第9話 現世 ~紅の花園
そこには満天の星空が広がっていた。
裂け目を抜けて降り立った女神アイアリスの姿が白く輝く。音という音は何もなかった。ただ、対極ながらも光と闇は一定の調和を保ち続けていた。
女神の光が辺りを照らしだした時、闇は神殿のような建物の影を浮かび上がらせた。
逸る心を抑えきれずに階段を駆け上ったアイアリスは、影の扉を大きく開け放つ。すると、大広間の奥の窓辺に座っていた男が、灰色の瞳を光の方向へ向けたのだ。
男は眩しげに目を細めたが、白い女神の姿を認めると立ち上がってその方向へ歩きだした。
彼の元に駆けてきたアイアリスをその腕に抱きしめる。
「ゴットフリー、ここで何をしていたの」
「空の向こうの”紅と闇と人”の生き死にを見極めていた」
「そんな下等な物たちの命など、気にすることは何もないのよ。私はこの場所が気に入った。ここに居ましょう。未来永劫、私とあなた二人きりで」
腕の中から、見上げてくる清廉な青の瞳を研ぎ澄まされた灰色の瞳が見返す。
「ここは闇の世界だ。光の女神のお前の場所ではないはずなのに」
「私はこの闇が心地よい。あなたが私を愛してくれれば、私は闇の王の妻となり、この場所を白の光で彩りましょう。だから私を受け入れて。私の光はもはやこの闇の中でしか輝けない」
「闇の中の光の女神。それが、お前の想いの果てか。生きとし生ける者の命を貢物に、闇の王の妻になるというのか」
ゴットフリーは鮮やかに笑った。黒一色の衣の中に白の女神を引き寄せる。そして、ほとばしる光を暗い闇で遮るように、その唇に口づけた。
苛立つような冷気を放ちながら、夜の風が吹き抜けてゆく。
― まだ、
けれども……
* *
ジャンは辿りついたザールの屋敷跡で唇を噛みしめた。
以前の鬱蒼とした屋敷の姿はすでになく、今は燃え残った瓦礫が積みあがるばかりだった。屋敷の隣にあった紅の花園は、枯れ草が広がる茶色い荒野になりさがっている。
外灯のない屋敷跡は暗闇に包まれて、怪しげな空気を醸しだしている。普通の者ならば、こんな廃墟の中に入る者は誰もいない。だが、上空に見え隠れする白い光が、ジャンの心を引き付けた。
「あそこか!」
ジャンは、その光の下に向かって走り出した。
* *
澱みきった黒馬島の空に、白い光が稲光る。
今にも破裂しそうに膨れ上がった灰色の雲を見上げて、ジャンはどうしようもない重苦しさを感じてしまった。
限界ぎりぎりまで、こらえることを強いられてきたような焦燥感。自分をここへ呼び寄せたものがそれというなら、
「気に入らない! その牢獄みたいな雲、僕が真っ二つに切裂いてやる!!」
……が、
― 止めて! あの場所には、まだ手を出さないで! ―
突然、冷たい風が天空から吹き降りてきたのだ。
「お前、霧花だな? 本気で言ってるのか。あの光の向こうから聞こえる声は、どう考えても外へ出せと僕らに訴えかけているじゃないか!」
― 駄目! 今、ゴットフリーを目覚めさせれば、闇と光の均衡が崩れてしまう。それに、あちらの世界にはココもいる。あの娘がどうなってもいいの! ―
「ココが!?」
ジャンは一寸、口を噤んだ。
「なるほど、あちらの世界か……よくは分からないが、あの白の光の向こうに彼らがいるわけだな。それなら、尚更、僕はここから手を引くわけにはゆかない」
― ジャン! どうして!? ―
「それがゴットフリーの意志。今の僕にはそれがはっきりと分かるから!」
邪魔だとばかりに腕を一振りして、すがり付いてくる風を振り切る。
「
ぐんと腕を差し伸ばし、手のひらを大地に向けて大きく開く。指の間から溢れ出した目も眩むほどの蒼の光。
それを足元に投げ出すと、ジャンは渾身の力をこめて声をあげた。
「蒼の光と
少年のとび色の瞳が黄金に変わる。
「その切っ先で、あの暗き空を貫き通せ!!」
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