第10話 異空間の崩壊
ジャンが声をあげたと同時に、
蒼と漆黒の力の刃。
それが、一気に厚い雲の壁を貫いた。
悲壮な声をあげた夜の風は天上に昇っていった。
白い光が消えてゆく。
……と、空一面が紅蓮に染まった。
最初にぽたりと血のようなひとひらが舞った。
すると、突然、大量の紅の花びらが地上に落ちてきたのだ。
強く甘い花の香り。
気が付けば、ぐるりと周りを取り巻いた紅一色の花の群れ。
ひからびて鬱蒼とした茶色の荒野は、もうどこにも見えない。
「紅の花園……」
その一角に、ぼんやりと浮き上がる薄い光を見つけた時、ジャンはとび色の瞳を大きく見開いた。
紅の花園の光溜りにうつ伏せ、倒れている男。男のあちこちから流れる鮮血が紅蓮の花々と同化し、身につけた黒衣だけが影のように沈んで見える。
ジャンは、一瞬、おかしな感覚に陥ってしまった。幻覚を振り切るように頭を強く横に振る。これは、夢ではないのかと、半信半疑のまま、男に近づいてゆく。
「ゴットフリー、何でこんなことになってるんだ……」
ここは彼の鬼門の場所。
憤りとも焦りともつかない思いが、胸に込みあがってくる。
なぜ、こんなになるまで僕を呼んでくれなかった? そうしていてくれれば、居場所を探しだすことができたのに……。
泣きたいような気分で倒れている男に手を伸ばす。ところが、
― ジャン、止めて! あなたの強い力に触れるとゴットフリーの意識が現実に引き戻されてしまう ―
吹き付けてきた風に、ジャンはむっと表情を曇らせた。
「霧花、どういうつもりなんだ! こんなゴットフリーを今まで放っておいたなんて!!」
― アイアリスがゴットフリーの夢の中に作り出した異空間。それが崩れてしまった。これ以上余計なことをすれば、ゴットフリーが命がけで守ってきた闇と光の均衡がすべて壊れてしまうわよ。そんなことになれば、
「異空間? なるほど、いくら探しても見つけられなかったはずだ。アイアリスはゴットフリーをそこに閉じ込めていたってわけか。だが、異空間でゆっくりと刻まれた時間もこちらの世界では早く進む。この紅の花園は現実世界だ。こんな傷だらけで放っておけば、じきに命を失ってしまうぞ。光と闇の均衡を保つためにゴットフリーを犠牲にするなんて、僕はまっぴらだよ!」
― 犠牲にするなんて……馬鹿なことを! ジャン、どんなにあなたの力が大きくても、紅の邪気を一人で止めれるわけがないでしょう? 何のためにゴットフリーがこんな境遇に耐えて、アイアリスを自分の世界に縛り付けてきたか、それを考えてみて―
けれども、ジャンは霧花の言葉に微妙な表情をした。
「耐えてきたって……? 本当にすべてが、そうだったんだろうか」
“……どういうこと?―
「らしくないんだよ。ゴットフリーがただ耐えて、一人で黙々と戦っているだけだなんて。あいつを異空間に留めていたものが他にもあるって……僕にはそんな気がしてならないんだ」
夜の風は、一瞬、戸惑ったように口ごもる。
― 私には、分らない ―
「分らないって? いい加減な話だな。ゴットフリーは黒馬亭に連れて帰る。だから、もう僕の邪魔をするのは止めてくれ!」
だが、再び、倒れている男に手を伸ばそうとしたジャンの前に黒い影が立ちふさがった。それは、漆黒の瞳と髪の乙女に姿を変えてゆく。
きつい眼差しで前を見据え、その手に巨大な扇が広げられた時、身を切るような寒風がジャンに吹きつけてきた。
「霧花、止めとけよ。お前が力づくで僕を止めるなんて、できるわけがないだろう」
― いいえ、止めれるわ。ジャン、あなた、大事なことを忘れてるんじゃなくて ―
その瞬間、ジャンはぎょっと目を見開いた。霧花がその扇を、自分の漆黒のドレスの裾に隠されて眠っていた少女に突きつけたからだ。
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