第122話 レイピアの返還

 日が暮れた海岸には、静かな波が打ち寄せていた。上弦の月が夜空に輝いている。

 

 王女が居住区の住民たちと催したささやかな晩餐会の残り火なのだろうか、浜辺では松明の灯が沖から吹いてくる海風にゆらゆらと揺れていた。波打ち際で、その灯に金の髪を照らされながら、王女リリーはゴットフリーたちを待っていた。


「もう、住民たちとの話は終わったのか」


 そう声をかけられ、慌てて手で目をぬぐって振り返る。表情を硬くしたゴットフリーを見て、王女は小さく微笑んだ。


「別に永遠の別れってわけでもないし、よく考えてみると、グラン・パープルの守護神になれるんですもの、何も哀しむことなどなかったのよ。それに、あなたは必ずレインボーへブンを復活させて、水晶の棺から私を出してくれる。私はそれだけを信じて、その時を待っていればいいのよね」


 泣きはらした目が彼女の言葉と裏腹で、ジャンはいたたまれないような気持ちになってしまった。ゴットフリーは言う。


「レインボーへブン、その存在価値が今の俺には分からない。けれども、俺は水晶の棺の中に”守護神”などと名目をつけて、王女を永遠に生きながらえさせることは絶対にさせない。人として生き、人として死ぬ。それが、人間の真の幸せだと思うから」


 王女の傍らにいたタルクがこくりと頷いた。


 その時、不意にゴットフリーが東の方向に目を向けたのだ。夜の海辺から弧を描くように、七色の光が月に向かって伸びてゆく。海岸に集まった一同は、つられるように彼の視線を目で追った。 


 レインボーへブンの虹の道標

 その光は、夜であっても至福の島に彼らを誘う。


 王女リリーは、くるりと海に背を向けると、彼らの方へ向き直り、凛と瞳を輝かせた。


「明日、私は水晶の棺に入って、この国の守護神になる。私には、あの虹を追って行くことはできないけれども、どんな時でもグランパス王国やあなたたちの姿をこの目に焼き付けておきたいの。だから、ジャン、私が遠くを見渡せるように、水晶の棺をこの土地で一番、高い場所に作って! 暗い場所で祈り続けるのは絶対に嫌!」


 ジャンは一瞬、驚いた様子だったが、ゴットフリーと顔を見合すと、

「そういえば、元王妃が入った水晶の棺はエターナル城の地下の迷宮ではなく、西の尖塔の最上階にあったんだっけ……」


 ゴットフリーを騙すために、レインボーへブンの欠片”樹林”を名乗っていた元王妃。彼女を拘束するため、ジャンは西の尖塔の最上階を水晶の部屋に変えたのだ。けれども、その場所は彼自らが崩壊させてしまっている。


「分った。尖塔どころか、エターナル城も、もう、ここには存在しないのだけれど、その約束はきちんと守る。アイアリスだって別に文句は言わないだろ」


 王女リリーは、その言葉にこくりと首を縦に振り、


「それと、このレイピアはあなたにお返ししておくわ」

と、腰に装着したレイピアを鞘ごと、ゴットフリーに差し出した。


「それは、もうお前の物だ。俺が持っていても何の役にもたたない」


「いいえ、あなたが持っていて。これは私の分身のような物。至極の島が復活し、水晶の棺から、この世界に戻って来た時、私は、このレイピアをグランパス王国の王女として再びあなたから授かりたい。レインボーヘブンの王としての ― ゴットフリー・フェルト ― から」


 リリーは紫暗の瞳を真っ直ぐにゴットフリーに向けた。


 エターナル城の礼拝堂で、思わず彼にかしずきたくなる衝動を懸命にこられた自分が、今では愚かに思われてならない。そう、最初からこうしていれば良かったのだ。


「私、 ― グランパス王国王女、グラジア・リリース・グランパス ― は畏敬と憧憬の念をもって、レインボーヘブンの王、ゴットフリー・フェルトにかしずき、至極の宝剣、レイピアを貴方にお返し致します」


 膝を折り、その宝剣を恭しくゴットフリーに差し出す。


 ゴットフリーは、研ぎ澄まされた灰色の瞳を王女に向ける。そして、

 ただ無言で手を伸ばし、その剣を受け取った。


*  *


 次の日の正午。

 女神アイアリスは居住区近くの海岸の空に現れた。空は晴れていたが、女神の白い衣が吹き上げる冷気が疾風となって、海の波を荒らげていた。


「時は満ちた。約束通り、王女には水晶の棺に入ってもらいましょう。許されざる元王妃の罪を償い、亡国の民をたすくために!」


 銀色の光を迸らせながら、アイアリスは、波打ち際に王女リリーと共に立つ、ゴットフリーとジャンに勝ち誇った笑みを浮かべた。


「あれが、アイアリス……。綺麗すぎて怖いくらいだ。けど、俺には、レインボーへブンの伝説の女神をこの目で見ていることが、まだ信じらんねぇ」


 タルクとスカーは、王女たちの後方に控えながら唖然と空を見上げた。

 すると、女神は蔑んだ眼で海岸に集まったグラン・パープルの人々をぐるりと見渡して言った。


「ジャン、何をぐずぐずしているの? 早くそこへ王女の棺を作りなさい。グランパス王国の守護神”ソード・リリー”の名に相応しい極上の水晶を作り出して」


「分かってるよ。分かってるけど……」


 ジャンは、天空からの声に気の進まぬままに王女の前に進み出たが、はたと後ろを振り返り、乞うような瞳をゴットフリーに向けた。

 思いあぐねているような少年の態度。すると、ゴットフリーが王女に歩みより、


「目を閉じていていいんだ」

「え……?」


 王女は小声で言った彼の台詞に、戸惑った顔をする。


「昨夜、この海岸で、お前は”どんな時でも、人々の姿を自分の目に焼き付けておきたい“と言ったな。けれども、身動きのとれない棺の中で、これから巻き起こる悲喜交々を見ているだけの日々に人が耐えれると思うか? それは結局は元王妃が志を見失い、守護神の座を捨てたのと同じ道を辿るだけだ」


 天空の女神をちらりと見てから、ゴットフリーは彼女に気づかれぬよう、王女の耳元で囁いた。


「悲嘆と後悔にまみれながら住民たちを見つめ続ける守護神。その絶望の思いは、うみ鬼灯ほおずきにとっての最高のご馳走なんだ。これは、あの紅の邪気が、アイアリスを使って“ソード・リリー”の心を砕こうと仕向けた巧妙な罠だ。あの女神は、自分でさえも気づかぬうちに奴らに操られている。だから、そんな思惑にはのるな」


「でも、私は……」


 その言葉を遮って、ゴットフリーは言った。


「眠っていた方がいいんだ。ジャンの作り出した水晶はすべての邪悪を退ける。水晶の棺の外に出るまでの間は、平和を願う心だけを感じながら祈り続けていればいいんだ。静かな水のごとくに澄みきった心。それが、海の鬼灯の力を削ぐ。闇の部分は俺が請け負う。そして、そう長くは待たせない」


 いつになく柔らかな笑みを浮かべた彼に、思わず王女の頬に涙が伝った。流れおちたその粒を手のひらで受けとめてから、ゴットフリーは彼女のひたいに軽く口づけた。

 リリーは思わず頬を赤らめる。……が、すぐに顔をあげ、


「分かったわ。私はあなたを信じてる。そして、祈るわ。グラン・パープルの人々のために!」


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