第39話 メデューサの盾

 黒馬島の海岸に浮かび上がった禍々しい敵。


 タルクが長剣を構えた瞬間に、黄泉ハデスが振り上げた大鎌が歪んだ風を生み出した。この世のすべてを呪った邪の木霊が、耳もとを掠めてゆく。


「ああっ、毎度毎度、現れ方がうっとうしいんだよ!! じめじめすんのは、いい加減に止めろ!」


 望もうが望まないがは関係なしに、異形のモノとの対面も二度目になると慣れてしまう。ねっとりと纏わりつくような空気を払いのけ、力づくで振りきったタルクの長剣が大鎌をなぎ払った。


「やったっ! タルク、すごいっ!」


 ココは思わず手を打って喜んでしまったが、それと時を同じくして、黄泉が左手に浮かび上がった盾を前に突きだして、ゆらりゆらりと左右にふらつき出したのだ。


 タルクはその妙な動きに眉をしかめ、

「……あれで防御のつもりか。それに、何だあの盾は? 一体、どこから出してきた?」


 濃い緑青色の青銅の盾。こちらに向けられた盾の表面は磨き抜かれた鏡のように輝いている。けれども、盾の周囲に施された曲線を絡み合わせたような細工は、装飾的で、およそ戦闘用の物とは思えなかった。


 ゆらゆら

 ゆらゆらと

 

 盾がゆれる。


 じっと見つめていると盾の周りの曲線がうねり、それに引きつられるように中央が盛り上がってくるように思えてきた。


 タルクは、訝しげに太い腕で目をこすった。


 いや……目の錯覚なんかじゃねぇ、確かに何かが奥から浮きあがってきている。


 徐々にその形が鮮明になってきた時、

「ち、ちょっと、待てよ。これって、まさかっ!」


 盾の周りに蠢いているのは、渦巻く白蛇。

 それらに苦しめられたグランパス王国での忌まわしい戦闘の記憶が、嫌が応なしにタルクの脳裏に蘇る。

 そして、

 無数の蛇に引き上げられ、盾の中央に、浮かび上がってくる忌まわしいモノは……


 その唇から、かすかに漏れた笑い声。


「タルク、どうしたのっ?!」


 ココの焦った声が、耳に届くと同時に、タルクの頭の中で、ぴしりと脳髄が凍り付く音がした。


 畜生……気づくのが遅すぎた……。痺れる腕をどうにか伸ばし、呂律ろれつの回らぬ口で、後ろの少女にやっと呟く。


「おまえは……見るな……ぜったぃ……」


 彼の大きな影で視界を遮られたココは、一瞬、わけが分からぬ表情をしたが、手前に差し出された太い腕から見る見るうちに失われてゆく生気に気づき、顔を引きつらせた。


「タ……ルク……」

 

 体温を失くし、弾力を失くし、血の色が消え失せ、すべてが固くこおばって、


 石と化してゆく巨漢の体。


 ココは、冷たい石の塊に変わってゆくタルクの体を唖然と見上げると、無意識のうちにレイピアの柄を強く握りしめた。

 天喜あまきに内緒でこっそりと祠から持ち出してきた至極の宝剣。それから、怖々、手を伸ばし、自分を庇った男が出した手の指先に触れてみた。すると、ぽろりと彼の薬指が下に落ちたのだ。

