第36話 祠の陥落
「そうそう、ソード・リリーを語るのに一番大切なことを忘れてたわ。それはこのレイピア!」
たたみかけるように言葉を繋ぎながら、ココは、祭壇に供えられた剣を無造作に取り上げた。
「ココ、畏れ多い真似をしては駄目! 祭壇にある時は、その剣は水晶の女神を祀るためのご神体。いわば彼女の映し身のようなものなのに」
「王女の映し身? まぁ、確かにね。でも、これって、もともとはゴットフリーの持ち物だったのを天喜は知ってる?」
「えっ」
「このレイピアはね、王宮武芸大会の後、ゴットフリーがソード・リリーに非礼を詫びるために献上した剣。だって、彼は国民の前で王女をけんもほろろに討ち負かしてしまったんだもん。けれども、王女は水晶の棺に入る前に、この剣を彼に託してこう言った。”これは私の分身のような物。至極の島が復活し、水晶の棺からこの世界に戻って来た時、私は、このレイピアをグランパス王国の王女として、再びあなたから授かりたい”と。あの時の二人の姿って本当に素敵だったなぁ」
「……」
ゴットフリーとソード・リリーの繋がりを知れば知るほど、天喜は胸が苦しくなった。こんな高潔な約束を交わされては、この長い戦いが終わり、レインボーヘブンが蘇ったとしても、自分が入り込む余地などどこにもないではないか。
天喜は俯く。そして、止めれなくなってしまった苦い想いを抑え込むように自分の胸に手ををやった。
嫉妬してる……私、彼らに。
こんなのは嫌。こんなことには気づきたくなかった。すると、知らぬうちに天喜の瞼に大粒の涙が流れてきてしまった。
……私、今、弟の伐折羅の気持ちが分かってしまった。あの子がゴットフリーの胸をナイフで刺してまで、自分の居場所を作ってくれと約束の印を刻み込もうとした
光の巫女の心が揺れて、水晶の女神への思いに澱みが加わりだすと同時に、海岸の松明の灯が暗く翳りだした。
あと一息だと密かに笑い、ココは紅の瞳を小気味よさげに輝かす。
「そんな哀しい顔をするくらいなら、光の巫女なんて、もう止めちゃえば? そして、苦しい思いをどこかに吐き出してしまえばいい。私は天喜を責めたりしないし。たとえ、天喜が伐折羅みたいにゴットフリーの胸をこのレイピアで刺してしまいたくなってしまっても……ねっ」
くるりとレイピアを返し、ココはその柄を天喜の手に握らせる。
「な、何を馬鹿なことを! そんなことを私がするわけないじゃない!」
「なぜ? 天喜の心は伐折羅と同じ。だから、自分の映し身の弟が”愛おしくて愛おしくて”堪らない。その伐折羅と同じことを天喜がやってもちっとも構わないじゃん」
「ココ、どうしちゃったの? 何でそんなことを言うの!」
握らされたレイピアを祭壇に戻そうとする巫女を紅眼の少女は手で制し、それが駄目なら……と、くすりと笑った。
「いっそ、自分の胸をこの剣で刺してしまえば?」
少女の言葉に、天喜は、一瞬息を呑む。
この娘はおかしい。私の心を知り尽くしたように……けれども、天喜は紅の瞳から投げかけられる有無を言わさぬ力に背くことが出来ず、差し出されたレイピアの柄を握り締めてしまうのだ。
そう、この剣で自分の心臓を貫き通してしまったら、きっと心が軽くなる。
夢遊病者のような仕草で、至極の剣の柄を自分の胸へと動かす。
……が、その時、
「馬鹿っ! お前、何をやってんだっ!!」
不意にごつい手が天喜の手を掴み、その手からレイピアを奪い取ったのだ。
盛大に歪められた顎鬚。普段、彼女には絶対に見せないきつい視線。天喜は、はっと表情を変え、
「タルク……?」
「祠の様子がおかしいとラピスに言われてきてみれば、このザマか! あそこを見てみろ!」
巨漢の男が指差した海岸から、見知った少女と盲目の弓使いがこちらに駆けてくる。
「ココとラピス……? えっ?」
茶色の瞳と紅の瞳……2人のココの交互に見据え、天喜は唖然とする。
「天喜、そっちのココは偽物だっ! そんなのの口車に乗るんじゃない!」
「私も海岸で襲われたのをラピスに助けてもらったんだよ。”海の鬼灯”に、騙されちゃ、駄目!」
大きな茶色の瞳を輝かせた少女が雄叫びをあげたとたんに、澱んだ紅色の瞳の少女が引きつった笑みを漏らした。
顔だけを宙に残し、どろりと溶けた彼女の下半身が燃え上がる。その灯が移り、祠の屋根が炎をあげだした。
「どうしよう、どうしたらいいの? 水晶の女神に邪な心を持つなんて……私は巫女として、最も愚かなことをしてしまった」
”もう遅い。もうこの祠はお前の邪心でドロドロに穢されてしまったよ”
浮かび上がった少女の顔が、天喜の慟哭を嘲笑った。
光の巫女の祠を灯していた松明の灯が消えてゆく。
その時、
「畜生、気色の悪い化物め! 天喜、伏せてろっ!!」
天喜の前に立ちはだかったタルクが振るった長剣が、少女の顔を真下から串刺しにした。
「いゃああ!!」
消えて亡くなる瞬間に、半ば笑い、半ば泣いたような眼差しを向けてきた紅の瞳。そのおぞましさに天喜は頭を抱えこみ、祠に駆け上がって来たココは、崩れてゆく自分そっくりの顔を目の当たりにして、後から来たラピスの腕に思わずしがみついてしまった。
「みんな、必要以上に海の鬼灯を恐れるのは止めろ! あの邪気の思う壺にはまりこむだけだぞ!」
今は祠の火を消すのが先だとばかりに、力任せに火のついた屋根をひきはがす。タルクは、それを浜辺に投げ落とした。寄せる波が炎を消火した後の燻った匂いが鼻を突く。
「海の鬼灯は消えたが……酷いな。この不浄な匂いは」
全焼は免れたが、神聖な巫女の祠にはそぐわない煤けた柱から立ち上る煙の匂いに、ラピスは強く顔をしかめた。
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