第118話 女神降臨


 俺は一体、どうすればいいんだ……。


 ゴットフリーの言葉に戸惑い、口を閉ざして俯いた時、樹林じゅりんは不意に熱く感じた自分の胸に手をあてた。


 ラピス、お前、俺の中でどうして腹を立ててるんだ?


“ラピスが死んだ人間であるなら、今あるラピスの意志は一体、どこから湧き上がってきたものなんだ?”


 エターナル城が海に沈んだ跡の海岸で、ゴットフリーが言った言葉が脳裏を巡る。


「ゴットフリー、お前って本当に意地の悪い奴だ。分っているんだろう。俺たち欠片は、レインボーへブンの王である、お前には逆らえないことを」


 ゴットフリーは、樹林にただ無言で一瞥を送る。


 樹林は言った。

「俺は、お前を信じて、ついて行けばいいのか」


「ついて来いと言った覚えはないが」


 どこまでも主導権を握ろうとしない男に、樹林は深いため息をついた。そんなことを言われたって、こいつの灰色の瞳には有無を言わせぬ力がある。

 

「分ったよ。でも、俺がラピスの中に留まるかどうかの選択は、もう少し考えさせてくれ。それに、ラピスが弱りきっていることは確かなんだ。失くした血までは俺の力では癒せない。頼むから、さっきみたいに乱暴に扱うのはやめて、こいつをゆっくり休ませてやってくれ」


 それきり目を閉じて、“樹林”は“ラピス”に体を返すと、ベッドの上に倒れ込んでしまった。そんな彼をタルクが慌てて支える。そして、ゴットフリーに非難の声をあげた。


「お前な! いくらなんでも乱暴すぎるぞ。ベッドが血だらけだ。それに、女神アイアリスに支配されない俺たちの国? そんなことを何時、考えたんだ!」


「闇の中に俺が降り立っていた時に。光の中では見えないものが、闇の中では見えたのさ。それを思うと、たまには“闇の王”になってみるのも、いいのかもしれないな」


 笑って答えた目の前の男に、タルクはとんでもないと眉根を寄せた。


「止めてくれよ。また、こちらの世界にお前を呼び戻す自信なんて俺にはないんだからな」


 仏頂面のタルクと、ベッドの上のラピスをゴットフリーは横目で見やる。その時、ふと、視線を窓の方向に移した。冬晴れの青い空。けれども、彼の灰色の瞳には、青の切れ間を突いて地上に差し込んでくる強い銀の光が見えたのだ。


「タルク……」


 低く、妙に張り詰めたその声音に、巨漢の男は訝しげな顔をする。


「窓の外がどうかしたか」


 ゴットフリーはタルクの問いには答えず、ベッドサイドに歩み寄ると、窓のカーテンを素早く閉めた。


「タルク、俺が言うことをよく聞くんだ。たとえ、具合が良くなっても、ラピスを絶対に外へ出すな! 女神といえども、アイアリスの千里眼はもう濁ってしまっている。王宮の温泉場で闇の戦士に囲まれた時にも、あの女は俺を探すことができなかったんだ。女神アイアリスはまだ、レインボーへブンの欠片”樹林”がラピスの中にいることを知らない。そして、俺たちは絶対にそれを知られてはならない」


「何だよ、まるで、アイアリスが今にも、ここにやって来そうな言い方をして……」


 怪訝そうなタルクの言葉に唇を噛み締める。そして、


「少し外を見てくる。分ってるな、俺の言葉を決して違えるなよ」


 ゴットフリーは踵を返して、足早に部屋の扉の方へ向かっていった。


*  *

 

 当のラピスはベッドの中でよく眠っている。

 

 ”ラピスの中の”樹林”の存在を絶対に知られるな”


 その台詞を頭の中で反芻はんすうするうちに、タルクは徐々に湧き上がってくる緊張を押さえることができなくなってしまった。

 確かに今のアイアリスが邪神に成り下がっているなら、彼女は形振り構わずにラピスから樹林を引き剥がしてしまうだろう。たとえ、そのことによって、ラピスが命を失ってしまおうとも。


 タルクはラピスを隠すように、毛布をその肩先まで引き上げた。その時、医者を連れて戻ってきたスカーが勢いよく部屋の扉を開いたのだ。


「ゴットフリー?! お前、いつ目を覚ましたんだ」


 川向こうの家で寝ているはずの男の姿に驚き、スカーは頬の傷を歪めた。

 ……が、スカーの後方にいる医者に、


「ラピスを診てやってくれ」と、ゴットフリーは短く声をかけると、

「後はよろしく頼む」 

 と、足早に部屋を出て行ってしまった。

 

 呆気にとられたように、頬に傷のある男は部屋の中をぐるりと見渡す。


 赤に染まったシーツに、血糊の付いたベッドサイドの壁。

 ベッドで死んだように眠っている青年。


「おおぃ……一体何があった? いつからここは、野戦病院になったんだ」

「い……や、ちょっとな、ただ、ちょっと、ゴットフリーがラピスをぶっとばしただけなんだ」


 ばつが悪そうなタルクに、医者とスカーは、理由が分からず、ただ、顔をしかめるだけだった。


*  *


 ラピスたちがいる場所とは川の対岸にある家の中。

 部屋の奥にあるベッドの上で、ジャンは耳元をちりちりと焦がすような感触にもどかしそうに体を動かした。


 なぜ、僕を起こそうとするんだよ……。


 グランパス王国の住民をうみ鬼灯ほおずきと闇の戦士から守り、グラン・パープル島の崩壊にまで力を貸してしまったジャンは、くたくたに疲れきってしまっていた。もう、少しだけでいいから眠らせて欲しかった。

 ……が、

 ジャンは、突然、とび色の瞳を大きく見開き、がばとベッドの上に身を起こした。そして、部屋の窓に煌々と差し込んでくる銀の光に唖然と目を向けた。


 この光は……


「アイアリス!」


 形振りかまわず、ベッドから飛び出す。部屋を横切り、玄関の扉をちぎれんばかりに開け放つ。そして、ジャンは銀の光が見える空の方向へ脱兎のごとく駆け出していった。


 何で、今、この場所に、レインボーへブンの女神が現れるんだよ! 

 

 解りきっている”その答”。

 湧き上がってくる不安が大きくなるほど、それは強く胸に刻みこまれてゆく。その時、別の方向から駆けて来た黒装束の男の姿に、ジャンは目をみはって声を荒らげた。


「ゴットフリー!! 来ちゃ駄目だ!」

「ジャン、急げ! エターナル城が沈んだ跡の岩壁だ」

「行くな! アイアリスはきっとお前を探しに来たんだ」


「行かなければ、この国に災いが起こるぞ!!」

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