第7話 闇の視線

 渦を巻きながら闇が迫ってくる。


 「伐折羅ばさら、黙ってないで何とかして。頼れるのはあんただけしかいないんだから」


 その時突然、伐折羅の黒い鳥が天を貫くようなかん高い鳴き声をあげたのだ。びくりと身をすくめたココを尻目に、それは巨大な翼を空に羽ばたたかせた。

 飛び散る大量の羽が天空を漆黒に染めた。同時にざわと夜がうごめいた。


「仕方ない。そろそろ潮時か」


 伐折羅が鳥の背に立ち上がり、高く声をあげた。


「夜の隷属、闇の戦士! 黒馬の主は幻の住処へ戻っていった。すみやかに夜の静寂しじまの元へ還れ! 逆らう者は容赦はしない。夜叉王”伐折羅の命に従い”闇喰鳥”の翼の風が、すべての闇を絡め取る!」


 絶対的な冷気を帯びた声音が辺りを気圧し、ココがびくりと身を縮こませる。

 空気が固くこおばり闇の進行がぴたりと止まった。

 すると、伐折羅の鳥の背後に、別の闇の戦士がぶわりと浮かび上がってきたのだ。


「僕が赦す! 闇の戦士よ、そこに留まる同胞はらからどもを共喰ってしまえ!」


 冷気が横を通り過ぎて行ったとたんに、目前で闇と闇が絡み合った。


 ちぎれ飛ぶ漆黒がさらに暗い漆黒に飲みこまれてゆく。無差別に喰い滅ぼすことに愉悦する声が、ぼぉと怖気のする響きとなって木霊した。


互いに喰い合う闇と闇。

その満腹感が空虚を作りだした。


「闇が……消えてゆく」


 空には再び満天の星が輝きだした。暗い翳りが去っていった跡からは、大量の漆黒の羽がくるくると舞い、最後まで居残った闇を絡め取りながら伐折羅の黒い鳥の翼の上に戻ってきていた。


「そんな……信じられない。あんなに凶暴だった闇の戦士が全部?」


「伐折羅っ、あんたっ、何やってくれてんのよっ! 仲間同士を共喰いさせるなんてっ!」


「ふん、強がっているわりには震えて見ていたいたくせに。仲間同士? 何だよ、それ。闇の戦士はそんな気色の悪い感情は持ち合わせてはいないから。けれども、これで分かっただろ。紅と闇がどんな戦いを続けてたか。毎夜、繰り返されてきた住民たちが知らない ”黒馬島の夜” と ”幻の黒馬” の真実が」


 ココは、むっつりと口を噤んでしまった。

 

 毎夜毎夜、黒馬島の住民たちに目撃されていた幻の黒馬。


 ということは……黒馬島に来てから、私たちがのんびり暮らしていた間に、ゴットフリーは、あんな寒気のする戦いにずっと参戦していたっていうの。


「伐折羅……ごめん」


 首をうなだれ、突然、殊勝な台詞を口にした娘に、伐折羅は腑に落ちぬ顔をする。


「突然、何だよ。闇の戦士を排除してやったことに感謝はされても、僕はお前に謝られる筋合いなんてないぞ」


「だって、だって、今まで私は島のみんなと、夜叉王、伐折羅のことをもの凄い外道みたいに噂してた。私たちがぼけっとしてた間も、伐折羅だけはゴットフリーを助けてくれてたっていうのに。あんたには、色々と言いたいこともあるんだけど……でも、今は本当にごめんっ」


「……」


 思いもかけぬ言葉に黙り込む少年に、悔しいような後ろめたいような気持ちを伝えようと必死で頑張るココ。すると、ふと薄く白い光が、自分の脇に漏れ出しているような気がしたのだ。


