第121話 七つ目の欠片

 この日の夜は、いつになく落ち着かない空気が居住区に溢れていた。


 ベッドの上に起き上がり、ラピスは訝しげに見舞いに来たジャンとゴットフリーの様子を伺う。具合は良くなっていたが、二人から流れてくる心許ないような気配を感じ取っていたからだ。


「お前らが二人が揃ってるのって久しぶりだよな。もしかして、王宮武芸大会以来じゃないのか」


 ジャンは、少し考えてから、そうかなと、ゴットフリーと顔を見合す。


「それより、気分はどうだ?」

「良いよ。まだ、起き上がると少しふらつくけど、あんなに熱があったのが嘘みたいに。それより、今日は、みんなで晩餐会をやってるんだって? 何で俺だけご馳走を食べれないんだよ。タルクに文句言っても、お前はまだ寝てろの一点張りだし」


 けれども、ラピスは、外から帰ってきた時のタルクの強張った声音が気になって仕方がなかった。何かが変だ。それに、国が崩壊の憂き目にあって間もないっていうのに、晩餐会っていうのも腑に落ちない。


 ゴットフリーが言う。


「ご馳走など何も出ないし、晩餐会といっても名ばかりのただの集会で、居住区の娘がお前に持ってきたハイラスの実がこの辺りじゃ一番の贅沢品だ。それに、まだ顔色が悪い。タルクの言うように、お前は無理をしない方がいい」

「……そういえば、あのハイラスの実って、どんな子が持ってきてくれたんだ?」

「俺に、あれを手渡したのは、三人の娘だったが」

「三人娘じゃよく分らないな……俺の親衛隊には、色々といるから」


 親衛隊がいるのか!? と、ジャンは、思わずラピスに突っ込みを入れたくなってしまった。

 その時、ふと、ゴットフリーが、


「そういえば、あの泥棒娘は、どうした? ラピスにハイラスの実を採ってくると、えらく意気込んで、天喜の白い鳥で西の丘へ飛んでいったんだが」


「天喜の白い鳥で? あのうるさい娘がか? よくあの鳥が言うことを聞いたもんだ。けど、そんなこと、お前が気にすることでもないだろ。きっと、もう戻ってきていて、その辺りをうろついてるよ」


 ジャンのそっけない言い様に、ゴットフリーは少なからず気がとがめた。彼の言葉に記憶を封印されたジャンは、レインボーへブンを見つけたら必ず迎えに行くと誓い合った”サライ村のココ”と、あの娘が同一人物ということが分からなくなってしまっているのだ。


 サライ村のココ……それにしても、俺とこの家の玄関で別れたきり、一度も姿を見ないのは、やはりおかしい……。


 ところが、ゴットフリーの思考は、部屋の扉を開いた、ふっくらとした婦人の声に遮られてしまった。


「警護隊長、ジャン、タルクが呼んでるから、早く広場へ行って。王女も待っていることだし、ラピスには私がついてるから」


「もう、そんな時間になったのか」


 ゴットフリーは、緊張した面持ちで部屋に入って来たフレアおばさんと顔を見交わした。潤んだ瞳で、おばさんはこくりと首を縦に振る。


「私は他のみんなと王女に挨拶をすませてきたけど、警護隊長からも、もう一度、よろしく言っといておくれね」


 無理に作ったような笑顔の婦人に、分かったと低い声音で頷いてから、ジャンを伴い、ゴットフリーは部屋を出て行こうとする。だが、ふと立ち止まり、ラピスの方を振り返った。灰色の瞳を少し翳らせて言う。


「ラピス、お前は至福の島”レインボーへブン”を見てみたいか」


 唐突に出された質問に、ラピスは戸惑う。なぜって……


「見たいっかって聞かれても……困るよ。俺は生まれながらに目は見えないってこと、お前だって知ってるじゃないか。そりゃあ、心で感じることはできるけど……」


「ならば、それが見れるとしたら、お前は俺と一緒に来る意思はあるか。今のグラン・パープルでの生活も両親もすべてを捨てて」


 ラピスは一瞬、言葉を失ってしまった。


「突然、そんなことを言われても、俺には答えが見つからない」


 ゴットフリーは、そうかと一言呟いたきり、沈黙する。

 傍らにいて、そのやり取りを見ていたジャンは、心が痛んでて仕方がなかった。彼にはゴットフリーの心が手にとるように分かっていたから。


*  *


 家の玄関を出て、王女の待つ広場へ行く道すがら、ゴットフリーはジャンに言った。


「ほんの少し前まで、俺は、俺たちの島はレインボーへブンのような幸福の島でなくても構わないと本気で思っていたんだ。”樹林”がラピスが人間としての生を全うするまで、あいつの中にいたければ、それはそれで、”樹林”の力が及ばない荒れた土地でも、人の力で切り開くことはできるのだと。……が、事態はそれでは済まなくなった。”ソード・リリー”を水晶の棺から救い出すためには、是が非でも、俺たちはレインボーへブンの七つの欠片を集めて”至福の島”を復活させねばならないんだ。けれども、そのためにラピスを失ってもいいものなのか。その上、俺たちはまだ、レインボーへブンの欠片の最後”七番目の欠片”をまだ見つけていない」


 遠くの空に迷いきった灰色の瞳を向ける。

 今まで見たこともないゴットフリーの表情に、ジャンも深い息をついたが、


 ”レインボーへブンの七番目の欠片”


 そう呟いた瞬間、

「待てよ……僕は、もう僕らの真近に、それがいるような気がするぞ」


「真近にって、七番目の欠片がか?」


「そう! お前が”樹林”の緑の枷にがんじがらめにされて海に沈められていた時に、僕とタルクとスカーは見たんだ。海の中から飛び出してきた恐ろしく研ぎ澄まされた銀の光を!」


「銀の光? それはアイアリスの光輝ではなかったのか。俺が海の中に囚われている時にすでに、あの女神がこの地に潜んでいたとすれば……」


「いや、絶対に違う! あの輝きに邪心の色は少しもなかった。ただ、あの銀の光は、ひどく高貴で、見ていた僕らが震えるほどの畏れを纏っていたんだ」


 二人は沈黙した。分からなかった。銀の光の主が本当にレインボーへブンの七番目の欠片であったとしたら、こんな事態になってしまった今、なぜ、それは、彼らの前に名乗り出てこないのだろう?


 言葉のないままに広場への道を歩いてゆく。すると、前方から小走りに駆けてくる巨漢の姿が見えた。タルクだった。


「ゴットフリー、ジャン、王女が海岸で待ってるぞ。広場よりも、そちらの方が良いからって」

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