第34話 二つの劫火
黒馬島の中海。
「火矢攻めだって?」
タルクがラピスの声で振り返ってみると、松明の灯を矢先につけた弓部隊が海岸にずらりと並んでいた。
光の女神の恩恵を受けた灯。
手元の長剣は、蒼の光をまだ纏い続けている。くそっ! まだ、戦えそうな気がするのに敵に背中を向けるなんて我慢ならないぜ。
だが、タルクは猛る気持ちを胸の中に押し込めた。これまでの経験で、それが命取りになることをよく知っていたからだ。
「畜生! 確かに今取れる最善の策は、光の女神の力にすがることなのかもしれないな」
くるりと身をまわし、海岸へ向かって退却し始める
その瞬間、
「矢を放て! タルクを援護しろ!」
スカーの指示で海岸から一斉に火矢が放たれた。
「消えろ、その紅に沁みついた恨みごと!」
火柱となって焚き上がった炎が天をつく。
清涼な女神の灯には太刀打ちできないと、空に舞い上がった海の鬼灯。その二つの劫火が黒馬島の中海に熱風の渦を巻き起こした。
「タルク、早く、早く逃げて来いっ!!」
海岸でスカーとラピスが叫び声をあげた。けれども、次の瞬間にはっと息をのみ込んだ。中海にもう一つの光が浮かび上がってきたからだ。
「蒼の光か! 有難い。ジャンとゴットフリーがこちらの世界に戻ってくるぞ!」
蒼の光は見る見るうちに輝きを増して、縺れ合う二つの炎と重なり合った。
海岸から中海を見つめていた誰も彼もが、空間の壁を破ってこちらに帰ってくる彼らの姿を期待した。
……が、
光の巫女に守られし大地の力よ、光の巫女に守られし……守られし……
異空間からの扉は閉じられたままで、蒼の光の向こうから聞こえてくる少年の声は、終わりが見つからない迷路に迷い込んだように同じ言葉を繰り返しているだけなのだ。
「ジャン、馬鹿野郎がっ! ここにきて、まだ、海の鬼灯に情けをかけてやがるのかっ!!」
タルクは顔をしかめると回れ右をして、もう一度中海の方向へ突き進んでいった。蒼の光を纏ったままの長剣を振りかざして炎の中に斬り込み、ぐわんと力まかせに振り抜く。
「お前ら、ぐずぐずせずに、とっとと、こっちに戻って来いっ!」
タルクが雄叫びをあげた瞬間に、ごうと轟く音が鳴り、空間が大きく二つに裂けた。
* *
数分後、ジャンは暗い中海で辺りの様子をきょろきょろと見渡しながら、波間に浮かんでいた。
「ふぅ、やっと戻ってこれた」
そこには、吹き上がっていた炎も、海の鬼灯も何もいない海。波は穏やかに揺れ、海岸にはちらちらと松明の灯が揺れるばかりだ。
「おい、ゴットフリー、大丈夫か?」
気がかりな様子で隣に目を向けると、タルクの太い腕に支えられた黒衣の男が苦い笑いを浮かべながら波間に漂っていた。まだ、足の麻痺が治りきっていないゴットフリーには、中海での水泳はかなり負担が重かったのだ。
「ジャン、反省しろ。お前がおかしな情けを
超不機嫌なゴットフリーの脇を抱えて泳ぎながら、タルクが言った。
「まぁ、戻ってこれて良かったと思えよ。けど、海の鬼灯は本当に消えてなくなったのか?」
あれだけ、しつこかった奴らが、おいそれと退治できたとは思えない。
中海は先ほどの喧騒が嘘のように穏やかだった。海岸に浮かび上がる松明の灯の下に彼らの帰還を喜ぶココたちの姿が見える。けれども、仲間の元へ向かう三人の頭上に、不意に暗い影が落ちてきた。
「夜叉王、
「あ~あ、見ちゃいられないな。あんなこけおどしに大人数で」
「お前な! そう言うなら、助けてくれればいいだろうが!」