「ねぇ、伐折羅、ここ、何かぼんやりと光ってない?」

「光?」

「ほら、光ってるじゃないの。ひび割れたみたいに長く……」


 すると突然、その空間が大きく左右に裂けたのだ。


「きゃあぁぁっ……!!!」


 驚く間もなく、ココの体はその間へ引きずり込まれてしまった。


「おいっ……っ!」


 咄嗟に手を伸ばす伐折羅。だが、突然、漏れ出した光に視力を奪われ、彼は少女の姿を見失ってしまった。


 巨大な鳥の羽音だけが、辺りに響いている。


 黒い鳥の上に一人で残された少年は、空間の裂け目も白い光も少女も、すべてが消えうせた黒馬島の空で、


「白い光があの娘をさらっていった……?」


 幻の黒馬の上からこちらを振り返ったゴットフリーの表情が、一瞬、脳裏に浮かぶ。


 なぜだ?……彼の視線は、間違いなく、あの娘に向けられていた。


 何もかもが腑に落ちなかった。けれども、胸騒ぎを抑えきれず、伐折羅は漆黒の瞳を少女が消えていった空間そらに向けるのだった。


*  *


「お頭は、妙な娘と黒い鳥に乗って、どこかへ飛んでいっちまいました……か」


 朧に雲がかかった月明りの下を、とび色の瞳の少年が、手持無沙汰に歩いてゆく。


 伐折羅の黒い鳥の跡を追って行ったココを探しに、黒馬島でも最高に畏れられている“西の盗賊”のアジトに向かったまでは良かったが……。


「西の盗賊っていうのも、伐折羅の配下にしちゃあ大したことなかったな。ちょっと、地面を割ってみせてやっただけで震えあがっちまって。けど、肝心のココを連れ戻せなきゃ、ちっとも意味がないじゃないか」


 物騒な暗い山道も、強面の悪党たちの脅し文句も、ジャンには何の影響も及ぼさなかった。それどころか、一見普通にしか見えないこの少年には途方もない神秘の力が隠されている。

 彼は至福の島、レインボーヘブンを形成していた七つの欠片の中心。そのいしずえなのだから。その目は障害物がなければ千里の先までを見通し、その耳は遥か彼方の音までも聞き取ることができる。


 ジャンは、せめて、ココと伐折羅を乗せた黒い鳥の羽音を捕えることができればと、耳を澄ませてみた……すると、その時、


「あ……」


 空の向こうから、低く響く声が聞こえてきたのだ。


 ……出せ、俺を……。


 ずっと行方不明だった男の声音に、はっと大きく目を見開く。慌てて、声の聞こえる方に視線を向けると、町はずれの暗い空をひび割るように輝く白い光が見えた。


「この声っ、まさかっ……ゴットフリー……? でも、あの方向……って、ザールの屋敷がある場所じゃないのか!」


*  *


「ここ……どこ?」


 突然引きずり込まれ落ちていった場所で、ココは唖然と廻りを見渡した。


 ついさっきまで、黒馬島の空に瞬いていた満天の星はどこへ行ってしまったのだろう? 目の前に広がるのは、それとはどう考えてみても異った空間だった。


 腰のあたりまで丈を伸ばした未知の花々が、見渡す限りの紅の花園を作り出している。


 何なの……ここ?


 “幻の黒馬”に率いられた闇の戦士に蹴散らされた紅の灯 ― うみ鬼灯ほおずき ― が、また戻ってきたのではないかと、ひやりと冷たいものが背中を通り過ぎてゆく。

 その瞬間、甘い花の香はむせ返るようにきつい刺激臭となって鼻先に流れてきた。ゆらゆらと揺れるようなおかしな感覚が頭の中に湧き上がってくる。


 駄目だ。この香り……絶対にヤバい。


 冷たい風が頬を撫ぜてきたのは、ココが身の危険を感じて鼻を手で押さえようとした時だった。花の香とは別の香りが風上から流れてくる。


 血の匂いが……。


 錆びた鉄のような香りが流れてくる先に目をやると、紅の花がその場所だけ薄ぼんやりと輝いているのが見えた。

 行ってみたい気持ちと、行っては駄目だという気持ちが交互に心に湧きあがってくる。けれども、ココの足は知らず知らずのうちに、その光の方向へ歩き出してしまっていた。

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