第38話 受胎告知

 ココと祠の外へ出たタルクは、海から吹き付けてくる、もやもやとした風に顔をしかめた。


「タルク、これ、絶対におかしいよね」


 その言葉に「ああ」と、うなづき、

 敵が現れるのは時間の問題だなと、巨漢の額に大粒の汗が浮かび上がった。


 祠の上で燃え上がる松明たいまつの灯を嫌うように、暗い闇がびしりと嫌な音をたてた。空間の歪みが徐々に大きく広がってゆく。がしゃりがしゃりと擦れ合う金属音。それが、大きく耳に響いてきた時、


 ちっ、やっぱり、来やがった……


 タルクは、ココを後ろへさがらせると、覚悟を決めたように背の鞘から長剣を引き抜いた。


 目の前に姿を現した巨大な漆黒の甲冑。それは、蒼白い馬の次にアイアリスがよこした刺客。


 地獄の第二の使者 ― 黄泉ハデス―。


 半ば、怒鳴るように、タルクは声を荒らげた。


「ちっ、蒼白い馬に漆黒の騎士……とくれば黙示録か。気取るのもいい加減にしやがれっ! 生憎、俺は無宗教なんだよっ。信じるのは、ゴットフリーと仲間と自分がゆく道だけだ! 故に、お前なんぞは屁とも思わん!!」


*  *


 光の巫女の祠には、異様な空気が流れていた。


「お腹の子? ……ラピス、あなた、何を言ってるの」


 その子は誰の子かと聞かれてもと、天喜は唖然と目を瞬かせたままだ。


天喜あまき、俺には嘘は通じないぞ! お前の中に育つ生命の鼓動。それが俺にははっきりと感じられるから。父親は誰なんだよ。タルク……? まさかな、あのクソ真面目な男が、いくら天喜が好きだからって、そんな大それた真似ができるわけがないし、なら、スカー? 有り得ないな。っていうことは、島の若いもんか誰かか? なぁ、俺は口は固いし、まがりなりにも医者を名乗ってるんだ。絶体に秘密は守る! だから、教えといた方が後々、面倒が起った時に天喜の役に立てると思うんだ」


「ちょ、ちょっと、待ってよ。私、わけが……」


「まさか、まさかっ、ゴットフリーか?」


 すると、天喜は瞬時に頬を赤く染めたが、

「止めてよ! あの人が私を相手にするはずがないじゃない。それに、ずっと行方不明だった彼に、そんな真似をする暇がいつあったのよ。おまけに、私は光の巫女なのよ! 純潔を守る乙女が子供を宿すなんて、冗談にしても程があるわ!」


 しばしの沈黙。それでも、ラピスには感じられたのだ。天喜の中には絶対に生命が宿っている。


「……ほんとうに、覚えがないのか」


「あるわけないでしょ! 私はそんな不道徳なことなんて……」

 その言葉にあっと口元に手をあて、言葉を詰まらせた天喜。


 海の鬼灯が化けた偽のココに、投げかけられた言葉が脳裏を巡った。


 天喜は自分の映し身の弟が”愛しくて愛しくて”堪らない。


「まさか……でも、あんなことくらいで」


 背徳の思いにかられながら、唇と唇を重ねあった伐折羅おとうととの刹那な時間が、胸に込み上げてくる。光と闇が一瞬だけ、同じ場所にいられたあの至福の時が。

 明らかに鼓動を早めだした天喜の心臓。


 それを読み取ったラピスは、

「やっぱり、心あたりがあるんだなっ。なぁ、俺は天喜を責めてるわけじゃ……」


「止めてよ! 私とあの子のことをそんな風に邪推しないで! 私たちは何もおかしなことなんてしてないわ。心と心で触れ合っただけ。同じ場所にいたいと強く願い合っただけなのよ!」


 天喜の口調に、ラピスは、一瞬、言葉をなくし唖然とする。


「おおい、待てよ、とんでもない話になってきたな。あの子……ってことは伐折羅おとうと……なのか。おまけに何もなかったって? 本当に?」

 

 彼女の言葉に嘘があるとは思えない。天喜と伐折羅はレインボーヘブンの欠片 ”空” を昼と夜の二つに分けて受け継いだ双子の姉弟。

 彼女の中に感じた命の鼓動は、その二人が互いに強く求めあい、その結果、けがれのないままに天喜に宿った生命だというのか……ち、ちょっと待てよ、こんな時には、一体どうすりゃいいんだよ。


 しばしの黙考。その後に、神妙な顔で片膝を立てて座りなおすと、ラピスは、純潔のまま神の子を宿した聖母マリアに告げる天使ガブリエルのように、天喜の前に右手をかざした。


 その吉凶は分からない。だが、俺は彼女に言わねばならないことがある。



― 受胎告知じゅたいこくち。お前は昼と夜が交わった刹那に、天空の落とし子を身篭った ―


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