇るレインボーヘブンのためにも、そして、ゴットフリーのためにも、ココだけは絶対に守らなくては!


「お願い。ラピスは、中にいて  私は光の巫女。ここは私がなんとかするからっ」


「何とかするって……お前、イレギュラーでも見重だろっ。そんなに簡単に任せられるか! それに、タルクの気配がどこにもないってどういうことだ。あいつ、まさか、殺られちまったのか!」」


「タルクは石に……」

 だが、背中を押すラピスを天喜が押し戻そうとした時、


「大丈夫。この娘のことは、私が請け負うから!」


 祠の梯子を駆け上がってから、天喜の手をぐいと引き、彼女と入れ替わりに祠の前に立ったココ。不敵な笑みに見下ろされて、天喜は、祠の上に立った少女の姿に言葉をなくしてしまった。


 その体を取り巻くオーラは、すでに普段とは違ってしまっている。 


 ココ……? ううん。違う……これは……


 不可侵な結界が祠に広がっている。

 圧倒するような空気が辺りを包み込んでいる。

 それが、一瞬、時間を止めた。


「光の御使い - 私の巫女 - に汚い罠を仕掛けるなんて、無礼千万!!」


 凛とした声音と高貴な表情に、天喜の心臓の鼓動が激しく波打った。


 さっき、ココから感じた光のオーラ……あれは、やはり……。


 ああ、尸童よりましを介してではあっても、初めて、私は彼女に出会った。


 天喜は目前で、レイピアをすらりと構えたを唖然と仰ぎ見る。

 澄み渡る瞳、きりりとしまった唇。薔薇色の頬。


 ”今、ここにおはしますは、水晶の女神ソード・リリー


 けれども……

 なぜ、光の巫女の私にではなく、ココの方に天下った?


 脳裏に焦りのような感情がよぎった。だが、天喜は首を横に強く振った。


 ううん。もう、間違いは起こさないわ。紅の邪気に騙され、ソード・リリーへ持ってしまった私の浅はかな嫉妬がこの祠を汚してしまったのよ。

 ココという娘には、すべての物と者の恩恵を取り込む天性が備わっている。今なら分かるわ。ゴットフリーがレインボーヘブンの王の座をココに明け渡そうと思ったその理由わけが。


 私には、水晶の女神の代役ではなく、光の巫女としての使命がある。


 天喜は、無言のまま、祠から離れると石と化したタルクの傍に駆けて行った。冷たく硬直した背中にそっと頬を寄せてから、その足元に落ちた彼の石化した薬指を拾いあげて、ぎゅっと手の中に握りしめる。


「タルク、あなたが、いつも私と伐折羅を守ってくれた、大きな力を私に分けて!」


 そして、タルクの石の巨体の向こう ― 黄泉ハデスが待つ場所- へ飛び出して行った。

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