「だって、せっかく、みんなが頑張ってるのを邪魔しちゃいけないと思って」
苦虫を噛んだようなタルクをくすりと笑い流して、波際まで滑空してきた巨大な漆黒の鳥。その背に乗った端正な顔をした少年が、通り過ぎざまにゴットフリーに囁いた。
「気をつけて。この静寂は紛い物だ。この場所には、あちらこちらに禍々しい空気が見え隠れしている」
夜叉王の声音が冷たい風に乗って三人の耳元に響いてくる。再び、上昇した黒い鳥を見据え、
「分かっている」
ゴットフリーは灰色の瞳をぎらりと煌めかせた。
* *
「タルク、どうでもいい話だが、お前って無駄に筋骨隆々な体してやがるな」
「はぁ? 無駄じゃねえよ。お前と同じ針金みたいな成りじゃ戦闘なんてできないからな」
蒼白い馬が巻き起こした喧騒が嘘のように静まりかえった海岸で、濡れた服を脱いで乾かすタルクをからかうつもりが、逆にスカーはやり込められてしまった。それをジャンがくすくす笑っている。
「ふん、俺は頭脳労働者なんだ。脳まで筋肉でできてそうな大入道とはスペックが違う」
お前らは無視だとばかりに、次にスカーは松明の横に立つゴットフリーの方に身を乗り出した。
「ところで、ゴットフリー、足の具合はどうだ?」
「足? 麻痺した左足のことか。泳ぐには不便だったが、歩くのは今はそうでも……」
「おっと、その先はいいから、ちょっとこれを見てくれよ」
ゴットフリーの言葉を大急ぎで遮り、スカーが差し出したのは、一本の杖だった。
「ちゃんと、絶縁処理もしてあるし、戦闘にも耐えうる極上の杖だぜ」
「絶縁? 杖にか?」
腑に落ちない顔をした黒衣の男に、スカーは意味深な笑みを頬にたたえた。
「まあな……だが、詳しい説明の前に、お前も濡れた服を乾かせよ。濡れ鼠の男なんて、見てても面白くも何ともねぇからな」
とは、言ったものの、爆ぜた松明の灯を背に衣服を脱いだゴットフリーに目を向け、海岸にいた面々はどきまぎと視線を横にそらせた。
ヒョウ属の如くしなやかに引き締まった上半身。その姿態に圧倒されたこともあったが、彼の右胸に深く刻まれた傷跡が彼らを戸惑わせたのだ。
以前、見た時よりくっきりと盛りあがった傷跡に、スカーはひでぇなと無言でジャンに視線を送る。
その胸の傷は、夜叉王、伐折羅がつけた ― 約束の印 ― なのだ。至福の島、レインボーヘブンが蘇った時、必ずその中に伐折羅の居場所を作ると言ったゴットフリーにその想いを刻みつけるための。
ジャンは、その傷を見る度に心が重くなった。
伐折羅は自分の存在をゴットフリーに忘れさせないために、その傷跡を痛ませる。けれども、もし約束が守れなかったとしたら、あいつはナイフの切っ先を迷うことなく彼の心臓に突き立てるだろう。そして、ゴットフリーは多分、何の抵抗もせずにそれを受け入れてしまうのだ。
アイアリスにしても、夜叉王にしても、彼の周りには常に破滅の匂いがついてまわる。そして、今のジャンにはそれを払いのける術が見つからなった。
むっつりと黙りこんでしまった少年。すると、傍にいたラピスが、
「ジャン、どうした? お前らしくもなく、拗ねたオーラを出しまくって」
この盲目の青年が持つ第六感は、こちらが油断していると心の奥までを見透かしてしまう。ジャンは慌てて、
「いや……で、スカー、その杖がどうしたって?」
すると、スカーは待ってましたとばかりに、手にした”極上の杖”をゴットフリーの前にさしだした。
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