第3話 夜叉王 伐折羅

 日が落ちた黒馬島の空には、闇色の雲が広がっていた。


「駄目、やっぱり早くて追いつけない」


 ココが息をきらして空を見上げると、伐折羅ばさらの黒い鳥は、前方に聳え立つ黒い山を旋回しながら上昇し、暗い雲に隠された頂の中へ姿を消してしまった。


 あれって西の山だよね。黒馬島の盗賊が根城にしてるっていう。


 戸惑いながら、切り立った崖のある山の方に視線を向ける。すると、登山道に添って立てられた松明たいまつの灯が目に映ってきた。


「松明の道があるってことは……あれを登ってゆけば、伐折羅に会えるってこと?」


 はぜる松明の灯が上へおいでと誘っているようで、ココは登山道を進んで行った。

 これまで散々付き合わされた経験もあり、多少の闇は平気だった。ただ、遠くから聞こえる不気味な夜鳥の声が、魑魅魍魎ちみもうりょうの叫びのように思われて、さすがにぶるりと身を震わせてしまった。


「どうしよう……。お化けにだけは遭いたくないよ」


 お化けはうみ鬼灯ほおずきより、もっと、見かけがキモいに決まってる。近くの梢が揺れ、黒い影が飛び出してきたのは、ココが泣きべそをかきそうになった時だった。


「お前っ、誰だ! ここへ何しに来た!」


 きょとんと瞬きしてみると、いかつい顔つきの数人の男が、目の前に立ちふさがっている。

 ……が、


「あのぉ……もしかして、この山の盗賊?」

「だったら、どうしたっ!?」


 怯えた顔が、ぱっと明るくなる。


「良かったあ!!」


 満面の笑みを自分たちに向けてきた少女に、盗賊たちは、解せない顔をする。


「ああん、良かっただと? お前、頭がイカレてんのか。俺たちは、この山を根城にしている盗賊なんだぞ」


「お化けよりもずっとマシ! 私だってガルフ島じゃ“サライ村の泥棒娘”って名を馳せてたんから、盗賊なんてお仲間みたいなもん。分ったら、とっとと伐折羅の所へ案内して。その子って、あんたたちのボスなんでしょ」


「お頭に会わせろだって? ふざけるな! お前、誰にモノを言っているんだ!」


 盗賊は、かっと激昂して腰のダガーナイフを少女に向ける。

 ところが、ひらりと体を翻すと腰の剣を引き抜き、ココはほんの一瞬の隙をついて盗賊の足元に入り込んできた。


「何っ!」


 レイピアの銀の光る切っ先が、真下から盗賊の咽喉もとを狙っている。


「私は本気。言うことを聞いてくれないんなら、このレイピアで串刺しにしちゃうんだからっ」


 にこりと不敵な笑みを浮かべる少女に、盗賊たちは、ただ唖然と目を向けるばかりだった。


 反撃しようにも、どうにも手が出せない。荒くれた海賊や敵の盗賊相手なら言い訳もたつが、小娘一人に殺られただなんて、お頭の耳に入りでもしたら、ただで済むはずがない。


「あのな……お嬢ちゃん、いい子だから、そんな物騒な剣はしまっときな」

「なら、伐折羅に会わせてよ!」

「いや……、お頭は俺たちだって、好きに会えるわけじゃないから……」

「あっ、そう。なら、こうするけど」


 ココは、人質にした盗賊の咽喉に颯爽とレイピアを突き上げようとする。

 慌てる一同を小気味良さ気にぐるりと見渡す。……が、その時、顔を蒼白にして、強面たちが潮が引いたように後ずさったのだ。


「何……?」


 その瞬間に、ぞくりとした感触が足元に沸きあがってきた。

 ぼぉとほら貝を吹いたような空洞な音。突然、目の前に現れた暗く冷たい殺気に、堪らず盗賊たちが叫んだ。


「お、お前がいらぬ面倒を起こすから闇の戦士が降臨してきやがった。死にたくなけりゃ、早く、そのレイピアをしまえ! こいつら、敵も味方も容赦ないぞ」


「闇の戦士? それって伐折羅の配下の?」


 ココの脳裏に、紅の邪気と相見あいまみえてグラン・パープル島で崩壊の限りをつくした闇の姿が浮かび上がってきた。

 グランパス王国は、その紅と闇の戦いに巻き込まれて滅亡したのだ。すべての敵を闇に引きずり込む、夜叉王 伐折羅の闇の軍。それらは時にはぞっとするほど殺気を帯びた人型の殺戮者にも姿を変える。

 暗黒の鎧をまとった人型の戦士は、姿を現したとたんに、長槍を振り下ろしてきた。


「わぁあああ!!」


 その時、


「止めろ! お前ら、何を騒いでる」


 上空の雲の中を縫うように黒い風が舞い降りてきた。


 ― 伐折羅の黒い鳥 ―


 巨大な漆黒の鳥から一人の少年が地上に降り立った瞬間に、禍々しい闇の気配は消えうせてしまった。


「お頭!!」


 口々にそう声をあげて集まってくる盗賊たちに、少年は目もくれない。


 この子が、夜叉王 伐折羅?


 夜が化身したかと思うほどの漆黒の髪と瞳。髪や瞳の色は違っても双子の姉の天喜あまきと同じ顔……が、伐折羅には、天喜のような華やいだ感はまるでなかった。ただ、つややかな黒髪が風になびく様や、深く澄んだ漆黒の瞳は静かな夜の湖底のように寂しく、また美しく、人の心に深く憧憬の念を起こさせた。

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