第32話 タルクの防戦

「あいつら、また、俺に面倒をなすりつけてゆきやがった」


 いつものことだがと、タルクはふぅっと息を強く吐き、蒼に輝く自分の長剣をまじまじと見つめた。共に旅を続けるうちに、タルクの長剣は、ここぞという時にはジャンの大地の力を吸収するようになってしまったらしい。

 だが、目前に浮かび上がってきたうみ鬼灯ほおずきは生半可な数ではなかった。おまけに、ジャンとゴットフリーがいなくなったことでたぎる殺戮への欲求をもんもんと醸し出している。


 タルクの長剣は2m長。だが、その長さで振り回したとしても、この大量の邪気を始末することは、とてつもなく難しい。


 けど、このまま、こいつらを上陸させてしまうと、生きてる警護隊の連中だって、全員血祭りにあげられてしまうぞ。


「ああっ、色々と考えるのは面倒だ。とにかく、ぶった斬りゃいいんだろうがっ!」


 ジャンの蒼の光を蓄えれば、俺の長剣の威力は最強レベルだ!


 ……多分。


 タルクは中海に仁王立ち、巨体を最大限に伸ばして長剣をぶんと空に振り上げた。


*  *

 

 一方、魂を取られた仲間の亡骸が波間に浮かび上がったままの海岸では、


「む、無駄だ……あの蒼白い馬は、死を連れてくる死神だったんだ。あれを一度でも見てしまった俺らは……もう、全員が死ぬ運命なんだ」


 そんな風に頭を抱え込んでいる警護隊たちに、白々とした目を向けた少女がいた。


「ふん、運命か何か知らないけれど、今、何もしなきゃ、そりゃ死ぬわ。ラピス、あんた、その弓でどうにかできないの?」


 豪胆な言いっぷりに、隣にいた盲目の弓使いは、”さすがはゴットフリーの妹!”と、呆れた笑みをもらす。


「無理無理。いくら俺の腕が天才的でも、このささやかな弓じゃあ、ね」

「何よ、情けない。どいつもこいつも役立たずじゃん」

「お前、口、悪すぎ」

「ふん、上品ぶってて修羅場が乗り越えられますか。ああっ、とにかく、タルク、頑張れえっ!!」


 その声が海岸での戦いの火蓋を切った。


「うおおぉっっっ!!」


 巨漢が、猛獣のような雄たけびをあげた。振りあげた長剣を下ろしながら円盤投げのようにぐるりと大きく身を回す。

 その瞬間に、長剣の切っ先が宙に蒼の大円を描き、海の鬼灯を闇の戦士が待ち受ける漆黒の空へ吹き飛ばした! 


「やったっ!」


 けれども、少女の歓声が聞こえたのも束の間、タルクの背に酷い悪寒が走ったのだ。


 中海の中心が激しく泡立ち、奥から血のような紅の灯がどくどくと溢れ出している。


 海が紅に染まる。まるで処刑後の広場のように……。


 澱んだ紅の色が足元に広がってきた時、タルクの背筋に悪寒が走った。なぜなら、彼は見てしまったのだ。

 鎌鼬かまいたちの刃に刻まれ、恨めし気にじっとこちらを見つめている仲間たちの血染めの顔を。海の鬼灯は、人の恐怖や悔恨の想いに付け込んでくる邪気だ。時には偽りの幻で人の心をもてあそぶ。


 くそぉ、胸くそ悪いぜ! こんな紅の灯の騙しに、びびってる場合じゃないぞ、俺!


 異形な空気に飲み込まれては不味いと、タルクは大きく首を横に振り、長剣の柄を強く握りしめた。と、その時、


 ”無駄よ、無駄……所詮は弱者の絵空事”


 突然、響いていた女のあざ笑い。


「ち、ちょっと、まてよ。まさか、この声は……」


 アイアリス……?!


 タルクは、異空間から響いてくる声に呪縛され、中海で立ちすくんでしまった。そんな震える心を取り込んだ紅の灯が、さらに彼を恐怖の渦に絡め取ろうと光を強めてゆく。


 ……が、


「こらぁっ!! タルク、そんな場所で、固まってんじゃない。大入道の名が泣くぞ!!」


 流星のような火矢が、中海に向けて飛んできたのだ。

 ぼうっと燃え上がる火矢。海岸で弓を身構る盲目の射手ラピスはありったけの声で叫んだ。


「目ェ覚ましたか、独活うどの大木っ! なら、とっととそこから逃げて来い! そうしないと、次は弓部隊の火矢攻めをもろに受けるぞ!」


 その声にタルクは、はっと我に返り、海岸の方を振り返った。


 *  *


 闇馬刀やみばとうで異空間への扉を開いたゴットフリーは、辺りを見渡して、またかと大きく眉をしかめた。一体、何度、自分をここに誘えば、邪心の輩たちは満足するのだろうと。


 ― 目前に広がるのは、もう見たくもなかった紅の花園 ―


 行方不明になっていた二年間、その紅蓮に染まった花園で彼の光の部分は眠り、闇の部分は、闇の王として海の鬼灯と夜ごとの戦いを続けていたのだ。


 さわさわと澱んだ風が紅の花の上を撫で上げ、頭の奥を痺れさせるようなきつい香りが、執拗にまとわりついてくる。


 吸ってはならない。


 この花の香は人の心を狂わせる。もうこれ以上は終わりの見えない繰り返しに戻ってはならないと、片手で口元をおさえたが、顔を上にあげると否応なしに遠くに聳え立つ漆黒の城の姿が目に入ってくる。


 闇の王の居城……。ゴットフリーは無意識のうちにそちらの方向へ足を向けてしまっていた。


 それは、捻じれた時の流れの中で、唯一、彼を癒してくれた城だったのだから。

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