第124話 消える道標

 酷く動揺した様子のゴットフリーに、スカーとタルクは訝しげに視線を向けた。ジャンでさえも驚きを隠せなかった。サライ村の泥棒娘をアイアリスに殺されたとしても、この男が、ここまで、うろたえる意味が分らない。


「その娘を返してくれ!! 俺が代わりにそちらへ行くから!」


 その言葉は天空に囚われたココでさえも驚かせた。


「馬鹿っ!! ゴットフリー、なんで私なんかのためにっ!」


 少女を捕えたアイアリスが浮ぶ天空。


 海岸に広がる波を踏みしめて、その下の海へ入ってゆこうとするゴットフリーをスカーが血相を変えて止める。


「おぃ! お前、気は確かか? ガルフ島ではゴキブリ扱いしていた娘の代わりになるなんて……こんな場面で正義派ぶったって、何の得もならないんだぞ!!」


 肩を掴んだその手を払いのけて、ゴットフリーは海へ進む。タルクが、前に立ちはだかろうとするが、それを眼で拒絶する。

 先に天喜の白い鳥を救い上げるために、海の浅瀬にいたジャンは白い鳥を抱きあげたまま、唖然とその様子を見つめていた。


「やはり、あなたなら、そうすると思ったわ」


 微笑み、アイアリスは白い衣を一振りする。

 

「ゴットフリー!! あんた、気でも違ったの!!」


 浅瀬に下ろされたココが波飛沫をあげながら走り寄ってきた。同時にジャンも彼の元へ駆けだしていった。

 近くに来た少女を両手で受け止めると、ゴットフリーは、わずかに笑った。その時、ジャンの腕の中から天喜の白い鳥が空へ飛び立っていった。後ろを振り返ると、頬を膨らませた少女の頭にそっと右手を伸ばし、ゴットフリーは言う。


「サライ村のココ」


 その瞬間、ジャンはとび色の瞳を大きく見開いた。


「ココ……?」


 どうしようもないほどの懐かしい思いが胸に込み上げてくる。


 サライ村のココ。

 火の玉山で、必ず迎えにゆくと約束を交わした大切な友達!


「ココ、僕はどうして、今まで分からなかったんだろう。こんなに近くにいたのに……」

「ジャン!? 私を思い出したの? 私が分るの?!」

「分るよ!! 分らないわけがないじゃないか」


 歩み寄り、少女を胸に抱きしめたジャンに、ゴットフリーが言った。


「俺の言葉に封印されていたジャンの記憶が戻ったんだ……長い間、悪かった」


 身を切るような冷たい風が天空から吹いてくる。ことの成り行きに為す術のないグラン・パープルの人々を見据え、残酷な笑みを浮かべた白い女神が黒衣の男を手元に招く。


「さぁ、約束どおりこちらへ来なさい。あなたの意思で」


「ゴットフリー、行っちゃ、駄目!!」


 女神の足元に向けて、浅瀬の中を歩き出した男を少女が止める。その時、


「これはお前に」


 おもむろに、目の前に差し出された豪奢な鞘と剣にココは不思議な顔をした。


「これは、ソード・リリーから俺が預かったレイピアだ。けれども、俺よりお前が持っていた方がいい」


 手に握らされた宝剣。ココは訳が分らず目を瞬かせたが、ジャンは驚きを隠せぬ顔をした。


「まさか……お前、知ってるんじゃ……」


 ココの襟元に手を伸ばし、その胸にかかった銀のロケットの蓋をそっと開いた黒衣の男。その中には、自分と良く似た男の写真が入っていた。


 これが、俺の父の写真……そして、この娘の……。


「ゴットフリー!! だからお前はココの身代わりになろうとしているのか?」


 けれども、小さく首を横に振り、


「俺は、とんでもない思い違いをしていたようだ。俺は、その娘のことをアイアリスが残した一房の人間のおまけのような者かと思っていたが……」


 もしかしたらと……彼は言った。

「スペアは俺の方だったのかもしれない」


 アイアリスが待つ海の中へ歩いてゆくゴットフリーに、ジャンが声を荒らげる。


「駄目だ、行くんじゃない!! お前がいないと虹の道標が消えてしまう!! そんなことになったら、僕たちは何を指針にレインボーヘブンを探せばいいんだ!!」


「虹の道標が消えても、お前には俺の行く先が分かるはず」


 その声に、はっとジャンは足を止めた。


 そう、同調シンクロしている……ゴットフリーと僕は。


 軽く笑みを浮かべるとレイピアを手にした少女を見やり、それから、ゴットフリーは浅瀬に立ち尽くす少年に研ぎ澄まされた灰色の瞳を向けた。そして、


「妹をよろしく頼む」


 そう告げると、海の中へ入っていってしまった。

 ココはきょとんと目を見開いている。


 海に波が寄せるごとに、黒衣の姿が薄れてゆく。女神の光輝もいつの間にか青い空に溶け込み、今は、銀の光だけが陽光と交じり合って天頂に煌いていた。

 その姿が完全に海の中に消えてしまった瞬間に、ジャンは東の空に七色に輝く虹を見た。だが、それは追ってゆこうとしたとたんに溶けるように消えてしまった。



 レインボーヘブンへの虹の道標。

 けれども、その幻影さえも今はもう見えない。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る