 祠の床に転がった石の指先にはもう、人と呼べる温かみはなかった。


「いやぁああああっ!!」


 少女の絶叫が、黒馬島の海岸に木霊した。


*  *


 黒馬島の海岸に、突然、異様な騒めきが起った。


 海岸から少し離れた警護隊のテントの中にいたスカーは、武器を修理していた手を止め、外の様子を覗おうと、テントの幕をめくり上げた。

 生臭い風が海の方向から吹き付けてくる。海岸の松明の灯が激しく爆ぜ、その周りから叫ぶ人々の声が異様に高い。


「おい、変だぞ。外がやけに騒がしい」


 隣で武器を検分していたゴットフリーが、すぐさま椅子から立ち上がろうとする。

 ……が、ジャンが慌てて、手で制した。


 ”俺の邪魔をするな”と、言いたげな男を無理矢理、後ろに押しやって、ジャンはテントの外へ出る。

 その時、慌てふためいた警護隊の一人が、駆けてきたのだ。


「た……た、た、大変だ。み、みんながっ……仲間がっ……」


 呂律ろれつがさっぱりまわらない男。


「みんながどうしったって? お前、もうちょっと落ち着いて物を言え!」


「い、石に……光の巫女の祠に近づいた者は、みんな石になっちまった!」


 テントの中の空気が総毛だった。前に立ちふさがったジャンを、今度はゴットフリーが、退けと押しのけ言う。


「タルクとラピスはどうした?! 祠の様子を見に海岸へ行ったはずだが。それに天喜と、あのサライ村の娘は?」


「わ、分からない……。ただ、祠から白い光が見えたんだ。悲鳴が聞こえて……石になっちまったのは、その時、駆けつけていった連中だ」


 ちっと舌を鳴らすと、ゴットフリーは鋭い灰色の瞳を海岸に向けた。

 

 紅の邪気か、それともアイアリスか! いずれにしても、先に光の巫女の祠を潰しにかかったか。


 暗く翳った空に向けて声を荒らげる。

霧花きりか、夜の風! お前は闇にまぎれて、すべてを見ているな。答えろ! 祠で何が起こっている?」


 すると、彼の頭上の闇が突然、渦を巻き、冷たい風が彼の髪を吹き上げたのだ。


 艶やかな長い黒髪と、暗幕のように長く裾をたれこめた漆黒のドレスが風になびく。

 空に浮かび上がった美しい闇の乙女は、灰色の視線に見据えられて、一瞬、恍惚の表情を浮かべた。

 ……が、


― 戦いの女神、アテナの盾。その盾の中には呪われたメデューサの首が宿っている。その首を見たものは石と化し、その輝きはすべての者の心を狂わす ―


 ゴットフリーは、淡々とした霧花の口調に苛立ちを隠せない。

「まわりくどい言い方をするな! その盾が、海岸で警護隊たちを石化させていると言うのか」


― そう。そして、その盾を持って祠に現れたのは、呪われた姿をこの世に現した死の使者、黄泉ハデス ― 


 蒼白い馬の後は、メデューサの盾を持つ黄泉? ……ふざけるな。また、伝説のアイテムが歪んだ形で出てきやがった。


 今にも闇の王となって、攻め込んでゆきそうな勢いの男に夜風は、


― 待って! 今、あの盾に宿るのは、メデューサではなく、エターナル城で滅びた白蛇の恨みを髪に植え付け、歪んだ女神の愛を眼力に込めた怪物。早まっては敵の罠に落ちるだけよ! ―


 夜の風が吹き下ろした、ため息が、頬に刺すような冷気を運んでくる。

 そういう理由わけかと、ゴットフリーは強くを顔しかめた。潰された異次元から現世に現れた穢れた魂。光の巫女の祠に決して召喚されることのない邪心の女神が降臨した先は……。

 

「黄泉が持つメデューサの盾。その怪物の力を纏い、邪気を放って警護隊の連中を石化させているのは……女神アイアリス! ……あの女か」


 ゴットフリーは苛立たしげに、テントに急を告げに来た男を見やった。


「それで、祠のタルクたちは?」

「あ、あの状況じゃ、もう助からねぇ……タルクも光の巫女も今頃は多分……石化してる」  

「助からねぇ……だと」


 鋭い刃のような眼光に、男はぞっと二、三歩、後ずさる。


「黒馬島を死守するが聞いて呆れる。警護隊の連中は光の巫女すらも守ることができなかったのか!」


「……す、すまん。で、でも、お、俺だってやっとの思いで逃げ出してきたんだ。なぜって、祠に浮かんだ白い光が近づいてくると、どうしても、足がそっちに引きづられてしまうんだ。見たくないと思うほどに見たい気持ちが高まって……俺は咄嗟に目を閉じて難を逃れたが、あ、あの光は絶対にヤバい」

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