第126話 至福の島へ

 白桃の色合いをした頬。琥珀色の瞳。そして、薄い褐色の巻毛が背中で揺れる度、辺りの空気を花のような香りに染めてゆく。


「タルク、タルク! 会いたかったわ!!」


 駆けてきた花のように美しい少女が、野太い腕の中へ飛び込んでゆく。


「おいおい、あの美人は一体、誰なんだ?」


 呆気に取られて隣のジャンを見るスカー。


「”夜叉王” 伐折羅ばさら の双子の姉、天喜あまきだよ。タルクや僕らは黒馬島で彼らに出会い、そして、別れて、グラン・パープルにやってきたんだ」

 

 夜叉王が出たかと思うと、次は得体の知れない小僧、その次は、超美人の姉ちゃんか……入れ代わり立ち返り、何だってぇんだ!?

 それにしても……。


 スカーは頬の傷を歪め、タルクに抱えあげられて満面の笑みを浮かべる少女に目を向けた。


 小指を軽くあげ、

「あの娘って、もしかしてタルクのこれか?」


 問われたジャンは、きょとんと目を瞬かせている。


「鈍い奴だな! タルクとあの娘はいい仲なのかって聞いてんだよ」


「……まぁ……将来的にはそうなるかもしれないけど」


「やってらんねぇ! 美女と野獣とはあれを言うんだ」


 けれども、地震の揺れがひどくなってきた。タルクの腕から降りた天喜は、海岸の向こうを指差し、


「ジャン、早く私に着いて来て! あちらの方向に、黒馬島に移れる場所があるの」


 天喜が突然、現れたのはそのためかと、ジャンは頷き、周りに集まってきた人々に高く声をあげた。


「天喜が黒馬島までの道を案内してくれる。だから、サライ村の人たちは急いで黒馬島に移って! 次に行き着く場所は、レインボーへブン。七つの欠片と元々の住民が集結した時に、至福の島は蘇る。アイアリスはもう僕らの女神じゃない。僕らは自分たちの力で、本当の至福の島を手に入れるんだ!」


 こっちよ! と言う天喜に誘導され、サライ村の住民たちは堰を切ったように走り出した。しかし、タルクとスカーは、同時に、


「ジャン、ラピスはどうする? それに、残してゆくグラン・パープルの住民たちは?」


「グラン・パープルの人たちは、彼らだけでも大丈夫だ。この地は”ソード・リリー”によって守られている。水晶の光の中で真の平和を祈り続ける守護神に!」


「……なら、ラピスは!?」


「僕が今から、彼のいる家へ行って連れてくる。タルクとスカーはサライ村の住民たちを追って先に黒馬島へ移ってて!!」


 駆け出そうとするジャン。ところが、上着の裾を握り締める強い力が、不意に彼の邪魔をした。


「嫌よ!! ラピスはグラン・パープルの住民なのよ。ラピスを連れて行かないで!!」


 それは、ゴットフリーにハイラスの実を託した居住区の娘の一人だった。


「いくら友達だって、あなたたちに彼を連れてゆく権利はないわ。私たちからラピスを奪わないで! 生れた場所が違ったって、このグラン・パープルがラピスの故郷なの。レインボーヘブンと何の関係もない彼をこれ以上、おかしな戦いに巻き込むのは止めて!!」 


 その娘の言葉に、ジャンは戸惑いを隠せぬ顔をした。


 グラン・パープル島で一介の医者の卵として、ひた向きに生きてきたラピス。

 レインボーへブンの欠片”樹林”と同調シンクロさえしなければ、その運命は、確かに変わっていただろう。けれども、それは、生まれたばかりの彼への”死”の啓示だったのかも知れないのだ。


*  *


 何かが来る……濁流の中を、研ぎ澄まされた黒い流れが逆走してくる。


 胸の鼓動の高鳴りを堪え切れなくなった時、ラピスは居住区の一軒家の中で、がばとベッドの上に身を起こした。

 タルクに強く止められたのと、まだ本調子でなかったこともあって外出するのを控えていたが、外で何かが起こっているのは明らかだった。


 ラピスはベッドから降りると隣の部屋に向かい、徐々に強くなってゆく力を最も感じる場所 ― 玄関の扉 ― に向かって歩き出した。

 相変わらず、目が見えなくとも不便はなかった。それどころか、視覚以外の感覚が以前よりも冴え渡り、グラン・パープル島で動く空気の流れが手にとるように読み取れてしまっていた。


 何かが来る……? いや……この扉の向こうに、それは、もう……


 玄関のノブに、手をかけた瞬間、ラピスは全身がぴりぴりと痺れるような気がした。扉の向こうに何かがいる。そして、圧倒的な力で”扉を開けよ”と命じてくる。


 背中に冷たい汗が流れ落ちた。

 おそるおそる、扉のノブを回した時、


 嘶き……馬の声?


 耳に響いてきた高い声音に圧倒され、ラピスは驚いて、二、三歩、後ずさった。扉の向こうに巨大な漆黒の馬が立ちはだかっていたからだ。

 かたく閉ざされた彼の目では、姿を見ることはできなかったが、それは、日常の空気をすべて押しのけてしまいそうな暗い気を纏い、にもかかわらず、邪悪な翳りは一片も感じとれなかった。


 目の前に感じる黒馬の体に手を伸ばす。冷たく艶やかな毛並みが指に伝わってくる。


「お前……まさか、シャドウ……ゴットフリーの黒馬か?」


 シャドウは光と闇を駆ける馬。そして、”闇の王”ゴットフリーの乗馬。


「ここには、ゴットフリーはいないぞ! それなのに、何でお前がこんな場所に現れるんだよ」

 だが、無意識のうちに、ラピスは悟ってしまっていた。


 昨日、ゴットフリーが口にした言葉が脳裏に浮かんできたからだ。


 ”至福の島、レインボーへブン。その島が、自分の目で見れるとしたら、お前は、俺と一緒に来るか。今のグラン・パープルでの生活も、両親もすべてを捨てて”


「ちょっと、待ってて! 奥の部屋から弓を取ってくるから!」


 迷うより先に足がそうさせていた。ラピスは脱兎の勢いで隣の部屋に駆け込むと壁に立てかけてあった愛用の弓矢を手に取り、玄関先で待つ黒馬の背に飛び乗った。


「お前は俺を迎えに来てくれたんだろ? なら、連れて行ってくれ!! それがゴットフリーの意思ならば、俺は彼についてゆく」


 高く嘶くと、ラピスを背に乗せた黒馬はグラン・パープルの大地を蹴って、海岸に向かって疾走しはじめた。

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