第5話 黒馬島の夜

 濃紺を溶かした空。

 薄く帯を引く灰色の雲。

 深まる夜とともに、雲は風に吹かれ、切れ切れに遠くへ流されて、生まれては消えるを繰り返している。

 その間を抜けて、巨大な漆黒の翼を広げた鳥が滑空してゆく。

 鳥の背には翼の影のような少年と、それとは正反対の明るい紅色の髪の少女が乗り込んでいた。

 月と星の輝きは雲の絶え間ないカーテンに遮られ、光はその切れ間から断片的に見えるだけだ。


 凶報の予感がひしひしと伝わってくる気配に、伐折羅ばさらは満足げに笑みを浮かべた。

 殺戮と崩壊は、百億の夜叉の主である彼にとっては一番の癒しなのだ。

 けれども……


“伐折羅の黒い鳥”が、すんなりと、こんなうるさい娘を受け入れてしまうなんて……


「この黒い鳥が背中に乗せてくれて本当に良かったぁ。天喜の白い鳥とは仲良しなんだけど、ちょっぴり心配だったんだよね」


「仲良し? お前、天喜あまきの白い鳥に乗ったことがあるのか」


「お前じゃなくて、ココ! 私の名前は“サライ村のココ”。天喜の白い鳥には、エターナル城の迷宮をゴットフリーと攻略して、その後に初めて乗ったの。あの時は、ゴットフリーに無理矢理に鳥の背に乗せられて、かなりびびっちゃったけどね」


 あははと笑い声をあげる少女に、伐折羅は腑に落ちぬ顔をする。

 どう考えてみても、この少女とゴットフリーとの繋がりが分らない。その時、月明りに照らされたココの紅い髪がきらりと輝いた。


 ゴットフリーの髪は陽光に照らされると黒から紅に変わる。


 ところが、その想いを伐折羅が反芻はんすうする前に、雲がまったく見えない箇所に二人は入り込んでいったのだ。


「上昇しろ!」


 伐折羅がそう命じた瞬間、二人を乗せた黒い鳥は高度をあげた。


 脇を通り抜けてゆく星の大群。矢のように降り注いでくるおびただしい数の流れ星。ココは、その光景に目を瞬かせた。


 にしても、この数は多すぎる!!


 自分たちが乗った黒い鳥を貫いて落ちてきそうな大量の流れ星に、ココは度肝を抜かれ、美しさよりも恐怖を感じてしまった。背中で伐折羅が小さく声をたてて笑っている。


 これが、夜叉王、伐折羅が治める“黒馬島の夜”!


「何を小さく縮こまっているんだよ。幻の黒馬の行方を知りたくて、ここまでやって来たにしては度胸がないんだな」


 伐折羅は黒い鳥を水平飛行に変えさせ、さらに前へ飛翔させた。


「ほら、あれを見ろよ」


 彼が指差した遠くの空には、星の姿は一つもなく、そこには大量の紅の灯が蔓延はびこっていた。

 血の海のような光景にココはぞっと身を震わす。


「あ、あれはうみ鬼灯ほおずき!」


「そうさ。あの先には星は一つも見えないだろ。なぜだと思う? 紅の邪気にすべて光を飲み込まれてしまったんだ。放っておけば、あの紅の灯は間違いなく黒馬島全部を食い荒らしてしまうだろう。面白いと思わないか。それにも気づかずに、住民たちは毎日を安穏と暮らしてるんだ」


「全っ然、面白くなんかないし!」


 強い口調で言い返したものの、続々と集結してくる紅の灯を見ているうちに、ココは背筋が寒くなってしまった。もし、あの邪気が全部、黒馬島に襲いかかってきたとしたら……。


「……だ、だから、伐折羅は黒馬島の夜を守ってくれてるんでしょ? そうでしょ? そうだよね。だって、あんたは百億の夜叉を率いた夜叉王なんだから」


 伐折羅は、それには微妙な表情をした。


「まぁ、もう少し見ておいで。もっと、面白い物が見れるから」

「……」


 それっきり口を噤み、息をひそめた少年に、ココの心臓は嫌が上にも鼓動を早めていった。伐折羅の黒い鳥は、その場所で羽ばたくのを止め、風に乗りながら時を経つのを待っている。


「あの……」

 沈黙の時間に耐え切れず、口を開こうとすると、

「しっ!」

 伐折羅はココの口元を後ろから塞ぎ、そのまま、黒い鳥の上に突っ伏した。すると、彼らの真横の空間が大きく十文字に引き裂かれたのだ。


 突風が吹きつけてくる。どこか遠くから、蹄の音が響いてくる。


「ま、ま、まさか、これって……?!」


 黒い影が空間の裂け目から飛び出してきた時、ココは突風に吹き飛ばされまいと黒い鳥の背に遮二無二にしがみついた。それから、大きく目を見開いた。



 影のような、闇のような……巨大な黒馬が、暗い風を引き連れながら空を駆けてゆく!


 その背に乗った黒装束の男に視線を向けた瞬間、


「ゴットフリー!!」


 ココは叫び声をあげた。

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